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金槐の君へ  作者: つづれ しういち
第二章
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7 けふもまた

 

 大学生の春休みは、一斉には始まらない。

 それぞれ試験の予定が違うし、場合によっては追試やら、追加レポートによって単位をもらう必要がある学生がいるからだ。

 ともあれ、律と海斗にはそうした不幸なイレギュラーは起こらなかった。

 ということで予定通りに、その朝を迎えたのである。


「おはようございます、海斗さん」

「おはようございます、律くん」


「律くん」と一応言ってはいるけれど、海斗は律を見るなり、深々と頭を下げた。ふたりの関係を知らない人間から見れば、明らかに律のほうが目上に見える振る舞いである。

 待ち合わせ場所にしていた駅の改札前で、律は慌てて両手をふる羽目になった。


「や、やめてください。海斗さんは先輩。俺は後輩です。そのように接してくださいと何度もお願いしているでしょう」

「……左様ですね。申し訳ありません」


 そうやって恐縮するところからして、すでに「鎌倉殿の御家人」でしかない。海斗は律がどんなに言っても、やっぱり「北条泰時」としての顔を覆い隠すことが不可能であるらしかった。どうやら律のほうが、ある程度あきらめる必要があるようだ。

 律は軽くため息を吐き出して、(かつ)いだバックパックをゆすり上げた。


「……お願いしますよ。旅の間じゅう、同じことは言いたくないので」

「はい。努力いたします」

「じゃ、行きましょう」

「はい」


 荷物はそんなに多くない。女性だったらこうはいかないのだろうが、少し大きめのバックパックと、散策をする時のための小さなワンショルダーバッグがひとつあれば十分だ。

 在来線から新幹線に乗り換えて、また在来線に乗り換え、鎌倉駅についたときには、すでに昼近くになっていた。


(ここが、鎌倉駅──)


 これだけの観光地なのだから、もっと大きな駅なのかと思っていたが、鎌倉駅は予想に反して小ぶりな感じのする駅舎だった。すぐ隣に江ノ電の駅がくっついているわりに、一般的な地方都市の主要駅よりもずっと小さい。

 平日の昼間だったが、思っていたより人通りは多かった。やはり観光客が多いようだ。


「はあ、着きましたねえ……」

「ええ。荷物はどうしましょう? コインロッカーを使いましょうか」

「いえ。これぐらいなら持って行きますよ。なんだか高そうだし」


 律がちらっと見たところ、駅のコインロッカーはけっこうな値段がするようだった。さすがは観光地である。


 ホテルのチェックインは二時からということなので、予定通り、先に昼食をとることにした。

 駅前のバスロータリーからつながった、大きな観光地のひとつである小町通りに入ると、食事処や立ち食いものを売る出店がいろいろに並んでいる。由比(ゆい)ケ浜の名産ということで、しらす丼や海鮮丼の看板を掲げている店も多かった。


 楽しそうに歩いていく旅行者らしきグループに何度か行き会ったが、かなりの頻度で黄色い紙袋やビニール袋を提げている人がいる。あれはおそらく、鎌倉の土産物の代表格である「鳩サブレー」であろう。

 鳩は鶴岡八幡宮の守り神だ。八幡宮の「八」の字そのものが、向かい合った鳩の姿をしているのもそのためである。


 小さな子どもをつれた海外旅行客の姿も多い。子どもたちがじゃれあいながら駆けまわるのを、ベビーカーを押しながら知らない言語で注意している父親らしい人がいたりする。妙齢の女性たちだけでにぎやかにおしゃべりをしながら歩く姿もあった。

 そうした人たちをうまくよけながら、小町通りから少し奥まったところに店をみつけ、そこで海鮮丼を食べた。



 ◆



 海斗が申し訳なさそうに「本当は鶴岡八幡宮へすぐに出られるホテルにしたかったのですが」といいつつ予約したホテルは、ここから鎌倉駅の反対側にあたる、御成(おな)り通りの方にあった。

 フロントで宿泊費を支払うと、すぐにカードキーを渡された。これを使って、エレベーターや部屋や大浴場に出入りするらしい。

 ホテル前の庭やフロント、それに廊下もとてもシックなつくりで、こげ茶を基調にまとめられたインテリアになっている。廊下は照明が非常に暗くしてあって、ひどく静かだった。まだホテルとしては早めの時間だからということもあるのだろう。


「わ。思ってたより広いですね」

「そうでしょうか? かなり狭いようですが……」


 海斗の目は、ふたつ並んだシングルベッドの隙間をじっと見ている。そこはせいぜい大人が一人立ったらいっぱいになる程度のスペースしかなかった。

 確かに、ベッドは近すぎる気がしないこともない。

 だが、律は敢えて気づかないふりをした。


「そんなことないですって。すごくきれいな部屋でよかった」

「まだ新しいホテルですから。三年経っていないはずです」


 クローゼットやユニットバスなどをひととおり確認し、必要なものだけを持って、ふたりはまたすぐに出かけた。

 もちろん、まずは鶴岡八幡宮に詣でるためだった。




 けふもまた 花に暮らしつ 春雨の 露のやどりを われにかさなむ

 『金槐和歌集』48


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