第12話 紫電
昭和一一年の始め頃、大艦巨砲主義から航空主兵主義への戦備変更に邁進する帝国海軍にショッキングなニュースが飛び込んでくる。
米陸軍航空隊が長距離爆撃機、それも四発重爆の開発に着手したというのだ。
すでに帝国海軍が四発飛行艇の開発を進めているのだから、米国が四発重爆を造ろうと考えても何ら不思議ではない。
こと空に関して言えば、米国は日本よりも遥かに進んだ航空先進国なのだ。
それに、日本を遥かに上回る国力あるいは経済力を誇る米国であれば、たとえ高価な四発重爆であったとしても十分な数を揃えることが出来るだろう。
帝国海軍と同様に危機感を覚えたのか、この件については帝国陸軍もまたおおいに興味を示し、帝国海軍と共同で調査に入った。
米国をはじめ関係各国の大使館付武官や間諜を総動員、半年近くかけて調査したところ四発重爆の件に関してはかなり信ぴょう性が高いことが分かった。
もし、仮に米国が四発重爆を手にすれば、配備が始まったばかりの九五式艦上戦闘機はもちろん、開発中の九試単座戦闘機でさえ手に負える相手ではないことは確実だった。
九五式艦上戦闘機も九試単座戦闘機も武装は七・七ミリ機銃二丁にしか過ぎない。
四発重爆どころか双発爆撃機に対してでさえ威力不足は明らかだ。
泡を食った海軍航空関係者は大慌てで大型爆撃機の迎撃を主任務とする局地戦闘機の仕様を策定、その開発をメーカーに指示する。
だが、三菱や中島といった大手メーカーは戦闘機や偵察機、それに爆撃機や攻撃機といった案件をすでにいくつも抱えていて余力に乏しい。
そこで帝国海軍は水上機の製作が得意な川西に陸上機製作の経験を積ませる意味もあって一二試局地戦闘機の開発を指示した。
帝国海軍としては一二試艦上戦闘機こそが本命であり、一二試局地戦闘機のほうは半ばダメ元、うまくいったら儲けものといった程度の期待しかしていなかった。
だがしかし、川西の熱意もあって完成した試作機は意外なほどの高性能を発揮する。
発動機に関しては前倒しで開発に着手した火星を指定していた。
これは一二試陸上攻撃機や一三試艦上攻撃機と同じ発動機にすることでコストの低減や整備補給の便を考えての措置だった。
機銃については開発を指示した段階では大口径の適当なものが無かったことで、仕方なく当面の間は七・七ミリ機銃六丁を装備することとしている。
ただし、開発最終段階にある一二・七ミリ機銃やあるいは導入が決定している二〇ミリ機銃といった大口径機銃が制式採用された場合は、速やかにこれらに換装することとしている。
あとは高速で上昇性能が高いことを要件とし、それ以外については細かい制約を課さなかった。
あるいは、これが良かったのだろう。
川西が造り上げた局地戦闘機は海軍航空関係者の予想あるいは期待を上回るものだった。
九五式艦戦や九試単座戦闘機に比べて発動機出力は二倍以上、火力に至っては三倍となった一二試局地戦闘機はわずかに遅れて開発が始まった陸軍のキ四四に国産戦闘機初の六〇〇キロオーバーという名誉こそ譲ったものの、一方で旋回格闘性能は上回っており、対爆撃機戦闘だけでなく対戦闘機戦闘においても十分なパフォーマンスを持つことが確認された。
そして、この機体は熟成を重ね、昭和一五年に制式採用される。
本来であれば、一二試局地戦闘機はその採用年次から零戦と呼称されるはずだった。
だがしかし、これは一足先に制式採用された一二試艦上戦闘機がすでに持っていってしまっている。
ならば、一二試艦上戦闘機は零式艦戦、一二試局地戦闘機は零式局戦にしようという声があがるが、しかしどう考えてもその名称はあまり芳しいものではない。
零戦に比べて長ったらしいし語感もあまりよろしくない。
このことで海軍機にしては珍しく極秘に愛称を募集することにした。
そうしたところ、その鋭い加速や一撃必殺の武装を持つ機体はまさに研ぎ澄まされた刃から発せられる鋭い光、つまりは紫電ということでその二つ名が決定される。
その紫電は後に発動機の換装や武装の強化、それに自動空戦フラップの追加などによって別の機体と言っていいほどの変貌を遂げることになる。
さらに川西お得意のフロートを付けた紫電の水上機タイプも一年遅れで一式水戦という名称とともに採用される。
こちらは後に強風という通り名で呼ばれることになるが、それはまた別の話。




