18 わたつうみに
「ええと……海斗さん? これは」
「どうぞ。もしよろしければですが……お受け取りいただきたく」
言って海斗が芝生のうえに片膝をつく。
そのまま両手で文を差し出され、律は慌てた。
(まさか。……まさか)
胸が勝手にどきどき言いはじめる。
恐るおそる受け取ってみて、確信した。
見下ろせば、まっすぐにこちらを見上げてくる真摯な黒い瞳と目が合う。
「よ、……読んでいいのだな?」
「は」
臣下の礼そのままに、海斗が一礼していざり下がった。
手がどうしても震えてしまう。やや厚めの半紙が風になぶられ、かさかさとたてる音だけが聞こえている。
出てきたのは思ったとおり、細長い色紙につづられた歌だった。
まぎれもない、「北条泰時」の筆跡である。細筆でさらさらと書かれたその歌を、律はじっくりと噛みしめるようにして読んだ。
吾が君の 古き面影 偲ぶにも 夜枕辺に 見る春霞
何度も何度も、文字の上を目線でなぞった。
墨の乾いた文字の上を、震える指先でそうっと撫でた。
(……まちがいないだろうか)
これは、恋の歌。
しかもあの古い昔に、自分が彼に贈ろうとした歌への返歌。
(しかも……この返事は)
それで、本当に間違いないか?
自分がそう望みすぎるゆえに、間違った解釈をしてはいないか……?
何度も何度もそう思い返してからやっと、律は口を開いた。
「や、……やすとき」
声は完全に掠れきっていた。
海斗は下げていた頭をあげると、ふと苦笑した。
「申し訳もありませぬ。斯様にまで長き年月をお待たせをしてしまいました。今、ようやくお返事が叶いましてございまする」
「や……やすとき」
体じゅうがぶるぶる震えだした。
もはや立っていることも難しくなり、すとんとその場にしゃがみこんでしまう。海斗が「あっ」と言ってすぐに手を差し出してくれた。
「大事ありませぬか」
言われて必死に首を左右にふる。
「ゆ、……ゆめ、ではないか。これは、現実か?」
「はい」
「本当に夢ではないのか。私の勝手な……妄想なのでは」
「はい」
しかし、と言って海斗は非常に恥ずかしそうな顔になった。
「なんとも、あれこれと不如意な歌で申し訳ありませぬ。なにしろずっとこの道から離れておりましたゆえ……どうか不出来については、広きお心をもってお許しをいただきたく」
「とんでもない」
言って律は、歌札をぎゅうっと胸に抱きしめた。
「さすがは匠作。……腕の衰えなどない。いささかもな」
言葉とともにぱたぱたと芝生の上に落ちていく雫のせいで、視界は熱くかき曇った。頭がかるく海斗の胸にあたったかと思うと、次にはおずおずと海斗の手に体を抱き寄せられたのを感じた。
海斗の、泰時の手が温かい。
「うっ……う、ううううーっ……」
律はその胸に頭をおしつけ、寄せるさざ波と風の音を聞きながら、ひたすら嗚咽をもらしつづけた。
わたつうみに 流れ出でたる 飾磨川 しかも絶えずや 恋ひわたりなむ
『金槐和歌集』502




