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金槐の君へ  作者: つづれ しういち
第一章
36/93

34 苔深き

 

「すみません。急にお呼びたてを」

「いえ。いいんです」


 翌日の夕刻。

 律はまた、例によって海斗に自宅へ連れてこられていた。

 ここは彼の自室である。よく整理整頓された飾りけのない部屋だった。


 実はその後も、海斗は時間を見つけてはこうやって律を誘い、カラオケ店や自分の家などで鎌倉殿だった時代の話をしたがった。律も今では(かたく)なに断る気にはなれず、できるだけ時間を合わせて彼と話すようにしている。

 今日も今日とて、律は海斗の家に誘われて、いろいろな資料を前に昔話に花が咲いている。

 あれから「吾妻鏡」だけでなく「愚管抄」やら「平家物語」やら、そのほかのやや古めかしい図書館の本なども探して、律は海斗といろいろな話をするようになったのだ。


(よかった……)


 正直、うれしい。

 彼が自分の気持ちについてどう思っているかは気になるけれど、だからといって顔もあわさず話もしないでいるなんていう状態には耐えられなかっただろうと思うからだ。


「バイトの方はよかったんですか」

「あ、ええ。大丈夫です。家庭教師のほう、担当していた受験生の子がもう合格を決めまして」

「そうだったんですね。おめでとうございます」


 優秀な生徒は秋ごろに大学の合格を決めているものだが、どうやら海斗が担当していた受験生も早めの桜が咲いたようだ。


「受かるまではちょっと詰めて通っていたので……。正直、自分もほっとしています」

「よかったですね、本当に」


 はい、と言って海斗は少し押し黙った。何か大事なことを言うときのこの男の癖である。言葉を選ぶために事前によくよく考えてからにするのは、彼のいいところだろう。


「……あのう。不躾かとは思ったのですが。少しご質問がありまして」

「敬語にしなくていいですよ。なんでしょう」


 わずかに身構えつつも、笑顔を作って答える。

 海斗はまた「はい」と言って少し黙った。


「このところ、アキ……鷲尾と仲良くされているようで」

「ああ。鷲尾先輩」


 海斗は鷲尾を「アキ」と呼ぶ。下の名前の「(アカツキ)」からきているのだろう。

 そうなのだった。あれ以来、なんとなくあの柔らかな重みのない雰囲気に誘われて、鷲尾と時間を過ごすことが増えていた。なにより、律の性的指向を理解して風のようにこだわらない姿勢が好ましく、なにより楽だったからだ。

 海斗がいれば海斗も同席していたが、そうでなくても二人でなにかと休み時間を過ごすことが多かった。たまたまだが、とっている講義もいくつかかぶっていたことも大きい。


「紹介してくださったのは海斗さんです。ありがとうございます。とてもよくしていただいて……」

「あ、いいえ」

「気遣ってくださって本当に助かっています。あれ以来、大学であまり変な目で見られることもなくなってきて」

「そうですか。それならよかった」


 海斗は息をつき、自分で持ってきていたウーロン茶のグラスからぐいと飲んだ。


(……ん?)


 なんだろう。海斗はグラスについた水滴を、さも手持ち無沙汰そうにもじもじといじっている。なにかを躊躇(ためら)っているようだ。


「……その。ずいぶんと気が合っておられるようで」

「へ? ……ああ。えっと、とても話しやすい人ですから。鷲尾さんってすごく大人の人ですよね。見かけによらず……って言ったら失礼なんですけど、本当に中身が落ち着いてらして。考え方もバランスが取れていて素敵な方ですね」

「……そうですね」


(……んん?)


 なんだろう。なんとなく、彼がむっとしたように見える。突き出しそうになった唇を自分の手で覆い隠してやや斜め下を見ている。


「いや。いいんです。仲良くしてくださっているならそれが一番なので」

「……はあ」


 いったい何が言いたいんだ。

 なんとなく首をかしげて次の言葉を待っていたら、ちらっと上目づかいに見られた。彼の方が背が高いのに、変な気持ちだ。


「……その。なにか、ご趣味でも合いましたか? アキと」

「趣味ですか? いや、全然?」


 まったくもって、何が聞きたいのかわからない。

 律は次第に不安になってきた。



(こけ)深き 石間(いしま)をつたふ 山水の (おと)こそたてね 年は()にけり

 『金槐和歌集』434


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