表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
金槐の君へ  作者: つづれ しういち
第二章
77/93

18 わたつうみに

 

「ええと……海斗さん? これは」

「どうぞ。もしよろしければですが……お受け取りいただきたく」


 言って海斗が芝生のうえに片膝をつく。

 そのまま両手で(ふみ)を差し出され、律は慌てた。


(まさか。……まさか)


 胸が勝手にどきどき言いはじめる。

 恐るおそる受け取ってみて、確信した。

 見下ろせば、まっすぐにこちらを見上げてくる真摯な黒い瞳と目が合う。


「よ、……読んでいいのだな?」

「は」


 臣下の礼そのままに、海斗が一礼していざり下がった。

 手がどうしても震えてしまう。やや厚めの半紙が風になぶられ、かさかさとたてる音だけが聞こえている。

 出てきたのは思ったとおり、細長い色紙につづられた歌だった。

 まぎれもない、「北条泰時」の筆跡()である。細筆でさらさらと書かれたその歌を、律はじっくりと噛みしめるようにして読んだ。



 ()が君の 古き面影 (しの)ぶにも 夜枕辺(よる まくらべ)に 見る春霞(はるがすみ)



 何度も何度も、文字の上を目線でなぞった。

 墨の乾いた文字の上を、震える指先でそうっと撫でた。


(……まちがいないだろうか)


 これは、恋の歌。

 しかもあの古い昔に、自分が彼に贈ろうとした歌への返歌。


(しかも……この返事は)


 それで、本当に間違いないか?

 自分がそう望みすぎるゆえに、間違った解釈をしてはいないか……?

 何度も何度もそう思い返してからやっと、律は口を開いた。


「や、……やすとき」


 声は完全に(かす)れきっていた。

 海斗は下げていた頭をあげると、ふと苦笑した。


「申し訳もありませぬ。斯様(かよう)にまで長き年月をお待たせをしてしまいました。今、ようやくお返事が叶いましてございまする」

「や……やすとき」


 体じゅうがぶるぶる震えだした。

 もはや立っていることも難しくなり、すとんとその場にしゃがみこんでしまう。海斗が「あっ」と言ってすぐに手を差し出してくれた。


「大事ありませぬか」


 言われて必死に首を左右にふる。


「ゆ、……ゆめ、ではないか。これは、現実(うつつ)か?」

「はい」

「本当に夢ではないのか。私の勝手な……妄想なのでは」

「はい」


 しかし、と言って海斗は非常に恥ずかしそうな顔になった。


「なんとも、あれこれと不如意な歌で申し訳ありませぬ。なにしろずっとこの道から離れておりましたゆえ……どうか不出来については、広きお心をもってお許しをいただきたく」

「とんでもない」


 言って律は、歌札をぎゅうっと胸に抱きしめた。

「さすがは匠作(しょうさく)。……腕の衰えなどない。いささかもな」


 言葉とともにぱたぱたと芝生の上に落ちていく雫のせいで、視界は熱くかき曇った。頭がかるく海斗の胸にあたったかと思うと、次にはおずおずと海斗の手に体を抱き寄せられたのを感じた。

 海斗の、泰時の手が温かい。


「うっ……う、ううううーっ……」


 律はその胸に頭をおしつけ、寄せるさざ波と風の音を聞きながら、ひたすら嗚咽をもらしつづけた。




 わたつうみに 流れ()でたる 飾磨川(しかまがは) しかも絶えずや 恋ひわたりなむ

 『金槐和歌集』502


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