第50話 収穫
マーシャル沖で太平洋艦隊を、次いでインド洋で東洋艦隊を、そして北大西洋で英米連合艦隊を撃滅した帝国海軍将兵らは当時、得意の絶頂だった。
太平洋を挟むライバルに打ち勝ち、遥か遠い背中だったはずの師をも超えた。
だがしかし、英国との休戦協定によってロイヤルネイビーの戦備の一端を垣間見る機会を得た担当者らは肝を冷やした。
英国のそれと比して日本は一〇年以上遅れているのではないのかと思わせるものがあったからだ。
英国の水上打撃艦艇はそのほぼ全艦が射撃レーダーを装備し、空母は当たり前のようにカタパルトを実装している。
もちろん、帝国海軍もまたそれらは一応は実用化されている。
しかし、英国では駆逐艦以下の小艦艇はもちろん、商船でさえレーダーを装備しているものも珍しくない。
その充実ぶりは軍はともかく国家レベルでの比較に関して言えば雲泥の差だった。
また、性能や信頼性についても、しょっちゅうトラブルを起こしている帝国のそれとは大違いだ。
それはつまるところ、防錆や防水をはじめとした化学や工業力がハイレベルであること、それに品質管理が適切になされているということだろう。
さらに、PPIスコープやIFFといった、帝国ではその概念すらも知らない者の多い技術をすでに英国は実用化している。
PPIスコープなど、日本の技術者から見ればそれはまるで空想科学小説の世界から抜け出てきたような装置だ。
レーダーだけではない。
駆逐艦をはじめとした対潜艦艇に装備されている聴音機やソナーは帝国海軍のものよりはるかに性能が良く、艦体や機関の静音性にも十分配慮がなされている。
また、配備が始まったばかりだったというヘッジホッグは日本人技術者や将兵らに強い印象を残した。
もし、これがあと少し早く実戦投入されていれば、あるいはUボート部隊は壊滅的打撃を被っていたかもしれない。
さらに、無駄の無い動線を提供する各種設備の配置、それに短艇の出し入れをはじめとした日常生活における装備の使い勝手も英艦艇のそれは帝国海軍のものよりもずいぶんと洗練されている。
居住性に至っては月とスッポンだ。
結局のところ、これまでの戦いではたまたま日本側の艦上機戦力が米艦隊や英艦隊のそれを大きく凌駕していたから勝利できたというだけで、同じ数であったならば、その技術力の差から帝国海軍は敗北を喫していた可能性が高い。
間違いなく日本の技術は英国に、そして米国に大きく立ち遅れている。
そのことを理解した技術者ならびに海軍上層部は英国が持つ技術を貪欲に吸収していった。
それは、帝国海軍のそれより遥かに進んだ航空管制やハンターキラーをはじめとした戦術面においても同じことだった。
しかし、英米と日本とのあまりの技術格差に恐怖するだけでは何も始まらない。
相手の強さを認め、それに対する恐怖を原動力にこちらも強くならなければならない。
だがしかし、何よりも帝国海軍が、枢軸側が震撼したもの、それは暗号が筒抜けになっているのが判明したことだった。
ドイツ軍が完璧だと思い込んでいたエニグマ暗号は英軍によってすでに完璧に読み解かれてしまっており、帝国海軍のD暗号もその多くが米海軍情報部によって解読されているという。
そのうえ外交暗号や商船暗号に至っては完全に敵の知るところとなってしまっていた。
このような有り様で英国を屈服させられたのは僥倖以外の何物でもない。
日本軍やドイツ軍の諜報関係者らは、自分たちがいかに無能だったのかをこの一件で思い知らされた。
これ以降、日本やドイツの情報管理は峻厳を極めていくとともに、スパイの摘発にも力を入れていく。
アプヴェーアが英秘密情報部から手に入れたリストによって。
一方、おそるべき技術を持った旧敵だからこそ、利用価値もある。
英国はドイツとの協定によって米国ならびにその周辺諸国との貿易が事実上不可能となり、食糧をはじめとした生活必需品は欧州との貿易のみによってその入手が可能となっている。
つまり、英国は食糧を人質にとられ、そのことでドイツには逆らえなくなった。
そして物を買うには金が要る。
金を払わなければ、どこも英国に物を売ってはくれない。
物が無ければ国民は飢えて死ぬ。
だから、稼がなければならない。
だが、戦争が終わって軍人が街にあふれ、それ以上に失業者が溢れかえっている。
戦争の終わりとは軍需産業をはじめとした好景気の終焉でもある。
それでも造船業のほうは失われた船腹を回復すべく今しばらくは安泰だったが、軍備を著しく制限された航空産業はそうはいかない。
そして、その窮状につけ込むかのようにして帝国海軍はスピットファイアの帝国海軍仕様版ともいうべき戦闘機をメーカーに発注した。
お安くしてねと言って。
高高度性能が低い零戦と紫電しか持たない帝国海軍にとって、スピットファイアはそれを補うことができる願ってもない機体だった。
それと、生産が始まって間もない金星発動機の一八気筒版である木星発動機をこれも英メーカーに生産委託、大量発注した。
同発動機を搭載する機体は今のところ帝国海軍には最新型の局地戦闘機しか存在しないが、大出力の木星の使い道は今後いくらでもある。
その木星は日本で生産する場合は熟練工の腕を持ってようやくその性能が保証される精緻な発動機だと思われていた。
しかし、英国の技術者から見れば何ら奇をてらったところのない、ただ枯れた技術の良いとこ取りをしただけの普通の発動機にしかすぎなかった。
英国で造られた木星は油漏れもなく、電装系は日本では考えられないくらい上質なパーツが使われ、その性能も信頼性も日本で製造されたそれより遥かに上をいくものだった。
そのうえ材質の差なのか工作精度の差なのか、同じ発動機であるはずなのに英国製の方が燃費や出力といった諸々の数値が明らかに良好だった。
喜んでいいのか悲しんでいいのか何とも言えない状況ではあったが、このことで新型機の開発が一気に進んだ。
また、帝国陸軍もこの英国製木星に目をつけ、キ84のエンジンとして大量採用を予定している。
それと、帝国陸軍は接収した戦車をはじめとした英陸軍の装備をイタリア陸軍とともに山分けしていた。
このことで、帝国陸軍はかねてからの念願だった本格的戦車を装備する機甲師団を編成、訓練が終わりしだい大陸へ派遣することにしている。
帝国陸軍は援蒋ルートを断ち切られて苦境にあえぐ中国軍にとどめを刺すつもりだった。
英戦車を大量に獲得した帝国陸軍は、一方でドイツからも四号戦車の最新バージョンの供与もまたこれを受ける予定となっている。
かつて堀海軍大臣と塩沢軍令部総長の間で話が出た、一機艦の欧州派遣の後押しに貢献のあった帝国陸軍に対するドイツからの報酬なのだろう。
これら四号戦車で帝国陸軍は自分たちにとっての切り札的存在となる嚮導部隊を編制、これまで予算不足のせいで暗黒時代だった戦車部隊に光明を差す組織として関係者らからは「暗光」と呼ばれることになる。
他にも高性能無線機やIFFをはじめとした航空艤装も数多く導入、そのことで帝国陸海軍の航空隊は機体や装備のみならず、各段に進化を遂げる航空管制をはじめとしたその運用や組織形態、つまりは戦備そのものを大きく変質しようとしていた。




