18 彦星の
《え、土曜日だめになったんだ》
《ごめんなさい。その日、予定があったの忘れてて》
律は溜め息をつきながら「ごめんなさい」とお辞儀しているイヌのスタンプを海斗に送った。
シュポ、とすぐに返信の音が鳴る。
《そうなんだ。じゃあええと、日曜日は?》
《すみません、そこもダメで》
《そう……》
その時はそれきりのことで、海斗は「また連絡するね」と紳士らしく引き下がった。まさに紳士。ここで食い下がったりする男はあんなにモテたりしないのだ。
……と思ったの、だが。
「土日は忙しい」と伝えたからなのか、翌日の月曜日にまた海斗は連絡してきた。
《〇日はどう?》
《その日も用事で》
《そうか……。急に忙しくなっちゃったんだね》
《ちょっと、レポートとかが重なっちゃって。あと、バイトも始めて》
《バイト? なんの?》
(ええと)
困惑しつつスマホに指を走らせる。
《コンビニです》
《コンビニかあ。大変でしょ》
《そうでもないです。わりと暇な店だから》
《そう》
ああ。どんどん自己嫌悪が積みあがっていく。
本当はバイトなんて始めていない。内向的な律にとって、コンビニのバイトなんて鬼門でしかない。全部嘘だ。彼の誘いを断るための。
高校時代の友人が「そんなに大変じゃないよ。変な客もいるけど、イヤならすぐ辞めればいいんだし」なんて言っていたけれど、理不尽なことを言ってくる客──「カスタマーハラスメント」略して「カスハラ」をする客──をあしらうなんて難易度の高い芸当、律にできるはずがないのだ。
こんなことで将来、ちゃんと働けるのだろうかと心配にもなるけれど、こういう人でも働ける場所をちゃんと探すしかないのかなと思ったりしている。
大学に行くとき、おどおどびくびくする日々が始まった。
これまでなら、「遠くからでも彼の姿が見られればラッキー」と思えていたのに、今ではすっかり怖くなったのだ。周囲をよくよく見まわしてから講義室に入り、廊下を歩くときにも気をつける。「陽キャ」っぽい人たちのグループがしゃべっているのが聞こえたら、まわれ右をして意識的にいく先を変える。万が一にも、彼と出くわさないために。
必死になってそんなことを気にしなくても、幸いにというか海斗の姿を見ることはほとんどなかった。彼は彼で講義やサークル活動で忙しいのだろう。あるいはあの笹原なぎさが、海斗と律が会いにくいようにと動いているのかもしれない。抜け目のない彼女なら十分にありうる話だった。
律も、それならそれでいいと思った。彼に会ってしまったら、自分はきっとみっともなく逃げ出すことしかできないと思うから。彼や笹原なぎさのように、スマートにうまく切り抜けるのはきっと無理だろうから。
◆
それが起こったのは、それから三週間ほど経った頃だった。
「律くん!」
「ひえっ!?」
いつものようにきょろきょろしながら学内の廊下を歩いていたら、いきなりの大声でどすんと背中を突かれた。そんな気がするぐらい強い声だった。
しかし、振り向く前から律にもわかっていた。
それが海斗の声であるということは。
彦星の 行き逢ひを待つ ひさかたの 天の川原に 秋風ぞ吹く
『金槐和歌集』166
 




