第66話 航空主兵
「鷲一番より第一次攻撃隊へ、敵迎撃戦闘機隊を発見。約一〇〇機の編隊が二つ、やや遅れて同規模の編隊が同じく二つ。高度はこちらとほぼ同じだ。急ぎ上昇に転じよ」
鷲一番の符丁を与えれらた空戦指揮官が座乗する先行偵察機。
その指揮官の指示に従い、最先任の「大和」戦闘機隊長の元町少佐は各機に高度を上げるよう命じる。
第一次攻撃隊は「大和」型空母からそれぞれ二個中隊二四機、それ以外の空母から一個中隊一二機の合わせて三三六機の烈風からなる。
「第一艦隊ならびに第二艦隊は先行する編隊を、第三艦隊ならびに第四艦隊は遅れてくる編隊を叩け。あと一分ほどで視界に捉えることが出来るはずだ」
軍隊においては、腕の立つ者ほど素早い。
つまり、先行する二群は他の二群よりも平均練度が上だと見ていい。
だから、こちらもまた腕利きの多い第一艦隊と第二艦隊を敵の先鋒にぶつける。
空戦指揮官の意図はそういったところだろう。
「数は同等かあるいは敵のほうが少しばかり優勢といったところか。だが、この程度の差であればそれは誤差の範囲だ」
そう考えている「葛城」戦闘機隊長の三里大尉の目に青い空から黒いゴマ粒が染み出してくるのが映り込んでくる。
それらは徐々に飛行機のシルエットを形づくっていった。
「そろそろ頃合いか」
三里大尉がそう思った瞬間、敵戦闘機の両翼が光る。
予想通りのタイミングで撃ちかけてきた敵戦闘機に対して三里大尉は機体を捻り、その射弾を躱す。
そして、敵戦闘機と交錯すると同時に旋回をかける。
両翼に仕込まれた自動空戦フラップがその機能を果たし、零戦を上回る旋回性能を烈風に与える。
それに伴って発生する強烈なGの苦痛を代償に、だがしかし烈風は容易に敵戦闘機の後方にそのポジションを置くことがかなう。
照準器に映る敵戦闘機はF4Fワイルドキャットに似ているが、しかし明らかにボリュームに差があった。
おそらくは初見参のF6Fヘルキャット戦闘機だろう。
いかにも頑丈そうな機体だ。
二一〇〇馬力を発揮する木星発動機を搭載する烈風は機体の軽さも相まってその加速は鋭い。
三里大尉は一気に距離をつめ、両翼にある四丁の二号機銃を放つ。
低伸性に難のあった一号機銃とは違い、二号機銃の弾道特性は良好だ。
ベルト給弾機構の開発成功によって二五〇発を装備しているからすぐに弾が尽きることもない。
真っすぐに伸びていった火箭はそのことごとくがF6Fの発動機やコクピットに吸い込まれていく。
機銃弾としては破格の威力を誇る二〇ミリ弾をしたたかに浴びたF6Fはエンジンから火を噴き、赤く染まったガラス片を撒き散らしながらミッドウエーの海へと墜ちていく。
「青木代われ!」
我ながらえげつない殺し方をしてしまったと少しばかり反省モードに入った三里大尉に替わり一番機のポジションについた青木一飛曹は上官を見習うかのようにピンポイントで別のF6Fのコクピットを粉砕、あっさりと屠ってしまう。
あまりにもあっけない、あまりにも一方的な展開に三里大尉は敵戦闘機隊の搭乗員の練度がさほど高くないことをすぐに理解する。
「おそらく、急激な空母や飛行機の増勢に対して、そこに乗せる人材の養成が追いついていないのだろう」
なるほど米国は戦争が始まってからわずか二年の間に一七隻もの空母を擁する一大機動部隊を造り上げた。
その建艦能力とその背景にある工業力は脅威の一言でしかない。
だが、優秀な搭乗員はそうもいかない。
一年生や二年生であれば、どれほど才能に恵まれていたとしても自分はともかく青木一飛曹や魚崎飛曹長、それに住吉飛曹長といった熟練には遠く及ばないだろう。
そう考えている三里大尉をしり目に青木一飛曹は二機目、三機目を立て続けに平らげていく。
空戦開始時には自分たちと同数かあるいは多かったはずのF6Fは、しかしあっという間に少数派となっている。
生き残ったF6Fは必死になって逃げ回っているが、速度性能に差があるのかあっという間に烈風に追いつかれ、そのまま餌食となっていく。
そこで、三里大尉は己の傲慢に気づく。
「搭乗員の腕だけではない。機体性能の差もまた大きかったのだ」
手合わせをしたF6Fは紫電改ほどではないものの、それでも零戦よりは明らかに優速だった。
運動性能もまた零戦には及ばないが、それでもP40やF4Fに比べれば明らかに向上していることが見てとれる。
そのことで、三里大尉の背中に嫌な汗が流れる。
「乗機が烈風ではなく零戦だったとしたら、あるいは日米の立場は逆転していたかもしれない。少なくとも劣速の零戦ではF6Fに追いつくことも逃げ切ることも出来なかったはずだ」
そう、空戦において勝負を決めるのは搭乗員の技量だけではないのだ。
敵に勝る性能を持ち、かつ信頼性の高い機体。
つまりは、機体設計に携わる技師や、あるいは製造現場の技術者や工員の働きなくして強い戦闘機の存在はあり得ない。
電星による情報支援もまた欠かせない。
そして、それらのベースとなるのは優秀な人材と潤沢な予算だ。
もし仮に、帝国海軍が航空主兵主義ではなく従来の大艦巨砲主義であったなら、その予算と人材の多くが戦艦や重巡洋艦に注ぎ込まれたはずだ。
そうなれば、新型機の開発ペースは遅れ、数を揃えることもまた困難だったことは間違いない。
「もし、仮に帝国海軍が大艦巨砲主義のままであったなら、今でも零戦で戦うことを強いられていたかもしれんな」
仮に零戦でF6Fと戦うことになったとしても三里大尉は十分にやりあうことが出来ると考えている。
だがしかし、それは戦前に入念な鍛錬が出来た、つまりは恵まれた立場であったからこそだ。
経験の浅い若年兵であれば、零戦でF6Fに立ち向かうのは拷問以外の何物でもないだろう。
「結局は上層部が有能だったからこそ今があるのか」
いくら現場の将兵が粉骨砕身、懸命の努力をしようとも指揮官が無能であればそれらの多くは水泡に帰す。
大艦巨砲主義が幅を利かせる中、しかしどの海軍列強よりも早い段階で航空主兵に移行し、その戦備を整えてきたからこそ最新鋭の烈風の数もまた揃えることが出来た。
そして自分たちは誰よりもその恩恵に浴している。
三里大尉はそのことを今さらながらに再認識した。




