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金槐の君へ  作者: つづれ しういち
第一章
26/93

24 み熊野の


 周囲の楽しそうな、だが少し調子はずれの歌声と、激しいリズムを刻むやかましい音楽ばかりが聞こえていた。

 それだけこの部屋の重苦しい静けさが身に()みるようだった。

 ソファに座った律はずっと両手で顔を隠したままうつむいていた。海斗はその前に片膝をついた武士としての姿勢を崩さず、ただじっと律を見つめているようだった。

 御家人としてあるべき姿だ。話が終わってもいない状態ならば、主人(あるじ)が次の言葉を発するまで、勝手に身動きしたり、ましてや勝手に場を辞したりすべきではない。


(バカだ……。本当に)


 もう自分たちはあの時代の自分たちではないというのに。どうしてそこまで、過去に囚われる必要がある?

 だというのに、そう思う自分のこの心こそが、誰より過去の自分に囚われている。過去、この男に抱いていた感情をそのままにして、しっかりとがんじがらめになっているのだ。

 ……滑稽だ。

 こんなにも平和な時代に生まれ変わってきてまで、どうしてこんなにも過去に振り回されなくてはならないのだろう。新たな若い体と人生を与えてもらえたのだから、その人生をしっかりと謳歌すればいいではないか。幸せになればいいではないか。


(なのに、どうして──)


 必死で(こら)えていたのに、ついに唇から嗚咽が漏れでた。

 海斗がびくっと気配を固くしたのがわかる。


「と、殿……?」

「ダメだ! 見ないで」

「はっ」


 言われた通り、さっと目線を落としたらしい。相変わらず忠義の人そのものだ。

泰時はずっと、自分、鎌倉右大臣、征夷大将軍の実朝に対して実直な人だった。少々融通がきかなくて頓珍漢(とんちんかん)なところはあったけれど、自分の責務に対していつも真摯で、誠心誠意、周囲の仲間である御家人や、家臣たちにも誠実な人だった。

 だからこそ、彼を信じ、愛する人は多かった。

 自分のような方法で愛した人はいなかったかもしれないけれど。


「……だ」

「は?」


 もう一度、ほんとうだ、と漏らした声はかすれきっていて、ほとんど聞き取れないほどだっただろう。それでも海斗は聞き取った。


「ほんとう、とおっしゃいますのは」

「わたし、が」


 そこからはほとんど吐息のようなものだった。


──そなたに、懸想(けそう)をしていたのは……だ。


「…………」


 海斗が絶句して、ぴたりと固まったのが気配だけでわかった。

 律は顔を覆ったままで言い募った。


「申し訳ない。本当に申し訳ないことをした。……ごめんなさい。生まれ変わってまで、そなたに……いや、あなたに迷惑をかけたくはなかったのに」

 でも、それでも傍にいたかった。その顔を見ていたかった。声を聞いて、できれば仲良く話だってしたかった。

「この世に神がおられるならば、きっとそなたを『今生(こんじょう)こそは幸せに』と願ってそうなさったことだろう。……そなたは幸せにならねば。そなたにはその資格があるのだから。あの頃、あんなにもつらく、苦しい人生を歩んだのだから」

「…………」

「そなたは幸せにならねばならない人だ。……わ、私などがその足を引っ張ってはいけなかった。出会ってはいけなかった。声をかけてはいけなかった……。本当に本当にごめんなさい」


 まだ片手で顔を隠したまま、律はバックパックをひっつかんで立ち上がった。


「もう会わないようにします。これ以上あなたに迷惑は掛けません。本当にごめんなさい」

「お待ちを!」

「うわっ」


 いきなり腕をものすごい力でつかまれて、そのままソファに引き戻されてしまった。ぽかんとして海斗を見上げる。中腰になった海斗がまた床へすっと片膝をつき直した。


「ご無礼ながら、ここでお逃げになるのは卑怯にございます」

「ひ、卑怯って──」

「愚かな自分にも、どうかわかるようにご説明いただきたい。……懸想を? なさっていたとおっしゃいましたか? ……この自分に?」

「…………」


 ぐぐぐ、とまた喉が詰まった。

 羞恥と悲しさと、わけのわからない怒りみたいなものが爆発的にこみあげてきて、声なんて出るわけがなかった。




熊野(くまの)の 浦の浜木綿(はまゆふ) 言はずとも 思ふ心の (かず)を知らなむ

                      『金槐和歌集』506


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