第6話. 現実は悲痛
今回は或視点の話になります。
あの日、『僕』はずっと彼女を待ち続けていた。
「また後でね」と友達に呼ばれた彼女は『僕』に笑いかけ、友達の後を追っていってはどこかへと消えていく。
『僕』は彼女の言葉を信じて、ずっと彼女を待ち続けた。
花火が終わり盆祭り大会が終盤になり、先程まで忙しかった来場客が次々とここから離れても。
流石に盆踊りが終わってしまえば、会場には居られない。
それは重々承知だから、僕は今度彼女を待つのはあの場所で――そう決めていた。
そう決めて、1日、3日、1週間、1ヶ月――1年。否、翌年もあの場所で『僕』は彼女を待っていたというのに。
彼女はいつまで経っても、『僕』の元に帰ってくることはなかった。
そして『僕』が再び彼女の近況を友人から聞いたとき、『僕』は自身の耳を疑った。
友人の言葉を嘘だと思った僕は、すぐさま彼女へと会いに行く。しかし自身の目ではっきりと目にしたのはこの悲痛な現実を肯定でしかなく。
彼女が――神代恋が『僕』以外の誰かに笑いかけるなんて信じたくなかった。
信じたくたくなくとも、結果は既に在る。
彼女は、あの時『僕』の元に帰ってこなかった。
笑って友達と盆踊り会場を回って、友人と別れ、そのまま家へと帰ったのだろう。『僕』のことなど綺麗さっぱりに忘れて。
いくら『僕』と彼女があの場所で会おうとも、彼女は『僕』に声を掛けることさえしなかったのだから。
正直、『僕』は彼女に強引に迫らなかったことを悔いている。
でなくば、ここまで悲惨な現実などなかった。
なにせ彼女に名前すら覚えられていないのだから、彼女が『僕』を思い出すことは絶対にない。
その現実が、異様なまでに痛くて仕方なかった。
だから『僕』は、気が付けば既にこの世からいなくなっていた。
彼女が愛おしすぎて、憎くて、どうにかしてやりたくて、毎日のように彼女を想い、その結果、僕は『ばけもの』になってしまった。
『僕』の抱いていた感情だけが浮き彫りにされて、それだけが僕を形成したのだ。
ただ僕は、誰にも認識されることなどない。
何せ、僕は彼女への愛憎の塊だから。
正に生霊が如く、ふわふわとこの世をさ迷って、僕は再び彼女の前に現れた。
しかし、だとだとしても。彼女は僕を覚えていない。それも当然のことだろう。
なにせ元あった姿などほど遠く、『僕』とはとてもかけ離れた容貌に生まれ変わっているのだから、例え彼女が奇跡的に『僕』を思い出したとて、「はじめまして」と挨拶を返されるのが関の山だ。
髪色も、髪型も、体格も、目元も、声も全てが違う。
正直気味が悪かった。
でも、彼女が僕を好いてくれるならと願って、僕は僕を変質し続けた。
いつかきっと彼女が僕を見てくれるときがきたら――そしたら彼女は僕に振り向いてくれるだろうか。ただそう切に無力に願い続けて。
と未だ終わらない変質を続けながら、あっという間に15年の月日が経っていた。
この15年の間に、僕はまた髪色も、髪型も、体格も、目元も、声も変わっていた。
ずっと彼女の理想になるためだけに、自身を捏ね繰り続けたその末路がこれなのだ。
幸いなことに、どれだけなにを弄ろうと僕の体は痛むことはなかった。
けれども、心だけは毎度痛んだ。
どうして気づいてくれないの? ——そうやって彼女を恨んで。
きっと彼女が僕に気づいてくれたら、幸せだろうなぁ――そう脳内にいる彼女に語りかけては今を妬んで。
本当なら、今すぐ彼女を僕と同じようにしたい――そう憎しみと破壊衝動だけが募って。
だとしても、結局は愛情だけが育ってしまった。
この10年、僕は彼女を見守り続けていた。
僕は彼女に視認されないことをいいことに、ずっと彼女の傍を離れることなく、いつだって一緒にいた。
だから、彼女がこの15年のうちに付き合っていた人の名前さえ知っている。
