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金槐の君へ  作者: つづれ しういち
第一章
30/93

28 三島江や


 人間、あまりにも驚くと言葉を失うと言うけれど、あれは本当のことだった。「頭の中が真っ白になる」とも言うけれど、今の律の頭がまさにそんな感じだった。

 手があまりにも震えてしまって、自分の手とは思えない。スマホを拾い上げるにもひと苦労した。


《……あの。大丈夫ですか》


 いや大丈夫じゃない。大丈夫なわけあるか!


《すみません、いきなりこんなデリケートな話を》


 わかってるならするんじゃない! まったくこの男は──


《正直、自分もお話しするのはかなり迷いました。ですからすべて、さねともさ……律くんが決めてくださって構いませんので》


 そして、何度こちらの名前を言い間違えるんだこの男は。

 それはそのまま、この男の頭の中が完全に鎌倉時代に逆戻りしている証拠のように思われた。律はこみあげてくる怒りやなにやらを必死に喉の奥に押し込めた。


「ええと。す、少し考えさせてほしい……です」

《……そうですよね》


 やっと律が返事をしたからか、海斗の声は明らかにほっとしたものになった。


《もちろん無理にとは申しません。すべてさね……律くんの望むとおりにいたします》

「そうですか」

《恋人、と言いましたが、それがお嫌なら友人でもいいのです。カミングアウトされない場合でも、どうかあなたの(そば)に置いてくださいませんか。ともかく、しばらくは大学でおひとりにならないほうがいいかと……愚考いたしまして》

「はい」


 次第に頭痛がしはじめた。

 いったいこの男、どういうつもりなのだろう。自分は昔、鎌倉殿だったときに、臣下の泰時に懸想していた、と話したはずだ。ちゃんと話を聞いていたのか?


「お話はわかりました。とにかく考えさせてください」

《……承知いたしました》


 海斗は最後に何度か「どうか返事はお早めに」と繰り返し、電話は切れた。

 真っ黒になったスマホの画面を見つめたまま、律はしばらくぼんやりしていた。見慣れた自分の部屋の中は何も目に入ってこなかった。

 いま聞いた話が、まだ本当のこととは思えない。ゲイであることを認めてカミングアウトしたなら、彼が大学で、律の恋人役になってくれるという。そうでない場合でも、友人としてほぼ常に一緒にいさせて欲しいという。


(それじゃ……まったく昔の御家人状態じゃないか!)


 どんどん頭が痛くなる。

 いったいどうしたらいいのだろう。

 正直、海斗がそばにいてくれることは嬉しい。きっと、大学生活がずっと楽しいものになってしまうだろう。それに、「あいつはゲイらしい」なんていう心ない噂が広まった大学に、ひとりで通える自信はまったくなかった。彼がそばにいてくれれば、どんなに心強いだろう。


(でも……)


 自分は今でも、彼に懸想している。彼自身に「恋人のふり」なんてしてもらって、自分の心はもつだろうか?


(いや……ムリだよ)


 それがただの振りでなければ、どんなにうれしいだろう。でも、逆にただの「演技」なんだとしたら、それはどれだけこの心を傷つけるだろうか。彼の中にあるのは飽くまでも臣下としての鎌倉殿に対する忠誠心だけなんだと、さらにいっそう思い知らされてしまうだけだとしたら。

 想像しただけで胸がずきずきと痛みはじめた。本気で痛い。律はシャツの上から胸元をにぎりしめ、唇を嚙みしめた。もう片方の腕で目元を隠す。


(そんなことは、できない……)


 そんな風になったら、きっとこの心は壊れてしまう。かつて「春霞」の歌を彼に与えようとして、やんわりと断られたあの時以上に。

 だとしたら、返事はひとつしかないだろう。


「律に~い。お風呂~っ」

「早く入っちゃってよ~」


 階下から彩矢(あや)と麻沙子の暢気(のんき)な声が聞こえてきた。

 律は少し大きな声で返事をすると、のろのろとベッドから起き上がり、ほとんど幽鬼のような面持ちで、ふらふらと階下へおりていった。




三島江(みしまえ)や 玉江(たまえ)真薦(まこも) 水隠(みがく)れて 目にし見えねば ()る人もなし

                      『金槐和歌集』397


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