第5話. 現実は苦痛
今回は少々リバースなどの汚い表現が含まれます。
なので、お食事前やお食事中の閲覧はお勧めしません。それを前提にどうぞ。
こんなのあんまりだ、と私は痛みに悶えてはふと思う。
現在私・神代恋は、とてつもない不調に見舞われている。
しかしそれを周囲に隠してなんとか上手くやり過ごす――なんて軽々しく口に出来たのも、もう1時間も前に過ぎ去ってしまった過去で。
「おーい、レディ。 生きてるかい?」
絶賛絶不調な私に生存確認をしつつ、意識を保たせてくれているのは思念体の或。
或曰く、彼は私の妄想の類から生まれた存在で私にしか見えないご都合主義の理想イケメンだという。
さて。なぜ齢30にもなるいい歳した大人が、床を這いずる寸前のまま痛みに耐えているのかというと、事の始まりは2日前まで遡る。
つい2日前。私は会社でいつものように休憩時間中にコーヒーを飲んでいた。
この日の気温は既に24度。初夏に差し掛かる最中だというのに、私はそんな中、ホットコーヒーを淹れて飲んでいたのだ。
なぜホットコーヒーなのかというと、休憩室に持ち込んだ私物のインスタントコーヒーがホットにしか対応していないからである。
そもそも自販機で90円のコーヒーを1日に1缶購入することで、1ヶ月にどれだけかかるか考えてみて欲しい。
1ヶ月30日換算で270円。これを約12ヶ月だから、さらに乗算。
これらの出費を考えると持ち込んだ方が早いと考えた私は、会社にマイマグカップとインスタントコーヒーを持参している。
ただ私は5年前に1度胃に穴が開きかけた経験をしており、その間はコーヒーを絶っていた。
だが数か月後に医者から許可をもらえば、私のコーヒー常飲生活はまた再開したわけだ。
さらにカフェインがないと眠くなる私は1日1杯ではなく、1日に2杯とコーヒーを口にする機会は増えていく。
これだけならば、誰もが送っていてもおかしくないことである。
しかし私の場合、多大なるストレスとだらしない食生活により、元々弱い胃はさらに軟弱となり、さらにさらに――—。
その結果が、今これである。
今、なんとか僅かな食事を胃に詰め込み、既に口の中は血の味でいっぱいで、唾を飲み込むことすら辛い。
当然、胃薬を飲むなど無理な話。いや、そもそも胃薬を飲むこと自体が無理なのだ。
なぜかといえば、それは家族間で抱えている問題が原因である。
この家族間での揉め事を生んでしまったのは、不幸ながらも父が原因であった。
私の父はなにかとあればすぐに病院に罹る体質で、それは私が産まれる前からだったらしい。
若い頃からほぼ年中どこか体調不良を訴え、病院で診てもらうたびに問題なし。
対して私の母は、こんな大げさな父に毎回嫌気が射していたという。
年中不調を訴えるその様が見苦しく、だというのに父は母が体調不良の際、父は母を病院に連れていくこともしなかった。
私は幼いころからそんな両親を見て育ったし、現に幼いころ熱に苦しんでいた母の姿をよく覚えている。
だからこそ、母は常々父の文句を言っていた。そしてそれは、他者に対しても同じこと。
残念ながら妹は父に似て、年中体調不良を訴えている。
少し頭が痛くなればすぐに頭痛薬を飲み、その頻度は週に何度どころか毎日見かけている。
また運悪く、私もストレスが原因で胃に穴を開けたりする常習犯だ。それは母もよく知っている。
だからこそ、ここで薬に頼るなんて選択肢を取れば、母はうるさい。
また恨み言のように、薬がないと生きてはいけない大げさな奴いった文句を私に張り付ける。
それだけでなく厄介なことに、母は例え体調不良であろうと料理を無駄にすれば不機嫌になるのだ。
