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金槐の君へ  作者: つづれ しういち
第一章
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19 夕されば


「律くん、どうしてっ……い、いや。ちょっと。ちょっと待ってね」

「え、あの……海斗さん?」


 海斗はひどく息を切らしている。どうやら遠くから律を見つけて、慌てて走ってきたらしい。しかも全速力で。しばらく息を整える間もずっと、海斗の右手はしっかり律のシャツの袖をつかんでいた。まるで「逃げるな」と言わんばかりで、律はどぎまぎしてしまう。心臓の音が急にうるさくなった。


「ちょっと、ちゃんと話したくて。……なんかこの頃、ちっとも会えないし」

「あ、あ~……。ごめんなさい」


 自分でも明後日の方向に視線をそらしたのがわかった。申し訳ないと思いつつ、大した言い訳なんてまったく思いつかない。


「あ、ごめん。謝らないでよ。そんな風に思ってないから」

「そ、そうですか」


 もじもじして下を向いたら、そのまま互いの言葉が途切れた。

 なんだか居心地が悪い。当たり前だ。だって自分はこの人に嘘をついた。あの笹原なぎさから強く言われたからだとはいえ、嘘をついてこの人から意識的に遠ざかったのだ。

 心音はさらにうるさくなり、それと同時に罪の意識が胸元を(さいな)んだ。


「放して……ください」

「あっ。ごめん……」


 海斗があわてて、握っていた律の袖から手を放す。周囲を歩いていたほかの学生たちが、不可解な雰囲気のふたりをじろじろ見つめながら通り過ぎていく。


「場所を移そうか。今、時間ある?」

「え、ええと」


 昼休みになったばかりのタイミングだ。時間がないわけがない。でも、このまま海斗と一緒にいたりして、もしもなぎさに見つかったりしたら──。

 もう地獄しか待っていない気がして、ぞっとした。


(ど、どうしよう)


 どぎまぎと目を泳がせていたら、「ね、来て。お願い」という言葉とともに軽く肩を抱かれ、海斗の歩くまま、勝手に律の足が動きだした。体は勝手に答えを出してしまっている。困ったことに。

 本当はずっと会いたかった。なぎさにあんな風に言われさえしなければ、今だって律は前のとおり、彼と頻繁に会っていたにちがいないのだ。海斗が自分に会いたがるのは前世の記憶があるからこそだというのはわかっている。けれど、どんな理由であってもいいから彼と同じ空間にいて、同じ空気を吸っていたいと思っている自分がいる。それはもう認めるしかない事実だった。


 そのまま、人気(ひとけ)のなくなった教室のひとつに連れていかれた。がらんとした教室は不思議に温度が低く感じられた。「律くん」と低く呼びかける海斗の声が奇妙に大きく反響する。

 自分から呼びかけておきながら、海斗はしばらく口もとを押さえて、次に言うべき言葉をあれこれと吟味しているように見えた。


「……あの。違ったらごめんなんだけど。律くん、もしかして俺のこと避けてる……?」

「…………」


 びりり、と胸の痛みが大きくなった。

 律は唇を噛んでうつむいた。バックパックは無意識に肩から外し、胸元に抱えるような状態になっている。なんとなく、それで海斗へのバリケードを作っているような気がした。これもまた心の距離だ。


「そんな、ことは……ないです」

「いいや。そんなことはあると思う。大いにあると思ってるんだけど」

「そんなことないっ……!」

「いいや、あるよ。だってあんまり不自然すぎるでしょ? この間まで、あんなにしょっちゅう会ってたのに」


 だから。

 あなたが本命の彼女のことまでほっぽりだして、そんなにしょっちゅう自分なんかに会っていたからこうなったんだろうに。そのしわ寄せが、そのままこっちに来たんだろうに!

 大声でそう言いたいのをぐっとこらえた。

 海斗はしばらく黙って、そんな律を見下ろしていた。見上げたわけではないけれど、彼の強い視線が自分のつむじあたりに注がれているのがはっきりわかった。

 やがてそこに、押し殺すような声が降りてきた。


「……納得がいかない。私は納得がいきません、実朝さま」

「っ……ずるい!」


(今、そう呼ぶのは反則だろうが!)


 カッとなって目をあげたら、途轍(とてつ)もなく悲しげな瞳がそこにあって、律は瞬時に固まった。




夕されば 衣手(ころもで)すずし たかまとの 尾上(おのへ)の宮の 秋の初風

                      『金槐和歌集』162



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