第38話 東洋艦隊
「事前情報によると、こちらに向かってきている日本艦隊の戦力は『長門』と『陸奥』を主力とする水上打撃部隊とそれに四隻程度の空母を基幹とする機動部隊ということか」
ソマーヴィル東洋艦隊司令長官の再確認の意を込めた問いかけに情報参謀が小さく首肯しつつ説明を続ける。
「我が国の情報部だけでなく、米国の諜報部門も同様の結論に至っていますから、確度の高い情報だと思われます。それと、豪州方面に南下を続けている日本艦隊ですが、こちらはかねてからの噂通り連合艦隊司令長官の吉田大将が指揮を執っていることが確認されました。連合艦隊のトップが直々に出張ってきた以上、彼らの狙いはポートモレスビーや豪州北部の諸都市の攻略ではなく、ブリスベンの潜水艦基地あるいは都市そのものの破壊ではないかとの分析も上がってきております」
日本との戦争が始まって以降、太平洋やアジア地域における連合国の劣勢は明白だった。
開戦劈頭のウェーク島沖海戦で太平洋艦隊は壊滅し、五隻の戦艦と六隻の空母を一挙に失うという大敗北を喫した。
英国が受けた傷もまた深く、マレー沖で最新鋭戦艦の「プリンス・オブ・ウエールズ」ならびに巡洋戦艦「レパルス」を撃沈され、アジア地域における最大の要衝だったシンガポールもすでに陥落している。
「つまり、日本軍の本命はブリスベンの攻略あるいは破壊であり、こちらに向かっている二個艦隊については陽動ということか」
ソマーヴィル提督は今度は作戦参謀に向き直り自身の推測が正しいかどうかの確認作業をする。
他者の意見や知識を加味することで自身の推測の補強あるいは問題点を洗い出す作業はやっておいて損は無い。
「日本軍は豪州、おそらくはブリスベン攻撃に向かっていると思われる艦隊の側背を突かれないようにインド洋に艦隊を差し向けたのでしょう。現在、アジア太平洋地域で日本艦隊に対抗できる戦力を持つものは東洋艦隊を置いてほかにありません。太平洋艦隊は復興途上のうえにその主力は西海岸防衛のために動けませんし、豪艦隊は日本の艦隊に比してその規模があまりにも小さすぎます。
つまり、東洋艦隊さえ抑えておけば、豪州に向かっている艦隊は背中を気にせずに地上攻撃に専念できるということになります」
作戦参謀の言葉にうなずきつつ、ソマーヴィル提督は自身が受けた命令を思い返している。
「東洋艦隊はインド洋を死守せよ」
海軍上層部ははっきりとは言わないが、つまりは豪州を見捨てろということだ。
おそらくはチャーチル首相の判断だろう。
あの冷徹な現実主義者はインド洋失陥と豪州脱落を天秤にかけたのではないか。
もし仮に、ブリスベンが攻撃され、そのことで豪州が日本と講和を結んだとしても欧州の戦争にさほど大きな影響は与えない。
もちろん、欧州の戦場における豪将兵の存在は決して小さなものではないが、しかし戦局を覆すようなものでもない。
一方で、インド洋を失えば英国はその戦争経済に破滅的ともいえるダメージを被ることになる。
また、ソ連も米国からの物資援助の大動脈であるペルシャ回廊を断ち切られ、中国もまた援蒋ルートを失うことでさらなる苦戦は免れない。
特に英国とソ連の弱体化は欧州の戦争に決定的な悪影響をもたらす。
それに比べれば、欧州から遠く離れた豪州が失われるほうがまだマシだとチャーチル首相は判断したのではないか。
「仮に日本軍がブリスベンに来るとして、同地の連合国軍は対抗可能か」
あるいは、同盟国を見捨てるという罪悪感がこの偽善に満ちた質問を吐き出させたのかもしれないと自覚しつつソマーヴィル提督は情報参謀に尋ねる。
「まず不可能でしょう。彼我の航空戦力があまりにも隔絶しています。豪空軍はその主力を北部方面に集中していますが、それらはラバウルをはじめとした日本軍航空戦力からの圧力を支えるだけで精いっぱいの状況です。とてもブリスベンの救援に行けるものではありません。
一方、米国のほうも当初豪州に送るはずだった航空隊の一部を西海岸の防衛に回していますから、こちらもさほど支援は期待できません。
豪州としては本土にある戦闘機や爆撃機をかき集めてブリスベン防衛を図る以外に手はありませんが、それにしたところでたいした数は望めません。ない袖が振れぬ以上、打てる手もまた皆無といったところでしょう」
残酷な現実を再認識するだけの問いを発したことを少しばかり後悔しつつ、ソマーヴィル提督は近い将来においてブリスベン市民を襲う悲劇を想像する。
日本軍はオアフ島攻撃に際し、軍事施設や港湾施設だけでなく発電所や浄水場といった社会インフラを徹底的に破壊していったという。
さらに性悪なことに、同島周辺にたくさんの機雷を散布し、それらのことが相まってオアフ島の復旧は困難を極めているというのだ。
ウェーク島沖海戦にせよハワイでの戦いにせよ、日本軍のやることは徹底している。
相手が完全に息の根を止めるまで攻撃の手を緩めないのだ。
そして、その傾向はここインド洋でも変わらないだろう。
彼我の戦力について、空母は三対四と劣勢。
そして肝心の艦上機の数はさらに差が開く。
最低でも二倍、下手をすれば二倍半近くの開きがあるかもしれない。
だからこそ、中途半端は許されない。
攻めるにせよ守るにせよ戦力の集中は絶対条件だ。
そして、どちらを選択するかはソマーヴィル提督はすでにその決断を下している。
一方で戦艦のほうは五対二とこちらが圧倒的に優勢だ。
個艦の性能では「長門」「陸奥」に後れをとるものの、しかし二倍半もの数の差はあまりにも大きい。
東洋艦隊はここに活路を見出す。
逆に言えば、それ以外に取りうる手段は無かった。
高速部隊
空母「インドミタブル」「フォーミダブル」(戦闘機二六、雷撃機五〇)
重巡「コーンウォール」「ドーセットシャー」
駆逐艦六
低速部隊
戦艦「ウォースパイト」「ラミリーズ」「リヴェンジ」「レゾリューション」「ロイヤル・サブリン」
空母「ハーミーズ」(戦闘機一〇、雷撃機七)
軽巡「エメラルド」「エンタープライズ」「ダナエ」「ドラゴン」
駆逐艦八




