第33話 真珠湾攻撃
前日に零戦によって航空機ならびに飛行場を、さらに一式艦攻によって米水上打撃部隊を撃退した第一機動艦隊。
その彼らにとって残る直接の脅威は潜水艦を除けばオアフ島要塞と呼ばれる砲台群だけだった。
これらに対し、八隻の「天城」型空母から発進した九六機の一式艦攻が猛爆を加える。
洋上の艦艇に対しては圧倒的優位を誇るオアフ島の砲台群も、空からの攻撃には存外脆い。
これが、戦艦の砲塔を流用した強固な砲台であれば話は違ったかもしれないが、しかしオアフ島にそのようなものはなかった。
さらに、護衛の零戦もそれぞれ腹に二五番を抱えており、一式艦攻が撃ち漏らした相手に対してさらなる追撃を加えた。
一方、四隻の「大和」型空母から出撃した零戦ならびに一式艦攻はオアフ島各地の飛行場を爆撃し、特に零戦隊は滑走路の復旧作業にあたっていた土木車両を執拗に攻撃、二〇ミリ弾によってこれらをハチの巣へと変えていった。
午後になってからはオアフ島を攻撃した零戦に艦隊防空を委ね、それまで上空直掩任務にあたっていた零戦隊が出撃する。
一四四機の零戦はおもに真珠湾を守る対空陣地を空爆、高角砲や機関砲、それに機銃群をそれこそ虱潰しにしていった。
さらに翌日、艦隊防空にわずかな数の直掩機を残し、零戦と一式艦攻は全力出撃する。
目標としたのは電探基地や工廠といった軍事施設のほかに発電所や変電所、それに橋梁や道路といった社会インフラだった。
零戦や一式艦攻は古くなった爆弾の在庫処分とばかりに盛大にそれらをばら撒いていった。
これら攻撃が終わった後で無事だったのは学校や病院など一部の施設のみだった。
完全にオアフ島の反撃能力を奪ったと考えた山本長官は水上打撃部隊を真珠湾沖に差し向ける。
戦艦「長門」と「陸奥」、その二隻の警護にそれぞれ四隻の重巡と駆逐艦が付き従う。
これら水上打撃部隊は海岸線にかなり近づいて砲撃を行うために魚雷艇や潜水艇の襲撃にさらされることが危惧されていた。
そこで、水上打撃部隊の上空に多数の零戦や一式艦攻を送り込み、これらで海上や海中の刺客を完封する腹積もりだった。
「全艦撃ち方始め!」
水上打撃部隊指揮官の命令一下、「長門」と「陸奥」の主砲が火を噴く。
「長門」と「陸奥」が装備する四一センチ砲弾はその重量が一トンに達し、それはつまりは一式艦攻の最大搭載量と同じだ。
さらに、弾速も速いからその分だけ威力も大きい。
その一トン弾が真珠湾軍港の施設に次々に突き刺さっていく。
それらの中で致命の一撃となったのは重油タンク群に対する砲撃だった。
本来、重油は火が付きにくいのだが、しかし四一センチ砲弾から解き放たれる熱と衝撃の前にはそのような性質はまったくと言っていいほどに意味を成さない。
真珠湾を見下ろす位置にあったタンク群から漏れ出した火のついた重油はそのまま湾内に注ぎ込まれていく。
湾内に残っていた小型艇や標的艦はそれら炎に次々に飲み込まれていった。
さらに、敵の反撃が無いことを見て取った水上打撃部隊指揮官は四隻の重巡にも砲撃を命じる。
「妙高」と「羽黒」、それに「那智」と「足柄」はそれぞれ主砲を定められた目標に向けて解き放つ。
四一センチ砲弾の八分の一の重量しかない二〇センチ砲弾も、だがしかし陸軍の基準で考えれば重砲のカテゴリーに属するし、しかも三万メートル近い射程を誇るから対地攻撃にも十分に使えた。
結局、水上打撃部隊のうちで「長門」と「陸奥」は合わせて一〇〇〇発の四一砲弾を、「妙高」型重巡は四隻合わせて二〇〇〇発を超える二〇センチ砲弾を真珠湾に撃ち込んだ。
総計一二〇〇トンを大きく超える鉄と火薬を叩き込まれ、さらに灼熱の重油の洗礼を浴びた真珠湾は文字通り煉獄と化した。
だが、一機艦の攻撃はこれで終わったわけではなかった。
完全に制空権と制海権を奪取した中、補給部隊に随伴していた特設敷設艦によってオアフ島周辺に機雷がばら撒かれる。
触発機雷や感応機雷といった各種機雷がそれこそ惜しみなく海中に投じられていく。
同時に広範囲に及ぶ潜水艦狩りも実施される。
すべての一式艦攻が対潜訓練とばかりに各母艦から代わる代わる発進し、大型水上艦艇に搭載されている水上偵察機や水上観測機もまた同様に海中の敵の捜索に向けて八方に散らばる。
航空機に次ぐ空母の天敵と認識されていた潜水艦に対する帝国海軍の意識は高い。
空母や水上艦艇から解き放たれた艦上機や艦載機は一機艦を監視していた米潜水艦を次々に発見、それらのうちの二隻を撃沈した。
そして帰路、復旧に勤しむミッドウェー島に対して再び空爆を実施、同基地に甚大なダメージを与えるとともにオアフ島攻撃において出番が少なかった駆逐艦に艦砲射撃を行わせた。
こちらは、もともとは駆逐隊司令からの要請であり、おおっぴらにはされていないが駆逐艦乗組員のガス抜きがその主な目的だった。
山本長官も駆逐艦乗組員の不満については理解していたこと、それにそのような負の感情を抱えたまま帰国してもあまりいいことは無いので許可したのだった。
これら一連の戦いで一機艦とオアフ島の明暗を分けたのは間違いなく戦闘機戦力の差だった。
米軍側が陸軍と海軍、それに海兵隊を合わせても二五〇機程度しか用意出来なかったのに対し一機艦は二倍半にも及ぶ六二四機の戦闘機を準備していた。
さらに機体性能も搭乗員の技量も一機艦のほうが明らかに優越していたから、実際の戦力差は数倍にも及んだはずだ。
一機艦は勝つべくして勝ったのだった。