それで母の機嫌を取るべくまた私は平静を装って、料理を胃に無理に詰め込む。
しかしこの日は、既に限界だったため、朝から胃が痛いことは母に伝えていた。
またストレスが原因と睨んだ母は、ストレスなんて溜めないようにと苦言を漏らすが、仕方がないではないか。
ストレスなんて、抱えている本人すら何が原因なのかも分からないことが多い。
さらにストレスの原因が仕事だったりする場合、一体どうすればいいのか。
職場の環境を変える? 無理だ。
ではいっそ仕事を辞めてしまう? いい案だろうが、あまりにも現実的ではないし、やってしまえば取り返しのつかないことになるだろう。
もしかしたら今以上に劣悪な環境に置かれるかもしれない。さらにはこの不況で再就職などより難しい。
だから人々は上手くストレスと上手く付き合っていく。しかしそれが上手く行かないときもある。
なのに、その不条理を全て自己責任とするのはあまりにも酷い。
今も重く鈍い痛みを訴える頭と、内側から抉られるような胃の痛みを抱え、私は皿を丁寧に洗い続けている。
もう痛みは最高潮であり、正直痛み止めに手を出してしまいたい。
しかし、痛み止めを飲めば母が口うるさくなるのは自明。
極端なのは分かっている。
体調不良が続くのに、ほぼ医者に罹らず様子を見て、その結果何度か入院した経験があってもなお、私は薬や病院といったものを避ける。
それがまた両親や家族を不快にさせるだけと知っていても、怖いのだ。
そうやっていつまでも文句を言われるのが嫌だ。
全部ストレスのせいにして、自分の自己管理が甘いだけだと責任転嫁されるのも嫌なのだ。
なにより、お前たちが心配しているのは私ではないと知っているから。
なにもかも嫌だ。こんな現実が嫌だ。
鈍く、鋭い矛盾する痛みだけが私を内側から壊していく。
いたいいたいいたいたいいたいいたい――痛みは毎秒強くなっていき、先程口にした料理さえ戻しそうになるがなんとか気合い1つで耐えてみせる。
そんな馬鹿馬鹿しい抵抗をしつつ、1人で痛みに苦しむ中、背後で或が不安そうに私を見ているのが分かってしまう。
ああ、さすがだ私。こんなときでも、いや、こんなときだからこそ自分を冷静に客観視出来るのか。そうだったな、あのころからそうだ。
一瞬、私は痛みで視界が揺らぐ。その瞬間、隣の部屋から妹の笑い声が聞こえた。
その笑い声は、弱った体の聴覚に敏感に響き、不快感へと変わる。さらに異分子が体に負担をかけると、私の胃の痛みも加速していく。
「分かってる」
その瞬間、或が背後から私をそっと撫でた。
或の撫でている箇所は腹部——ちょうど胃のあたりだ。そして耳元で、優しく「大丈夫だから」と囁いている。
「大丈夫だから、分かっているから。辛かったよね、痛かったよね? 君はそんな思いをいっぱいしてきた。ずっと、ずっと……」
苦痛に咽ぶ中、いつも甘く蜜のような或の声音は、相変わらず甘くて胸やけを起こしそうになる。しかし不快感など1ミリもなく。
むしろ今は安堵さえ感じていて、或の声があるからこそ、私は手を止めることも嘔吐することもなく皿を1枚1枚と洗い続けられている。
あまりにも或が「分かっている」というものだから、一瞬、私は「お前に私の何が分かる」と反論したくなった。
現に或と暮らし始めてまだ数日しか経っていない今、彼が私の全てを理解出来ているなど到底思っていない。
こんなことを普段ならば思わないが、所詮お前は尻尾を振る犬のように、私にとって都合よく生きているだけの存在ではないか。
そんな家族へ当たり散らせない弱虫な私が、身勝手すぎる不満を或へとぶつけ続ける。思わずそれが口に出そうになるも、或は私に反論すらさせなかった。
