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金槐の君へ  作者: つづれ しういち
第二章
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24 草ふかき

 

 律が部屋のバスルームを使っている間に、部屋の扉が開閉する音が聞こえた。もう海斗は戻ってきたらしい。


(は、早いよ……!)


 バスルームの扉ひとつ開けるにもどきどきしている自分をはっきりと認識してしまう。

 だが、あまりドアの内側で躊躇しているのもまずかった。なにしろ相手は「北条泰時」。しかも最近、過去の記憶を取り戻してからは他人の気配に敏感になったと申告してきた御仁(ごじん)なのだから。律がいつまでもこんなところで息を殺していることなど、とっくに見抜かれている可能性が高いのである。


(……ええいっ)


 覚悟を決めてドアを開ける。

 海斗は昨日と同様、備え付けの作務衣姿でベッドに座っていた。手にはタオル。要するにすぐにでも律の髪を乾かそうと待ち構えている状態だった。

 部屋にはコーヒーの豊かな香りが漂っている。階下で先にもらってきてくれたのだろう。


「さ、こちらへ。下で余分なタオルを頂けましたので」


 聞けば、大浴場の前に自由に持ってきてよいタオルが設置されているらしい。シンプルだがアメニティのサービスのいいホテルであるようだ。さらに、客室の枕が合わない客のためにと、柔らかめや硬めの枕も置かれていて、自由に部屋へ持ち帰っていいようになっているそうだ。


「殿も、ご入用でしたらあとで取りにまいりましょう。どうぞ、ここへお座りください」


 海斗の手が、自分の隣の位置を指し示している。昨日のように、また律の髪を乾かしてくれようというのだろう。

 律は慌てて首を左右にふった。


「い、いやいや。もう本当に。子どもではないんだし。自分でやるから」

「そうおっしゃらずに。風邪をひいては元も子もございませぬぞ。明日の行程もあるのですから」


 昨夜同様の押し問答の挙げ句、結局はまた、彼の隣に座ることになってしまった。そのまますぐに、タオルドライを始められてしまう。意外とこの男、強引である。


(うう……)


 恥ずかしいなんていうものじゃない。

 一応両想いになったとはいえ、こんな風にいきなり距離を詰めてこられると腰がひけてしまう。これは実朝だったときも今も変わりない、自分のちょっと残念な部分だ。

 海斗の手が優しく頭皮を揉みこむようにしてから、髪を少しずつ挟んで押し乾かしていく。

 気づまりになるのを避けるためか、(さき)んじてさりげなくテレビの電源を入れてくれているので、律は敢えてニュースの音声と、手元のコーヒーを味わうことに集中しようとした。

 それでもきっとまた、耳も首も赤く染まっているにちがいない。なんとかならないのか、この体質は!


「さあ、終わりました」

「あ……ありがとう」

「あの、殿(との)

「うん?」


 海斗が威儀を正して座りなおしたのを見て、律も思わずかしこまった。

 海斗の瞳が少し逡巡する様子を見せる。彼らしくないな、とふと思った。


「先ほどから緊張されているようなので、先に申し上げておきますが」

「……うん」

「ともに泊まるからといって、その……いきなり()()()()()は致しませぬゆえ。どうか、心やすくお眠りくださいませ」

「……ごほっ!」


 いきなりコーヒーに()せた。


「なっ……ななな、なにを言いだっ……ゴホゴホッ」

「申し訳ありませぬ!」


 海斗が慌ててタオルを差し出し、背中を(さす)ってくれた。


「大事ありませぬか」

「だ、大丈夫だ。……まったくもう……」


 それでもしばらく咳きこんだあと、ようやく落ち着いてから律は海斗に向き合うように、もう片方のベッドに座り直した。ぺこりと頭を下げる。


「すまない。いや、すみません」

「えっ」

 海斗がぎょっとなった。

「海斗さんにはずっと、余計なご心配ばかりかけてしまって」

「余計なことなどと。左様なことはなにも」

「いいえ。前世で鎌倉殿だったことは間違いないのですし、気を遣ってくださるのは当然なんでしょうし、正直嬉しいんです。でも」


 でも、こうしてその立場に胡坐をかきつづけるのは、きっとちがう。


「俺はもう、かつての実朝ではないんです。今回の旅では、そのことをひしひしと感じるばかりで」

殿(との)……」


 海斗の視線がふと下がる。寂しげに唇を噛む様子は、やっぱり過去の泰時を彷彿(ほうふつ)とさせられる。

 それでも。


「今の俺は、青柳律。あなたの大学の後輩です。あなたは清水海斗。大学の先輩です」

「…………」

「俺が言うなって話ではあると思うんです。でも……そろそろいい加減、自分を過去から切り離して考えなければいけないのかな、と。この旅を通してそう思うようになって」

「はい」


 素直にうなずく彼を見て、律は気づいた。


「もしかして、海斗さんも……?」

「はい」


 思ったとおり、海斗ははっきりと首肯(しゅこう)した。




 草ふかき (かすみ)の谷に ()ぐくもる 鶯のみや むかし恋ふらし

 『金槐和歌集』540


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