第29話 真の目的
「『ホーネット』はいまだ大西洋だ。そしてこの艦がハワイに来ることは無い。今後しばらくの間は同艦は乗組員、それも整備員や兵器員、それに発着機部員といった希少種を養成するための練習空母のような存在としてあり続けるだろう」
そう断言する塩沢軍令部総長の言に山本第一機動艦隊司令長官は米軍の戦備を思い出している。
昭和一五年に米国で成立した二大洋艦隊整備法案は帝国海軍の予想を遥かに上回る規模で戦艦や空母、それに巡洋艦や駆逐艦の建造が計画されていた。
それらは機密情報でもなくオープン情報であり、市販されている商業誌の中には予定艦名まで記されているものもある。
それらのうち、例えば空母であれば一二隻がすでに発注されていることを帝国海軍はつかんでいる。
その一二隻の空母のうちの一隻は「ヨークタウン」級の改良型、つまりは「ホーネット」のことなのだが、残る一一隻については「エセックス」級と呼ばれるまったくの新型で、その規模は「ヨークタウン」級を遥かに上回るという。
帝国海軍ではこれまでに入手した情報を分析した結果、一一隻の新型空母は防御力こそ「大和」型空母に及ばないものの、しかし航空機の運用能力は同等か場合によってはこれを上回るものとみていた。
そして、これら空母を戦力化するとなれば、それこそ万単位の将兵が必要となる。
だが、その基幹要員となるはずだった空母乗り組みの現役将兵たちはそのほとんどがウェーク島沖海戦で戦死するかあるいは捕虜となってしまった。
ここでもし、「ホーネット」まで喪失するようなことになれば、それこそ塩沢総長の言う通り機動部隊の再建は大幅に遅れることになるだろう。
「米空母に関連してだが、悪い知らせがある。どうやら米海軍は建造中の新型巡洋艦のうちの何隻かを空母に改造するらしい。おそらくは『エセックス』級が大量就役するまでのつなぎだと思われるが、それでもベースが巡洋艦だから脚は十分に速いだろうしそれなりの防御力を持っているはずだ。そして、おそらく米国のことだから一隻、二隻ということはなく、それこそ一〇隻程度ならあっという間に造ってしまうだろう。
それと、さらに追加で悪い知らせがある。米国は『エセックス』級を大量追加建造する。残念ながらこれは確定情報だ。その結果、同空母の総数は三〇隻を優に超える。そして、さらに『大和』型空母を遥かに上回る四五〇〇〇トン級装甲空母の建造にも着手したとのことだ」
堀海軍大臣の言に、思案顔だった山本長官の表情が一気に憂いを帯びたものに変わる。
「米国人は新型空母三〇隻に巡洋艦改造空母一〇隻、さらに加えて大型装甲空母まで造ろうというのか」
ようやくのことでつぶやくように言葉を吐いた山本長官に、堀大臣が良い知らせなのか悪い知らせなのか分からんのだがと言ってさらに情報を追加する。
「空母建造を優先したことで米海軍の水上打撃艦艇のほうは大幅な縮小を余儀なくされた。六隻建造されるはずだった四五〇〇〇トン級戦艦は四隻で打ち止め、さらに六〇〇〇〇トン以上と言われていた大型戦艦も建造を取りやめたという。また、三〇〇〇〇トン級の大型巡洋艦、実質的な巡洋戦艦も六隻建造される予定だったところをこちらは二隻しか建造しないとのことだ。つまり、米海軍は本来であれば二三隻建造されるはずだった大型水上打撃艦艇を一二隻しか造らない。
どうにも、ウェーク島沖海戦での薬が効き過ぎたようだな。我々はとんでもない相手に航空機が持つ威力を教育してしまったようだ」
いずれ米海軍も航空機が持つ威力に気づくというのは帝国海軍上層部の共通認識だが、しかしこれほど急激な空母増勢は想定の範囲外もいいところだ。
だがしかし、すぐに気を取り直した山本長官は堀大臣の話の中で気になったことを尋ねる。
「四五〇〇〇トンの空母は建造に着手したばかりだというから、これはまだいい。それよりも『エセックス』級と巡洋艦改造空母の建造の進捗について教えてもらいたい。また、それに対抗する帝国海軍の空母の建造状況もだ」
山本長官の質問を受けて、堀大臣が塩沢総長に目配せをする。
海軍省から軍令部に兵力量の決定権が移管されて久しい。
「『エセックス』級の一番艦はおそらく今年の年末か遅くとも来年初頭には完成し、それらの数が揃いだすのは来年の半ば以降とみている。また、巡洋艦改造空母のほうも一番艦のほうは早ければ一年以内に完成するはずだ。
それから我が方だが、マル四計画の改『大和』型空母についてはその建造を加速している。本来であればこれら艦は昭和一九年後半かあるいは昭和二〇年前半に完成するはずだったが、これを昭和一九年前半に前倒し出来るよう資材や人材を最優先で手当てしている」
マル四計画の改「大和」型空母は四隻。
一方で米国は大小四〇隻の空母の建造に着手しており、しかも四五〇〇〇トン級装甲空母のおまけまでつく。
そのうえ一〇隻にも及ぶ大型水上打撃艦艇の整備も同時並行で行われているというのだからもはや化け物だ。
彼我のあまりの格差に山本長官は眩暈がする思いだったが、その彼に堀大臣は肝心な忠告を与える。
「空母の建造数に幻惑されるな。空母であれ飛行機であれそれを動かすのは人間だ。そして、我々はウェーク島沖海戦で合衆国海軍に甚大な人的ダメージを与えた。組織とは畢竟人と金だ。それは米海軍も例外ではない」
堀大臣の言わんとしているところは山本長官にもすぐに分かった。
米海軍を機能不全にしようと思えば、いくら艦艇を沈めても無駄だ。
金持ちの彼らは高性能艦を次々に造り上げ、それらを戦場に送り出してくるだろう。
だが、人のほうはそうはいかない。
士官で言えば一人前と言われる大尉に一〇年、一個戦闘単位を任せられる中佐であれば二〇年はその養成に時間を要する。
言葉を飾らずに言えば堀大臣は米艦を沈めるのではなく、米兵を殺せと言っているのだ。
ハワイ作戦もその目的を端的に言えば米兵狩りだろう。
堀大臣の考えは感情的には受け入れがたいものがあった。
だがしかし、それが正しいやり方だということも山本長官は理解していた。




