第63話 ミッチャー提督
昨年、少将に昇任したと思ったら、あっという間に中将にでっち上げられた挙句、第五艦隊の指揮を執ることになった。
八隻の正規空母と九隻の軽空母、それに一六隻の巡洋艦と六四隻にもおよぶ駆逐艦を指揮することになったミッチャー提督は旗艦「エセックス」のCICでこれまでのことを振り返っている。
開戦当時、ミッチャー提督は空母「ホーネット」の艦長だった。
その時点で「ホーネット」は慣熟訓練を完了しておらず、そのことでウェーク島沖海戦に参加することがかなわなかった。
そのことに対し、ミッチャー提督は落胆していたのだが、逆にそれが自身の命を救ったこともまた理解していた。
ウェーク島沖海戦に参加した六人の空母艦長のうちで生き残った者は誰一人としていなかったからだ。
同海戦ではハルゼー提督やフレッチャー提督といった名だたる機動部隊指揮官、それにスプルーアンス提督をはじめとした将来の合衆国海軍を背負って立つと期待されていた有為の人材をそれこそ大量に喪失した。
そのことで恐慌に陥った合衆国海軍上層部はミッチャー提督を「ホーネット」から降ろした。
今後大量生産される空母を率いることが出来る、つまりは空母艦長となるべき人材を彼に育成してもらうためだ。
ミッチャー提督もその期待にこたえ、合衆国海軍でただ一人生き残った正規空母の艦長として彼はその知見を後進たちに惜しみなく伝授していった。
しかし、その間にも合衆国海軍はハワイ沖や英本土沖で敗戦を重ね、養成に二〇年さらには三〇年とかかる佐官や将官を数多く失ってしまう。
それもあってか、開戦時点の一九四一年には大佐だったミッチャー提督は一九四二年には少将に、さらにそれから一年あまりで中将となった。
これは、第五艦隊を率いるのであれば少将では貫目不足だからだろう。
つまりは少将を無理やり中将にでっちあげたのだともいえる。
自分以外の者も似たような状況だった。
本来、正規空母や戦艦といった大型艦の艦長は、同じ大佐の中でも少将昇任を目前とした古株の者が就任するのがふつうだった。
しかし、正規空母の「エセックス」級はともかく、小型の「インデペンデンス」級の艦長はそのいずれもが中佐に毛がはえたような大佐ばかりであり、駆逐艦の艦長に至ってはつい先日まで大尉だった者も少なくない。
「一見したところ、合衆国海軍は開戦時よりも遥かに強くなったように見える。艦艇だけを見れば誰もがそう思ってしまうだろう。単純な空母の数だけで言えば三倍近くに増勢され、巡洋艦や駆逐艦もまた高性能のものを数多く揃えることが出来た。
だが、それらとはうらはらに、人材のほうは危険なまでに払底している。艦長らの経験は浅く、実戦経験が無い者も珍しくない。
艦隊の屋台骨を支える中堅士官や下士官も戦死が相次ぎ、そのことで明らかに艦隊の術力は開戦時に比べて低下している。
母艦航空隊も実戦経験を持つ者は飛行隊長や中隊長といったごく一部の者に限られ、残りは訓練で好成績を収めたいわゆる訓練エリートがそのほとんどを占めている。
各艦隊の頭脳ともなるべき参謀スタッフも、かつては大佐か中佐あるいはせいぜい少佐までだったのが、今では尉官の者までが存在するという話だ」
ミッチャー提督は思う。
確かに合衆国は大型正規空母を一年半で建造するという化け物じみた能力を持つチート国家かもしれない。
だが、人間のほうはそうはいかない。
通常であれば、一人前の士官と言われる大尉に一〇年、一個戦闘単位を任せられる中佐であれば二〇年はかかると言われているが、同じ人間である以上、合衆国もまたそれについては例外ではないのだ。
だが、それでも戦闘部隊である第五艦隊はまだ恵まれたほうだということもミッチャー提督は理解している。
船団護衛や本土周辺の警備任務にあたっている部隊に配備されている人材はそのほとんどが二線級の将兵で占められ、それが災いしてドイツのUボートやあるいは日本の潜水艦にいいようにやられているとのことだ。
それに比べれば、確かに第五艦隊の状況はマシなのだろう。
そう考えているミッチャー提督のもとに参謀が現れ、その彼から凶報がもたらされる。
「ミッドウェー島が敵の水上打撃艦艇による砲撃を受けているそうです。敵の数は不明。最初の砲撃で爆装していた航空機に火が入りそれらが誘爆、火勢が強すぎて手が付けられないとのことです」
参謀からの報告に、ミッチャー提督は自身と、そして太平洋艦隊司令部が情報戦で敗北したことを悟る。
合衆国海軍は敵と対峙するとき、なによりも敵の指揮官のプロファイルを重視していた。
敵の指揮官の性格を知ることによって、その者がどのような手を繰り出してくるかを予想するのだ。
そして、第一機動艦隊は開戦から一貫して山本大将がその指揮にあたっていることが分かっている。
その山本は物量を背景に常に手堅い戦術を取り、決して奇策に走らない人間だと評価されていた。
実際、これまでの一機艦は多数の戦闘機によって制空権を確保、次に戦爆連合で相手に大打撃を与え、仕上げが必要な場合は水上打撃艦艇がこれにあたるというパターンで戦っている。
さらに二度にわたってオアフ島を業火の海に沈めた「長門」と「陸奥」が日本本土にあることで、艦砲射撃の可能性は極めて低いものだと考えられていた。
だがしかし、合衆国海軍はその思い込みを突かれてしまった。
おそらく、ミッドウェー島に展開していた一五〇機のF4Uと一〇〇機のB24、それに五〇機ほどのカタリナはそのほとんどが使い物にならなくなったはずだ。
「第五艦隊の巡洋艦戦隊を救援に出すのはいかかでしょうか。一機艦には巡洋艦しかありません。一六隻の『クリーブランド』級軽巡ならびに『アトランタ』級軽巡を差し向ければ十分に撃退できると考えますが」
出番到来とばかりに勢い込む砲術参謀の言葉に、だがしかしミッチャー提督は首を振る。
「巡洋艦が欠けてしまっては艦隊防空網に大きな穴が開いてしまう。それに、今からではもう間に合わん。残念だがミッドウェー島の航空戦力はあきらめるしかない」
そう答えつつ、ミッチャー提督は覚悟を決める。
夜が明ければ日米双方が索敵機を出し合い、互いに相手の正確な位置の把握に努めることになる。
その後は双方ともに艦上機を繰り出し、それを拳として殴り合う。
KOされれば負けだが、判定に持ち込めばこちらの勝利だ。
もちろん、相手をKO出来ればベストだが、さすがにそれは望みすぎだろう。
「まだ、第一ラウンドを取られただけだ」
ミッチャー提督はその思考リソースを夜明け後の洋上航空戦に振り向ける。
後悔よりもまずはこれからのことを考えるべきだった。




