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金槐の君へ  作者: つづれ しういち
第一章
35/93

33 年経れば


 うつらうつらと夢と(うつつ)を行き来しながら、「ああ。夢を見ているな」と思った。


 屋敷の中庭に御家人の郎党が集まって、わいわいと武芸の手合わせをしている。木刀や槍に見立てた長棒による仕合い、弓矢の競い合わせなどなどだ。

 当時の狩衣(かりぎぬ)は、今で言うところのジャージのようなものと考えると理解が早い。こんな風に武芸の訓練をしたり巻き狩りを楽しんだりする、いわゆるスポーツをするときの服装として、当時は一般的なものだった。

 御家人たちは武士である。武士は、ほかの仕事のないときには日ごろの鍛錬を欠かさないものだ。それは戦の(おり)、直接自分の命を左右することでもあるからである。


 自分は屋敷内の座敷の奥からそっと見ている。

 泰時は幼馴染みを含む若い郎党たちと片肌を脱いだ姿で肩を組んだり、取っ組み合ったりと楽しそうだ。

 日の光に鍛えられた肩や胸の筋肉の若さがはじけて、彼だけが特にまぶしい。

 疱瘡に罹って以降、自分は余計に「インドア派」になってしまったものだった。幸い命は拾ったけれど、醜い()()()が顔じゅうに残ってしまったからだ。

もともと内向的だった自分の性格は、あれでさらに内に内にと向かうようになってしまった。


「よし! 大当たり、大当たりぃ!」

「やるな泰時ぃ!」


 郎党たちが楽しそうに彼と肩を組み、笑いあう。

 自分はそれを、(ひさし)の奥の日陰からそっと見守る。

 いま彼の隣にいて、彼と笑いあっているのが自分だったらどんなにいいかと、そんなことばかりを思いながら。


 自分がかぞえで十三の折、結果的に北条家に追い落とされた形となった兄、第二代将軍頼家(よりいえ)が死んだ。そのまま自分が第三代鎌倉殿の座を引き受けることになった。

 周囲からは「頼家さまは病のためにお亡くなりになりました」とばかり聞かされ、みなはなかなか教えてくれなかったけれども、実のところ兄は北条によって討たれたのだという。

 兄にもよくない所は多かったようだ。いい加減な政治を行い、蹴鞠にばかりうち興じ、あまつさえ北条の政敵となっていた比企氏と近づきすぎた。自分とは違ってかなり権力欲が強かったことが災いしたのだともいえる。


 鎌倉はまたもや内乱となった。比企氏は滅亡させられることになり、後ろ盾を失った頼家兄は体調が思わしくないことを理由に落飾(らくしょく)させられ、伊豆の修善寺へと下向させられた。結局、その後何者かによって殺されたという。現在ではそれは北条の手引きであったろう、という理解に落ち着いているようだ。

 もちろんこのあたりの顛末を、「吾妻鏡」は詳しく語らない。あれはあくまでも鎌倉幕府の手による「歴史書」だからだ。自分に都合の悪いことはごまかして書かない、それはどんな政府による歴史書にもつきまとう陰鬱な問題なのである。

 したがってこのことは、むしろ「愚管抄」の方にくわしい。


(……ひどい話だ)


 頼家は政子の子であり、北条時政から見れば孫でもあった。義時からすれば甥であり、泰時から見れば従兄弟にあたる人でもある。

 鎌倉の権力構造がどうにかして落ち着くまでにわき起こった多くの政治的内乱は、こうして血のつながった者同士の間に出現した。

 政子は、母は、どんな思いでいたのだろうかと今でも思う。

 討たれた頼家の庶子、公卿(くぎょう)(幼名・善哉(ぜんざい))を自分の猶子(ゆうし)(養子)として迎えさせたのも、後の政争を防ぐためだったのだろう。だが、その策略もうまくはいかなかった。

 結局自分は、その公卿に討たれることになったわけだから。


 自分には、自分の役割はよくわかっていた。

 兄のように政治むきのことにしゃしゃり出て余計な口を利かぬこと。これが第三代将軍、鎌倉殿として第一に求められることだったのだ。

 だから和歌と蹴鞠に没頭した。政治むきのことは「この爺いにお任せあれ」という北条時政やその次男、義時の思惑のとおりにさせておくのが一番だったからだ。


 だがその和歌が、京への強いあこがれとして育ち、結果的に皇家へちかづくもととなってしまった。

 京の貴族、とりわけ天皇家と武家とのパワーバランスは非常に難しいものだったというのに、若い自分が上皇さまにうまく手のひらの上で転がされ、思うままに操られてしまったのだろうことは、今ではよく理解している。


 そんな中、ひたすらに歌を詠み、蹴鞠に興じて心の波を慰めていた自分にとって、泰時は大きな心のよりどころになったのだ。





 目が覚めても、まだ外は暗かった。

 律はしばらくぼんやりと「源実朝」だった自分と「青柳律」としての自分の間で意識をゆらゆらさせていた。

 こういう夢を見たときにはいつも、目じりからいくつもの雫の筋ができている。

 今頃なにを泣いたところでどうしようもない。

 鎌倉での顛末は、もはや数百年も昔に終わったことでしかないのだから。


 ふと見ると、枕元においたスマホがちかちかとメッセージの来歴を告げていた。

 体を少しだけ起こし、画面に指を滑らせる。


「……あ。泰時……」


 いや、「清水海斗」からのメッセージだった。



()れば 老いぞ(たふ)れて ()ちぬべき 身は(すみ)()の 松ならなくに

                      『金槐和歌集』588


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