51 待つ宵の
「で? 海斗がサークル辞めるっつーのはわかったけど、この後はどーするつもりなのよ。本人はなんか言ってた?」
「いや、それは俺にもよく……」
大学の昼休み。
今日から松葉杖をつきつつも通学を再開した海斗がやってくるのを待ちながら、律はいつものカフェテリアの片隅で、鷲尾とテーブルをはさんでいた。
ブラックのホットコーヒーが入った紙コップを軽く傾けつつ、鷲尾が奇妙な視線で律を見返している。……どこがどう「奇妙」に見えるのかは、律にもよくわからなかった。
「まあさあ。足がああなっちまってんだから、テニスができねえっつーのはわかるわけよ。しばらくはな。けど実際、ウチはそっちがメインのサークルじゃねえわけだし」
「そうですよね」
「姫と別れたっつーんで、狙ってた女子とかみんな、軒並み凹みっぱなしなわけよ。『なんのためにこのサークルに入ったと思ってんのよ~』ってなあ。知らねえっつの。めんどくせえったらありゃしねえ」
「……はあ」
「『せっかくお見舞いにもいっぱい行ったのに~』って、俺に泣きつかれても困るっつーのよ。なあ?」
「はあ……」
海斗が事故に遭って大変だった間、どうやらサークル内でもあれこれあったらしい。なぎさはと言うと、彼女もまた最近ではあまりサークルに顔を出さなくなっているのだそうだ。
なぎさのことについては、律があれこれ心配しても仕方がない。そんな資格はそもそもないのだと思う。いずれにしても男子からの人気は高い人だし、本人の能力も高いのだし、そんなに心配する必要はないのかもしれないが。それこそなぎさ本人に言わせたら「大きなお世話」でしかないことかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えつつ、本日のB定食をちょっとつついたときだった。松葉杖を二本ついた海斗が、見覚えのある女の子たちに囲まれるようにして現れた。
周囲の男子たちのうち、ごく一部が「けっ」というような目で海斗を見たのに気づいて、律はどきりとした。それは明らかに妬みの空気だと思えたからだ。
海斗は「清水く~ん、荷物もってあげるね」とか「なに食べる? 代わりに取ってきてあげるよ」とか「なに飲む? 缶コーヒー買ってこようか」とかいう女の子たちの声に包まれてひたすら困った顔で断り続けているようだったが、こちらに気づくとますます気まずそうな顔になった。
律は律で、どういう顔をしていたらいいものか迷った挙げ句、結果的に無駄に固まったそっけない表情しか作れなくて内心焦った。彼がこの顔を見てまた余計な心配をするかもしれないのに、どうして自分はこういうとき、もっと器用に立ちまわれないのだろう。
「よお、海斗。こっち~」
言って鷲尾が手を挙げると海斗もうなずいた。周囲の女の子たちに何か言い、そのまままっすぐこちらを目指してやってくる。最近では松葉杖の扱いにも慣れてきたのか、以前よりはずっと速く歩けるようになっている。医者によると、そろそろ「一本松葉」になるかもしれないということだ。
「待たせてごめん」
言いながら海斗がショルダーバッグを椅子に置く。
「いいってことよ。無理すんな」
律は慌てて立ち上がった。
「あ、あの。海斗さんなに食べますか? 俺、買ってきます。あと、お茶も──」
「あ~、律ちゃん。それはやめとけ」
「えっ?」
「ほら。あっちの子たちがすでに狙ってるし。虎視眈々とよ」
「虎視眈々って」
海斗が困った顔になるが、鷲尾はそれを笑い飛ばした。
「だって文字通りそうじゃねーのよ」
鷲尾が笑ったところで、律もようやく察した。その役目はすでに、海斗についてきている女子たちが手分けしてやってくれることになっているらしい。少なくとも、今日のところは。
「女子にムダに睨まれねえほうがいいだろ。女子に任せときなって」
「あ。……は、はい……」
しおしおと尻をもとどおりに椅子に戻すと、女子たちが次々とお茶だの缶コーヒーだの食事だのをもってやってきた。海斗はA定食にしたようだ。
そうやって彼の世話を焼いた女の子たちは、当然のように海斗の近くの席に陣取り、彼が食事をする間、最近の様子やケガの状態などを細かく聞きたがった。
どの子も可愛い。そして、自分が若くて可愛くて魅力的であることをしっかり自覚しているように見える。律のつたない観察力では大したことはわからないが、わざとらしくは見えない絶妙なラインのところで、彼女たちは男心をくすぐる術を全部心得ているようにも見えた。
(うう……。ほんと、『虎視眈々』だな)
正直、妬ける。
妬けるが、自分がそんなことを考える資格もないことは重々承知している。
「春霞」は確かに贈りなおしたけれど、それに対して特に返歌などをもらったわけでもない。彼と自分の関係は、結局のところ「前世で鎌倉殿とその臣下だった、いまでは大学の先輩と後輩」という間柄にすぎないのだ。
そんな風に考えると悶々としてくる。夜、考えすぎて目が冴えてしまい、ほとんど朝方の数時間しか眠れない日もあるほどだ。
「……くん。律くん」
「えっ?」
そして律は今もまた、頭の中で悶々と考えごとをするのに熱中しすぎてしまったらしかった。気づいたときにはすでに何度か、海斗から名を呼ばれていたらしいのだ。
待つ宵の 更けゆくだにも あるものを 月さへあやな 傾きにけり
『金槐和歌集』418




