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金槐の君へ  作者: つづれ しういち
第二章
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1 おのづから


「実朝さま。少し気が早いことで申し訳ないのですが」

「え。なんでしょう」

「年が明けて、ちょうど春休みのころ……少しお時間をいただけませぬか」


 海斗がふいにそんなことを言い出したのは、そろそろクリスマスになろうかという風の冷たい頃だった。


「春休み、ですか?」

「はい。そのころには自分も、もっとしっかり歩けるようになっておきますので。ご迷惑はおかけしないとお約束いたします」


 相変わらずこの男はかしこまった物言いをする。

 それでも和歌愛好会に参加しているときなどは、意識的に「後輩に対する態度と話し方」を使っているようだったが。

 愛好会の部屋から出てしまうとすぐに、こんな風に戻ってしまう。


「なにかもうご予定がありますか」


 海斗は心配そうな目でそっと律を見下ろす。こちらと比べてそんなに長身というわけでもないけれど、そばに立つとどうしてもそんな感じになるのだ。


「いえ……。別に、予定なんてありませんけど」


 本当は、「せっかく大学生になったんだし、ためしにバイトでも探してみようか」なんて考えていたのだったが、そういうことはこの際黙っておく。


「そうでしたか。でしたらぜひ」


 と言って、海斗は(おもむろ)にバックパックから見覚えのある旅行ガイドを取り出した。表紙にでかでかと「鎌倉」と書いてあるのを見て、律は目を丸くした。鎌倉の大仏、鶴岡八幡宮、江ノ電などの写真がカラフルにコラージュしてある。


「かっ……かまくら、ですか?」

「はい。特に桜の頃は、鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐうの若宮大路が非常に美しいとのことで」

「若宮大路……段葛(だんかずら)ですね」

「はい。現代の鶴岡八幡宮。ごらんになるのはいかがでしょう」

「え、ええっと……」


 若宮大路は、鶴岡八幡宮から由比ガ浜までつづく参道のことを言う。段葛は、父、頼朝が兄の頼家を身ごもっていた母、政子の安産のために、石組みを作って周囲の道より少し高い場所に長い道を作ったものを言う。あの石組みは、当時の鎌倉武士たちが手ずから積んだものでもある。

 当時の自分は、しばしば鶴岡八幡宮に参ったものだ。もちろんほかの寺社へもよく参拝したのだが、やはり関東武士の守り神ともいえる鶴岡八幡宮は別格だと言えるだろう。

 かくいう自分も、宮への参拝のあと、その石段のたもとで命を絶たれた。

 あそこはそういう、自分にとっては深い因縁のある場所だともいえる。


 律は困った顔のまま、受け取った旅行ガイドを見下ろした。

 まさか彼が、いきなりこんなことを言い出すとは思わなかった。まだ片方は松葉杖の状態だし、春になったからといってそんなに状態がよくなるかどうかなんてわからないだろうに。

 だが、海斗は意地でもそれまでにちゃんと歩ける状態になるつもりでいるらしかった。


「日帰りで回るのは少しあわただしいので、できれば二泊……せめて一泊だけでも、宿泊して周囲を回れたらと思うのですが。いかがでしょう」

「鶴岡八幡宮に行きたいんですか?」

「それはもちろんなのですが、そればかりではなく──」


 海斗は言いよどむと、拳を軽く口元にあてた。


「今では、あなた様と尼御台さま、頼朝公や父や和田一門、三浦一門など、多くの墓や塚、供養塔などが据えられているようです。八幡宮の中には、あなた様と頼朝公を祀る白旗神社もあるとかで」

「……そうなんですか」


 なんだか本当に驚いてしまって、二の句が継げなくなってしまった。


(鶴岡八幡宮……)


 その名を心にのぼせるだけで、深い傷がうずくような痛みを覚えた。

 あの宮には思い出がありすぎる。

 今の自分があの地に立って、ただ冷静でいられるものなのだろうか……?



おのづから (さび)しくもあるか 山ふかみ (こけ)(いほり)の 雪の夕暮

                      『金槐和歌集』329


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