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金槐の君へ  作者: つづれ しういち
第一章
33/93

31 白雲の

 

 それからしばらくは、穏やかに時がすぎた。大学での周囲の反応は、海斗が関わってくれたことによって驚くほど改善されたのだ。

 海斗だけでなく、彼の友人である人たちが何かと「あっ、律くーん」などとすぐに声をかけてくれ、決して律をひとりにしない。空き時間に海斗がいない時でもまったく困ることなく、カフェテリアなどで過ごすことができるようになった。


 彼らはとにかく物怖(ものお)じしなくて明るかった。学内で律の顔を見ると、男女問わずすぐに律に近づいてきて、楽しげにいろいろな話題をふりながら一緒に歩いてくれる人が多かったのだ。

 律自身はそんなふうに話しかけられてもどうしていいかわからず、どぎまぎしていることが多かったけれど、内心では正直ほっとしていた。最初のうち「陽キャさんたちはやっぱり苦手だな……」なんて思っていた自分を少し恥じたほどだ。


 ちゃんと話をしてみれば、彼らは決して悪い人たちではなかった。というより、次第にわかってきたのだ。かれらが非常によくその場の空気を読んで、素早く最善の対処をしようと努める人たちだということが。これはむしろ、律にとっては見習わねばならない部分だった。

 もちろん悪意のある「陽キャ」な人たちだって世の中にはたくさんいる。だが、少なくとも海斗が律のことを頼む人たちの中にそういうタイプの人はいなかった。さすがは()第三代執権である。人を見る目に間違いがない。


「ねえねえ。聞いてる? 律くん」

「えっ」


 そして、今。

 今日はまたもや海斗に用事があるとかで、ひとりになってしまうはずの昼休みだったのだが。


「えっと……あの、何をですか」

「だからー。海斗のことだよ」


 学食のテーブルで向かいに座り、ご飯を大盛りにしたAランチを頬張っているのは海斗のサークル仲間の青年だ。

 鷲尾暁(わしお あかつき)、二回生。肩にかからない程度までのばした軽そうな茶色い髪を、いつもふわふわさせている。あまり度の入っていないおしゃれな眼鏡がよく似合う。背はほぼ同じぐらいだが、律よりはしっかり筋肉のある体型だ。

 初対面のときは、ちょうどその髪みたいに軽薄そうな人だなと思ったものだが、とんでもなかった。なかなかどうして、この男は見どころがある。律も今では最初のイメージをすっかり(ひるがえ)していた。


 鷲尾は一見ちゃらんぽらんそうに見え、明るくて口数も多い。しかしよく見ていると、決して人を本質的に傷つけることを言わないのだ。それどころか、恐ろしいまでに場の空気を読む能力に()けている。

 律が「今日は海斗さんには会えないなあ」なんてがっかりしている日には、今日のようにどこからともなく現れていつのまにか隣にいる。そうしてほぼ確実に、こうして一緒に昼食をとることになった。

 どうやら海斗になにかしら頼まれているらしい。本人たちに確認してみたわけではないけれど、律はそう確信している。


「なんかあいつさー。ここんとこ『めっちゃめちゃ怒ってるらしい』っつて噂になってんのよー」

「噂……ですか」

「そーそー。(おも)にキミのことでね」


 言って鷲尾は、箸の先をひょいと律に向けた。行儀がいいとは言えないが、それでもこの男がやると不思議と失礼だと感じない。そこが鷲尾の鷲尾たる所以(ゆえん)である。


「お、俺ですか?」

「そうよーん。ほら、なぎさ姫のことでアレコレあったっしょ?」

「え、ええ」


 そう。あの笹原なぎさは、例のサークル内で「姫」なんて呼ばれているらしいのだ。


「そんで、姫が酔っぱらってアンタのこと、アレコレ言っちまった相手の女が、変な噂を広げちまったじゃん?」

「……う」


 それは別に、間違った内容とまでは言えないけれども。

 口に入れた米が、そのまま喉にひっかかったような気分になった。なんだか砂でも噛んでいるような感じがする。


「海斗がめちゃくちゃ怒ってたのは事実だけどね~。俺だって、あんな海斗見たのはじめてだったし」

「そうなんですか」


 律は手元の親子丼を見下ろし、箸でちょっと卵に包まれた鶏肉の塊をつついた。


「なんか……すみません。みなさんにもご迷惑を」

「へ? あ、いーのいーの。俺らはべつに……ってか、俺には特に申し訳なく思わなくっていいから。あんな海斗が見られただけでも面白かったしさ」

「あの。どんな風だったんですか、海斗さん」

「んーとねえ」


 鷲尾が言うにはこうだった。

 海斗は一見、普段と変わらない表情だったし、誰とでもいつものように微笑んで挨拶も交わしていた。しかし、彼女である笹原なぎさに対しては違ったのだ。いつものにこやかさはそのままなのに、明らかに彼女に対して高い壁を築いてしまったように見えたらしい。

 ついでながら、なぎさの親友である、例の噂を広げた張本人の女子学生に対してもそうだった。

 今までならもっと気軽にカフェテリアなどで同席したり、遊びの誘いに乗ったりしていたはずなのだが、にこにこしながらもすべてをばっさりと断るようになったらしい。

 もう本当に、ばっさりと。


 もちろん最初は、なぎさもその親友の女性も一瞬顔をこわばらせた。その後、なんでもないように笑ってごまかしてはいたのだが、そういうことに(さと)い周囲の学生たちが気づかないわけがなかったのだ。

 特に、この鷲尾はそうだった。

 ほかの学生たちも、次第にその違和感に気づきだしたという。


「いやもう、びっくりよ~。あいつ、怒るとあんな風になるのな~。知らんかったわ」


 鷲尾はべらべらしゃべりながらすっかり平らげたA定食のトレイを持ち上げ、席を立ちつつ苦笑した。


「俺、ぜってーこいつの機嫌だけは損なわんとこ~って思ったもんなあ」

 ときどき関西風の言い回しが混ざるのは、おそらく彼の出身地の影響なのだろう。

「ま、それもぜーんぶ、律くんが原因だったわけだ。なんか納得だわ」

「え?」

「え?」


 これはきっとわざとだろう。小首をかしげ「私はなにも考えてませんが?」という顔をしていながら、鷲尾の目は明らかに意味深なものを(たた)えている。どうやら律に「ついてこい」と言っているようだった。

 律も食事を終え、慌てて彼の後を追って学食を出た。

 人がまばらな穴場の中庭にやってくる。

 人目につきにくい植木の陰までやってくると、鷲尾はそこではじめて、いかにもなんの気なしにといった風情で言った。


「別に、深い意味はねーのよ。俺は別にどっちだって気にしねーし」

「え……」

「姫もそうだったと思うけど、俺も()()()はあんまり気にしねえよ? 俺自身は女の子以外には興味向かねえほうだけど」

「え、ちょっと。それって──」


 食事をしたばかりだというのに、一気に口の中がからからになった。


白雲(しらくも)の 消えは消えなで 何しかも たつたの山の 名のみ立つらむ

 『金槐和歌集』405


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