彼女が恋人と出かけたときも、失恋して泣いたときも、いつに如何なるときもその忌々しい恋愛遍歴を脳裏に刻まれている。
彼女の恋愛遍歴だけではなく、彼女が送った人生をいつ何時何分何秒の出来事まで――家族に苦しめられて泣かされたときも、誰かに傷つけられて人を信用しなくなったことも、いつしか現実を見ることを諦めた理由だって知っている。
だからこそ、ああ言った。僕は何1つ嘘は吐いていない。
だって理解しているから、分かりすぎているから。
だから僕は、あの女に感謝すべきなのかもしれない。
あの女が彼女の心を折ってくれたから、今こうして無事僕は彼女と会えた。
彼女には名前と自身の存在を偽ったが、それ以外に嘘はない。
雑貨屋に行ったときに、買ってくれた偽物の天然石のブレスレットをお揃いで持てたときの喜びも。
粉ものと白米の相性を疑って食べたものの、美味しかったという感想も。
仕事に疲れ切った彼女を抱きしめたとき、癒したいと思ったことさえ。
僕は正真正銘の狂気だ。
姿もない、彼女にしか見えない存在。
彼女以外に愛しいものも憎いものもなく、害を加えることもない名前のない怪物。
僕が『僕』の存在を明かすときは、彼女がこっち側へ来てからだ。
彼女が全部いらないと、僕以外いらないと思ってからだ。
そうして僕に依存させて、愛という猛毒を思う存分に飲んだ後に明かすのだ。
「久しぶり、神代さん」
『レディ』などとそんな有象無象な形容詞で、彼女を呼ぶことなどない。
このときだけ、僕も時計の針を過去へと戻そう。
彼女の苗字を呼んで、『僕』がいたころの口調でまた彼女に話しかけよう。
全てを知ったら、彼女はどう思うだろうか。
きっと気持ち悪いと思うかもしれない。けれどそれ以上に、彼女は喜ぶはずだ。なにせ彼女はこうでもしないと愛を信じれない。
今まで偽物ばかりを見せられたから、いよいよ目が曇ってしまった。だから本物の愛情を感知することも出来ない。
「15年間、ずっと君のことが好きでした」といえば、きっとそれは素敵だろう。
彼女がずっと憧れた純朴な御伽噺のように、ありきたりだけれども現実には決して存在しえないような夢想。そんな下らないものに、未だ彼女が憧れているのも当然ながら知っているのだから。
けれども僕の愛情は、僕という存在は、彼女の求める『本物』はそんな陳腐なものなんて求めてなどいない。
だから、その一言だけは言わない。
今日も、明日も、明後日も僕は機を窺う。
彼女がいとも容易く僕の元へと堕ちてくるのを、虎視眈々と。
そのときまで、貌も名もなく、ただの見えない妄想と自分を偽ろう。
―—なんて、ようやく痛みに悩むことなく眠る彼女を横目に僕は思っていた。
うっかり彼女の浮かべる苦痛の表情に胸が痛んで全て明かしそうになったが、僕はただ逸る気持ちを抑える。
「……まぁだ、だよ」
なんて、まるで悪魔のように笑い、歌うように呟いて彼女の――『僕』達にとって、なにより愛しい好きな人の黒髪を指で軽く梳く。
ああ、一体、彼女はいつになったら、ここまで堕ちてくれるのだろう。
そんな溜息交じりの言葉は、誰に聞こえる訳でもなく、薄暗い虚空に消えた。
皆様お久しぶりです、織坂一です。
久々の更新ですが、今回は初めて或視点となります。
或の正体はこの話を読んでも依然と不明ですが、彼の正体が明かされるのはもっと先になります。
ちなみにこれは或の本心なので、割と或は従順ワンコではなく、愛憎拗らせたヤベー奴です。
無論、恋は或の本性を知らないので、正直或からして今の恋との暮らしはある種の復讐もしくは茶番ですね。本当にそれで人を好きといえるのか、少々彼の人格を疑ってしまいますね。
しかし、15年越しの片思いは怖いです。
後、note版は10年となっていますが、諸事情で15年になってます。すみません。
次回は、2人のイチャラブ回に戻ります。




