第51話 皮肉
昭和一八年一月
海軍御用達の某料亭
欧州における一連の戦いで陣頭指揮にあたった第一機動艦隊司令長官の山本大将、その彼をねぎらうという建前で堀海軍大臣と塩沢軍令部総長、それに吉田連合艦隊司令長官の海兵三二期同期の四人は防諜の行き届いた海軍御用達の某料亭で一堂に会していた。
「半年近くにわたった欧州遠征、まことにご苦労だった。夏に貴様が出撃したと思ったら、秋を飛び越えてすでに新春だ。一般に、齢を取ると時間が過ぎるのが早く感じるようになるというが、まさにその通りだな。
それにしてもだ。欧州では誠によくやってくれた。英国は講和とはいえ実質的にはドイツに降伏した。これに伴い、米国の欧州解放という大義名分もまた大いに毀損されることになった。実際、米国では厭戦気分が日ごとに高まっているという。そして、これこそが我々にとっては何よりの戦果だ」
山本長官に笑みを向けながら、堀大臣が現下の米国の状況を話す。
それとともに、英国が戦争から脱落したことでカナダやインドをはじめとしたイギリス連邦を構成する各国もまたその動きに追随したこと、それとアジアの各地では独立の機運が盛り上がっていることも付け加えた。
「山本はあれほど多数の艦艇を、しかも長期にわたって指揮していたのにもかかわらず、わずかに損傷艦を出しただけで、そのすべてを持ち帰ってくれた。米国に対して建艦能力で大きく劣る我々にとってこれほどありがたいことはない。連合艦隊を代表して俺からも礼を言わせてもらう」
吉田長官から頭を下げられる一方で、だがしかし山本長官は小さく首を振る。
「確かに艦艇のほうは当初想定していたものより遥かに小さな損害で済んだ。しかし、それは艦上機隊が常に制空権を掌握してくれていたからだ。
だが、一方で一機艦は作戦の全期間を通じて少なくない搭乗員を失った。彼らの働きがなければ艦艇の被害はこんなものでは済まなかっただろうし、作戦の成功も覚束なかったかもしれん」
第一機動艦隊は常用機だけで一〇八〇機、予備のそれを含めれば三〇〇〇人近い搭乗員を擁していたが、しかしそのうちの一割近い搭乗員を遠く欧州の戦場で失った。
中でも、北大西洋海戦で米艦隊を攻撃した第一艦隊の「大和」と「比叡」、それに「天城」と「葛城」の艦攻隊は損耗率が二五パーセント近くに達する大損害を被っている。
戦死した搭乗員はそのいずれもが一騎当千の熟練であり、そのことで帝国海軍が受けた傷は浅くない。
「艦上機隊の損害については軍令部でも深刻に受け止めている。緩降下爆撃にしろ雷撃にしろ、いずれの戦術も敵艦の至近にまで肉薄する必要があるが、これでは機関砲や機銃を大量に装備し、そのうえ優秀な射撃指揮装置を持つ米艦艇を相手取った場合には相当な損害を覚悟せねばならん。実際、北大西洋海戦では帝国海軍でも最高峰の技量を持つ第一艦隊の艦攻隊が大損害を被った。
そこで、帝国海軍もドイツにならい、遠距離から敵艦を狙い撃てる誘導兵器の開発をさらに促進することとなった。
幸いなことにドイツからHs293やフリッツXの技術ならびに現物をすでに提供してもらっている。ただ、一式艦攻に搭載するにはHs293はその形状が、フリッツXのほうは重量が過大なのでそこらあたりの手直しが必要だ。
で、現在は両者の長所や短所を比較しているところだが、おそらくはHs293をベースにしたものが開発の俎上にのぼるはずだ」
塩沢総長の言葉に山本長官は納得顔で首肯する。
北大西洋海戦の折、山本長官は米艦隊攻撃から戻ってきた一式艦攻の惨状を目の当たりにしている。
翼や胴体に無残な弾痕が穿たれ、中には翼の少なくない部分が欠損し、よくこれで帰還できたと思えるくらい手ひどくやられた機体の姿もあった。
山本長官はHs293やフリッツXがどういったものかは知らなかったが、それでも爆弾や魚雷よりも遠くから敵艦を攻撃出来る兵器であるのならば、多少威力が劣っていたりあるいは命中率に直結する信頼性が低くても採用すべきだと考えている。
まずは、何においても搭乗員の安全が優先されることは、いまさら言うまでもない。
「で、今後はどうするのだ。英国が戦争から降りたことで米国は欧州解放という大義名分を失った。それなのにもかかわらず戦争を継続中だ。米国民の厭戦気分は相当なところまで進んでいるとは聞くが、それでもなぜ連中は戦争を辞めようとしない。最後まで戦い続けているソ連に義理立てをすることもあるまいに」
山本長官が軍政を司る堀大臣に顔を向け、言葉を飾らず端的に問う。
「まず、米国の国務省をはじめとした役所には相当な数の共産党分子、もっとはっきり言えばソ連のスパイが食い込んでいる。それと、もうひとつ大きな存在として米国の経済界に大きな影響力を持つユダヤ人のそれがある。つまり、政治や行政の中枢にはソ連の意を受けた連中、そして経済界にはドイツに対して敵意を燃やすユダヤ人たちが大勢いるのだ。
庶民は戦争を辞めたがっている。これは事実だ。だが、一方で権力者階級のほうは戦争継続派が優勢だ。そして、ルーズベルト自身もかなりの容共派でありドイツを叩くことを自身に課せられた使命だと思い込んでいる節がある。だから戦争を辞めようとしない」
山本長官も堀大臣も、そして塩沢総長も吉田長官もその誰もが三国同盟に反対してきた。
そのようなことをすれば、米国と干戈を交える事態が惹起しかねないと、そう言って。
そして、米国と戦争になったことでそれが正しかったことが証明された。
だが、一方でドイツの技術が無ければ今後の展望が見いだせないことも事実だった。
飛行機ひとつとってみたところで、ドイツからもたらされる優秀な電装品や潤滑油はすでに必要欠くべからざるのものになっているし、英国との講和によってドイツが得た高オクタンガソリンの現物やあるいは製造技術の知見も一機艦の欧州派遣の見返りとして提供してもらえることになっているが、しかしこれもドイツの事情あるいはヒトラーの気分次第でどうなるか分からない。
あれもこれもドイツ頼みというのは、兵学校同期の四人からすれば皮肉以外の何物でもない。
しかし、それでもその現実を受け入れて前に進むしかなかった。




