第31話 ファイタースイープ
オアフ島に複数有るレーダー基地は、そのいずれもがこれまでにない緊張感に満ちていた。
「オアフ島が空襲を受けることなどあり得ない」
これまでであれば誰もがそう考えのんびりと、もっと言えば弛緩した雰囲気の中で作業をしていたのだが、今日に関しては陸海軍の複数の士官に加え、電探の技術者までが夜明け前からやってきて、真剣な表情でレーダーオペレーターを囲んでいた。
通常であれば実施されるはずのない基地の偽装も徹底していた。
どの基地も、レーダーを操作しているのは当直の者ではなく、オアフ島で最も腕が立つオペレーターで固めている。
そのオペレーターたちは休日出勤を強いられたのにもかかわらず張り切っていた。
「オアフ島防衛の成否はいかに敵を早くかつ正確に発見できるかにかかっている。休日のところ申し訳ないが、オアフ島最大の危機に際しては最高のレーダーオペレーターの諸君らに頼みたい」
ハワイ方面陸軍司令長官に直々にそう頼まれては悪い気はしない。
そして、夜も明けきり早い家庭ならそろそろ朝食かといった時間、レーダー基地でどよめきが起こる。
レーダースコープにオアフ島に近づいてくる大編隊が映し出されたのだ。
一目でそれが尋常な規模でないことが分かる。
レーダーオペレーターは進撃方向、速度、機数をすばやく読み取り、後方に控えている陸海軍士官に伝える。
レーダーオペレーターが読み取った情報を陸軍士官は情報集約部門に、海軍士官は臨時に敷設したホットラインを使って予め定められた手順にしたがって日本側艦上機の襲来を各部隊に迅速に伝えていく。
そして、信じられないくらいに早く彼らの上空を味方戦闘機の編隊が次々に駆け抜けていった。
しかも通常のスクランブルとは桁違いの数だ。
外で監視任務にあたる者からの報告によれば、視認できただけでも数十機にのぼるという。
オアフ島の戦闘機隊は日本機の襲来を想定し、完璧な準備をしていたのだ。
レーダー基地の人間は友軍戦闘機を見送った後、すぐにまたレーダースコープとオペレーターに向き直る。
事前に受けた説明では日本海軍の空母は一二隻。
襲来したのは三〇〇機。
ならば、第二波が来る可能性は極めて高いはずだった。
「敵第一波は三〇〇機だ。間違いなく戦爆連合だろう。上空警戒中の機体はただちに日本機を迎撃、護衛の戦闘機を引き剝がせ!
現在発進中の即応待機組は敵の爆撃機、続いて出撃するSBD隊は即応待機組が撃ち漏らした場合に備えて飛行場上空で待機せよ。SBD隊に関しては敵戦闘機との戦闘をこれを固く禁ずる」
航空管制指揮官の指示を耳に入れつつ、P40を駆るジョージ・ライアン少佐は前方に見えるゴマ粒の機動に舌打ちする。
発見時は同じはずだった高度が、しかし徐々にではあるが悪い意味で開いているのだ。
つまり、上昇性能は敵の方が上だということだ。
空中戦とは畢竟、高度の奪い合いだ。
敵の頭上を取ったほうが圧倒的有利に戦いを進めることが出来る。
腕と機体性能が同等であれば、逆転はまず不可能だ。
だが、それ以上にベテランのライアン少佐をして焦燥に駆り立てたのは日本機の編隊があまりにも整然としていたことだ。
一〇〇機ほどの編隊が三つ、いずれの編隊もわずかな綻びすらも見当たらない。
ここから導かれる結論は一つ。
連中は滅法腕が立つということだ。
三〇〇機の連中に対してこちらはP40が九〇機ほどに海軍や海兵隊の助っ人のF4FやF2Aが三〇機ほど。
ほぼ同じ数の即応待機組が少し遅れてこの空域に到達するはずだが、しかし彼らを待っている余裕は無い。
それに、先発組の任務は敵戦闘機の拘束だ。
そして、裸になった敵の爆撃機を即応待機組が叩く。
「第一から第五中隊は左翼、第一一から第一五中隊は右翼、中央は海軍ならびに海兵隊がこれを攻撃せよ」
空戦指揮官からの命令に、ライアン少佐は四四機の部下を引き連れ右翼の編隊に立ち向かう。
敵の半数が戦闘機で固めているとしたら、その数は自分たちとさほど変わらないはず。
そう考えて敵に突っ込んでいったところ、敵編隊はそのすべてが自分たちに向かって上方からかぶさってきた。
同時にライアン少佐は自身の失敗を悟る。
「連中はすべて戦闘機で固めていやがったのか!」
高度でも、そして数でもその劣勢が決定づけられた中、それでもライアン少佐はあきらめない。
撃ち上げてなお低伸するブローニング機銃の性能に賭け、先制の銃弾を浴びせにかかる。
後方からも自分の機体を追い越し火箭が日本の戦闘機に向かって吹き伸びていく。
だがしかし、日本の戦闘機は最小限の機動であっさりとそれらを躱すとそれぞれの翼から明らかにブローニング機銃のそれを上回る太さの銃弾を撃ち下ろしてきた。
同時にライアン少佐の後方で爆発が起こる。
部下の誰かが日本の戦闘機が放った銃弾を食らったのだろう。
頑丈さには定評のあるP40も撃ち下ろしの大口径機銃弾を、しかもカウンターで浴びてしまってはさすがにもたない。
それら日本機と交錯した時点でライアン少佐はその正体がゼロファイターであることを見抜く。
フィリピンで友軍戦闘機隊を、ウェーク島沖海戦で海軍のF4Fを散々に打ち破った空の天敵とも呼べる存在だ。
「敵機を撃墜しようなどと思うな! まずは墜とされないように粘れ!
間もなく後発の即応待機組がこの空域に現れるはずだ。そうなれば戦局は逆転する!」
無線で部下を鼓舞しつつも、しかしライアン少佐はそれが気休めであることを自覚している。
ゼロファイターが三〇〇機なのに対して、こちらは仮に即応待機組が合流したとしても二五〇機に満たない。
それに、この一瞬の間に少なくない友軍戦闘機がゼロファイターによって食われている。
「連中は三〇〇機もの戦闘機を使ってファイタースイープを仕掛けてきた。
一方、俺たちはその数に幻惑されて戦爆連合だと勝手に思い込んでしまった。
そして、そのツケは今、俺の部下たちの血や命で贖われている」
悔悟や後悔といった言葉では到底表しきれない感情を胸に抱きつつ、ライアン少佐は周囲を見回す。
ざっと見たところ、彼我の戦闘機の比率は一対二のそれから一対三かあるいはそれ以上になりつつある。
極めてまずい状況だ。
本来であれば逃げの一手だが、そうなれば今度は即応待機組が袋叩きにされてしまう。
「どうする」
数瞬にも満たない思索が、だがしかしそれが隙となる。
ライアン少佐の直上にあったゼロファイターが垂直と見紛うかのような急角度で降下、二〇ミリ弾を盛大に吐き出す。
機体には小さく虎徹の文字。
次の瞬間P40が爆散、同時にライアン少佐の思念もまた吹き飛んだ。




