初恋の探偵は、連続殺人鬼だった…(上)
「なんで…なんで……先輩っ…」
そこには、一つの遺体と一人の初恋の殺人鬼がいた。
夕焼けがさす午後五時半、もうじき日が暮れる時間帯だ。
あまりの出来事に、言葉を失い、下を向いて事実から目を背ける。
あまりの事態に脳が無意識に直視するのを避けている。
影がだんだんと大きくなっていき、俺を飲み込む。
その瞬間、俺の腹に激痛が走った。
俺の視界は暗闇の中に落ちていった…。
――場面が変わって少し前。
「はぁ~あ、今日も依頼なしかぁ~」
そんな怠惰で気だるげな、まるで聞くだけで肩に何かがのしかかるような声を発したのは、バディであり大学の先輩でも探偵でもある松野恵美子だった。
「これで記録更新ですね」
からし色のコートの下に、若干黄ばんだワイシャツ、その内ポケットに入っている古臭い操作手帳、昭和の刑事さながらの格好の中で彼女の艶やかな黒髪ロングはとてつもないギャップを醸し出していた。
大学時代から…ずっと変わらない格好と、変わらない夢。
彼女と一緒にミステリー小説のサークルで活動していたのも、記憶に新しい。
今時探偵なんて物好きな奴と俺含め誰もが嘲笑したものだったが…。
顔はどちらかというと、タイプだが…身だしなみが壊滅的…。
そんな彼女に会いたくて…この寂れた探偵所に就職を決めた俺も俺で物好きか…。
「連続で依頼が全く来なかった日数」
「そんな記録更新したくないよぉ~」
ばたばたと自分のディスクの上で手をたたく彼女を横目に俺はコーヒーをいれる。
すぅっと夕焼けが差し込む雑居ビルの風景、いつもとなんら変わらない風景に、俺はふとコーヒーを片手に大学時代を思い出す。
「私にもコーヒー…!」
…とふと感傷に浸ろうとしていた俺を彼女の若干いらだちを含んだ声が現実へと引き戻す。
「コーヒーくらい自分でいれてくださいよ」
「お前は私の羊なのだ」
「あ、間違えた…。執事なのだ…!」
そんな先輩を見ながら、ふと可愛いなまったくもう…!と思ってしまう。
その瞬間、だった。
プルルルルルルル、という発信音と同時に電話が鳴り響いた。
「はい、どういたしましたかぁ?こちら掟上探偵事務所ですが?新規のご依頼ですかぁ?」
コーヒーの件で不機嫌なのか、それとも最近依頼が全く来ていないから不機嫌なのか。
どっちかは分からないが、その口調は何処かふざけ半分に聞こえる。
「は…?はい…?…一体何…どうされましたっ!?」
先輩の口調が一気に緊迫した物に変わっていく。
その顔は先ほどまでとは打って変わって青ざめているように見えた。
「あの…」
何かあったんですか?という風に顔を覗き込む。
すると、先輩は青ざめた顔のまま受話器を差し出してきた。
何も言わずにそれを受け取ると、すぐに耳に当てる。
「……ぁ…ぁ…ま…だ…ま…に…あ…う…」
まだ間に合う…?途切れ途切れだがそう聞こえた。
その声色は、尋常ではない事態が起こっているのだということを示していた。
「掟上…五丁目……たす……けて…く…」
俺はすぐさま上着を羽織、探偵所を飛び出した。
先輩が何か言っていた気もしたが、聞き取れなかった。
掟上五丁目…まだ間に合うはずだ…俺は自転車にまたがり風を切るように自転車をこぐ。
瞬く間に景色が横を通り過ぎていく。
あの角を曲がればもうすぐ…。
一瞬、過ぎていく景色の中で見慣れた…それでいて、異質な光景を路地裏の目の端で捉える。
「なん…だ…あれ…っ」
思わず口に出してしまい、咄嗟に急ブレーキをかける。
きゅぃきゅーと音をたてながら止まると、前の方へと体が慣性で押し出される。
慌てて自転車を投げだし、さっき目の端で捉えた光景の路地裏まで戻る…。
――そこには、一つの死体と一人の初恋の殺人鬼がいた。
「なんで…なんで……先輩っ…」
夕焼けがさす午後5時半、もうじき湯が暮れる時間帯だ。
一つの死体の前に…先輩が立っていた…。
そんなはずは…ない…ありえない…。
確かに先輩は俺が飛び出す時、探偵所にいたはず…。
先輩はゆっくりとこちらの方を向くと、段々と一歩一歩踏みしめるように歩いてくる。
俺はただ、そのまま立ち尽くしていることしかできなかった。
夕焼けが当たる位置まで来ると、その手に持っているものがきらりと光った。
それは、俺の腹へとすっと突き立てられた。
瞬間、俺は激痛に襲われる。
その痛みで、ようやく現実まで引き戻された俺は咄嗟に自分の腹を抑えてうずくまり苦悶に満ちた表情で今まで上げたこともないような唸り声を発する。
「う…うぁ…ぁぁぁぁぁあああぁあぁぁ……っ」
先輩は追い打ちをかけてくることもなく、まるでさっきまでの俺みたいにボーっと立ち尽くしている。
そのまま…ゆっくりと影に飲み込まれていく先輩を見ている俺の視界は段々と暗闇に飲まれていった…。
――君は、なんで私についてきてくれるの?
そんな言葉が走馬灯のような映像とともに遠くの方から聞こえる。
昔、大学時代に推理小説サークルの新歓で誰も来なかった時桜道の下で聞いた台詞。
そして探偵事務所で新人社員が誰も来なかった時にも聞いた台詞。
そんな遠い記憶の中のセリフのはずだ。
段々と視界がクリアになっていく。
いつの間にか痛みも消えていて、意識もはっきりしてくる。