第37話 偽装
「連合艦隊司令長官が、それもはるばる遠く豪州にまで出張るというのか。格下の太平洋艦隊司令長官でさえ自らが最前線に赴くような真似はしておらんぞ。それに指揮官先頭、率先垂範はもはや過去の話だ。平時ならともかく戦争の真っ最中に連合艦隊司令部が長期間留守にしてどうする。連合国相手の戦争指導は一日たりとてその空白は許されんはずだろうが」
前線に出張ると言う吉田長官に対し、呆れの表情を隠そうともせず山本長官が翻意を促す。
「連合艦隊司令長官が太平洋艦隊司令長官より格上かどうかは知らんが、心配には及ばんよ。ブリスベン攻撃に行くのは俺だけであって、参謀長以下の幕僚たちはこれまでと同様、日吉で勤務に精励する。それに、俺のいない間は塩沢がサポートに回ってくれる」
呆れの表情から疑念のそれに変化した山本長官がその視線を向けてくるなか、塩沢総長が吉田長官の後を受ける。
「吉田がブリスベンにまで出張るのは本人の希望もあるが、別の意味もある。米軍は相手の戦力研究には余念が無いが、敵将のそれも例外ではない。吉田がブリスベンに行くという情報はかなり早い段階で米軍や豪軍の知るところとなるはずだ。まあ、そうなるように諸々仕込みはすでに済んでいるのだがな。そして、指揮官の格というものを考えたら、連合艦隊司令長官自らが出張るブリスベンこそが主攻で、一機艦司令長官が行くインド洋を陽動あるいは東洋艦隊を抑え込むための助攻と考えるだろう。
それと、だ。
作戦開始前に『大和』『武蔵』と『長門』『陸奥』の電信員らを一時的に交代させる。彼らの打鍵癖を利用して『長門』を含む水上打撃部隊はインド洋に、そして『大和』を基幹とする機動部隊はブリスベンに向けて進撃していると思わせるためだ。なにせ、通信部門の熟練は電信員の打鍵癖でその軍艦の特定が出来るというのだからな。まあ、どこまで効果が挙がるかは分からんが、それでも打てる手はすべて打っておきたい。
それと並行してインド洋方面には一個機動部隊と一個水上打撃部隊、ブリスベンには三個機動部隊が進攻するように勘違いさせるための偽情報も流す。米英ともに帝国海軍に戦艦は『長門』と『陸奥』の二隻しかないことを知っている。一方で、空母は一六隻保有していることも知っているからそれを四つに割ったということは一個機動部隊が四隻の空母から成るという推論あるいは結論に至っているはずだ。
そうであるならば、東洋艦隊司令長官はインド洋に来寇する帝国海軍の戦力は四隻の空母と二隻の戦艦だと思い込むはずだ。そうなれば、こちらの手の内がバレない限りは間違いなく東洋艦隊は一機艦の前に立ちはだかってくる。
そして山本、お前が五四〇機の艦上機をもってその東洋艦隊を叩き潰す」
塩沢総長にしては珍しい長広舌を受けて山本長官は脳内で算盤を弾く。
予想される東洋艦隊の戦力は戦艦が五隻に空母が三隻程度と見積もられている。
こちらの目論見通り、相手が日本側の戦力を二隻の戦艦と四隻の空母だと勘違いすれば、おそらく戦いを避けるような選択はしないはずだ。
インド洋方面における日本側の戦力を過小に見せるために、あるいはブリスベン攻撃こそが本命だと思わせるために連合艦隊司令長官の吉田大将をわざわざブリスベン攻撃に指揮官として送り込む。
この一連の作戦の骨子あるいはグランドデザインを描いたのは堀と塩沢で、裏で糸を引くのもまた彼ら二人で間違いない。
そして、その糸で操られるのが自分であり吉田なのだろう。
同期二人にいいように使われるのは少しばかり業腹だが、しかし作戦としては悪くない。
そうなれば、あとはいくつか塩沢総長に確認するだけだ。
「俺のほうの戦力は心配無いが、しかしブリスベンのほうは大丈夫なのか。空母八隻に戦艦二隻、それに艦上機が五四〇機と言えば大戦力には違いないが、しかし相手は不沈空母の都市要塞だぞ」
重ねて懸念を訴える山本長官に、だがしかし塩沢総長は楽観とは言わないまでも余裕の態度は崩さない。
「問題無い。ブリスベン攻撃に関しては零戦を三八四機用意する。つまり第三艦隊と第四艦隊についてはその艦上機の七割以上を零戦が占めるということだ。これに予備の機体を加えればその総数は四〇〇機を大きく超える。
それに、一式艦攻も少ないとはいえ常用機だけで一五六機もある。
これだけあれば、仮に複数の米旧式戦艦が出現したとしても十分に対処出来る。それに『長門』や『陸奥』もあるしな。
それと、吉田は実戦経験に乏しく機動部隊の運用に関してはまったくの未経験だが、しかし第三艦隊司令長官に就任する予定の小沢君も、また同じく第四艦隊で指揮を執ることになる桑原君もこと機動部隊の運用に関して言えば帝国海軍でも五指に入る指揮官だ。航空戦のほうは彼らに任せ、吉田は第五艦隊旗艦の『長門』で全般指揮を執り、もし万一作戦が失敗したらその時に責任者として首を差し出せばいい。
なにより重要なのは連合艦隊司令長官がブリスベンに出張るという事実だ。連合国の連中はそこに必ずなにがしかの理由を見つけようとするはずだ。
しかし、そこに先程説明したこと以上にたいした理由は無い。あるとすれば連合国の俊英たちによけいな思考リソースを無駄に使わせることだけだが、彼らがそれを知る機会は永遠にやってくることはないだろう」




