序
雪。
宮につながる長い階段の上につもったそれが、列をなして進む正装した男たちの下でぼうっと白く浮かび上がっている。雪ならばそんなはずはないのに、不思議とあたたかみを覚える光だった。
夕刻から降り出し、今もときおり静かに舞い落ちてくる白いものの中を、幕府の要人たる男たちが無言でしずしずとすすんでゆく。
自分はそのとき、晴れて右大臣に任ぜられたことの御礼を申し上げるため、鶴岡八幡宮の儀式に臨んでいたのだった。
彼の父たる執権はそのとき眩暈がおこったとかで参拝の列を離れ、かわりに入った文章博士が自分にしたがってくれていた。それが彼らの命の分かれ道になるとも知らずに。
段をしばらく進み、やれやれもう少しでこの儀式も終了かと思われたそのときだった。
「お覚悟召されいッ」
ものかげから飛び出てきた僧衣の人物。
その面には覚えがあった。
文章博士が一刀のもとに斬り捨てられ、刃は間髪いれずこちらに迫ってきた。
ひと太刀めは、どうにか笏でかわした。
が、ふた太刀めはもう無理だった。
激しい衝撃を覚え、眼前が真っ赤に染まり、やがて真っ暗になる。
足元の雪がぐずぐずと溶けだして、自分を飲み込んでゆくのだとそのとき思った。
「……く、ぎょう」
やっと言えたのはそれだけだった。
子のない自分にとってはわが子と言えなくもない、血のつながりのある青年。不遇を囲った兄の子たるその人は、これまでの日々、さぞや自分への鬱々たる怨恨を募らせていたのだろう……と、そのとき思った。
「……やす、」
最後にぽつりと、やっと言えた。
これまで幾度となく、秘めた想いを隠しながら呼び続けた、かの人の名前だった。
もちろん最期のその声を聞いた者はこの世にいない。
……そう、だれひとりとして。
あづさ弓 磯べに立てるひとつ松 あなつれづれげ 友なしにして
『金槐和歌集』587