まるで或が私の脳みそをコントロールしているかのように、いっそ頭痛は彼に頭をかき乱されているからではないかとまで錯覚し始めてくる。
結果、痛みと不快感はだんだん消え失せていく。
「大丈夫、分かっているよ」と或が繰り返しいうたびに、痛みは消え、痛みに悶え苦しむ私自身ですら、「大丈夫」と思えるようになってくる。
そして、或は最後の皿を洗い終わったときにこう囁いた。
「僕だけは君の味方だからね。僕は君のもの。奴隷だろうが飼い犬だろうが、肩書きは問わないよ。ただ――」
そう囁くと同時に、一瞬或は見えない手で私の視界を覆った。
「女の子が泣くのは見るに堪えない。そりゃあ僕にとって君は全てだしね。……それに、淑女が頬を濡らすならまだしも、鼻水を垂らすなんてだらしない」
といっては、鼻を拭う仕草さえしてみせる。当然だが、或は鼻水を拭うことなど出来ない。
触れているのは感じている。しかし彼は偶像だからこそ、現実に干渉出来ない。
それはあまりにも薄情だと、無情だとどこか悔しがりながら、或は最後に背後から私を抱きしめてはこういう。
「痛みは尽きないよ、生きている以上は。とても苦しい思いを君はこれからもしていくだろう……でも、僕は分かっているから、全部。分かった上で、僕は大丈夫だって君に言うよ。だって僕がいれば大丈夫だもの」
確かに或のいう通り、生きて行く上ではあらゆる痛みはつきものだ。
しかし、それでも勝手に大丈夫だと決めつけるのはあまりにも傲慢すぎる。
そんな大丈夫だなんて根拠はない――と私が脳内で逡巡すると同時に、或はそれを遮った。
「大丈夫なの。僕にとって君が唯一かつ世界すべてであるように、逆もまた然りなんだ。だから世界の主である僕が大丈夫というならば、きっとそれは問題ない」
そんな不条理を、或は平然と口にした。
誰かがいいというなら、誰かがいればいれば他の物は全部どうなったっていい――或がいいたいことはこうだ。
しかし、そんな固執は所詮は依存ではないか。
そう、私は昔教えられたし、自分自身で経験している。
依存というものは猛毒で、いとも容易く人を壊す。
そんな毒を流し込まれてしまえば、また私は壊れてしまうではないか。
それはとても怖いことだし、もう思い出したくない。
けれども、或の声を聞いていると、全てを「いいか」と許容してしまいそうになる。
私は、初めて或と会った日のときを思い出す。
確か或は私と初めて出会ったときも、軽快な口調と声音とその見た目だけで容易く私を落としてみせた。
しかし違いがあるとすれば、気持ちの重さである。
今の或は、あのときのようにナンパするかのような軽快さで話してはいない。
一言一言が重く、だからこそ或の口にする一字一句が身に染みる。
染みて、染みて、染みて――結果、私は容易く傾く。
傾いて、また私は戻るのだ。
「僕はずっと君の傍にいるからね、恋」
そう初めて或が私の名前を口にした瞬間、私の時計の針は過去へと戻り、錘を乗せた天秤のネジは外れた。
もういいのだ、彼だけがいるならばなにもいらない。
なんて幼稚すぎる思考が、あまりにも勝手すぎる不条理が私の中で誇大化して浸食していく。
気づけばもう不調は一切感じず、胃あたりに当たった或の手の感触だけが感知出来た。
或の手の重さは、不可視の存在とは思えないほどに重い。
まるで彼は本当に存在しているようで、男性特有の手の重みだけがなぜか生々しかった。
意外と恋の家庭は複雑というか、少々難ありですね。まぁストレスを溜めすぎるのも問題なのですが、そこは問わないことにしましょう。
ただ今話で恋の闇が明かされましたが、同時に或の闇も徐々に明かされています。
彼自身、本文中ではワンコですがはたして彼の真意は如何に……。




