遠距離恋愛
「お待たせ。」
透が笑顔で駆け寄ってきた。
「もう、遅れて来ちゃダメっていつも言っているでしょ。時間がもったいないよ。」
純恵は少し怒ったふりをしながら、ぷうぅと頬をふくらませて、笑顔で言った。
遠距離恋愛中の私達は、月一回だけのデートをしている。今は、その大切な一日の始まりだった。
「純恵、怒った顔も可愛いな。」
透がからかう。
「もう。」
照れながら純恵が言った。
「今日は、どこに遊びに行くんだっけ?ゆっくり出来る時間も、ちゃんとあるよね。」
透が聞いてきた。
「うん、もちろん。水族館に行ってから、お昼を食べて、その後は、ゆっくり休憩する時間も取ったよ。帰る時間も予定にいれて考えてあるから、大丈夫だよ。」
「さすがだね。じゃあ、その予定で行こう。」
楽しいデートの始まりだ。
二人で歩き始めると、突然、後ろから声を掛けられた。
「純恵さん、行ってはいけません。」
振り返ると、男性が一人立っていた。
「あんた、誰?」
透がいぶかしげな顔をしながら答えた。
「君みたいな者に、わざわざ答える義理は無いな。純恵さんから離れろ。」
「ちょっと、あんたこそ、何を言っているんだよ?純恵は、俺の彼女だぞ。」
透がカチンとしながら答えた。
「止めて。ケンカしないで。
守さんもです。今日は来ないで下さいってお願いをしましたよね。」
純恵が答えた。
「純恵、この男と知り合いなのか?俺がいない間に知り合ったのか?」
透が聞いてきた。
「先月のデートの次の日に、街で歩いていたら、声を掛けられたの。」
純恵が透に答えた。
「それで、俺たちのデートを心配して見に来る位、もう親密な仲になったと言うのか?」
透が不機嫌そうに聞いてきた。
「透さん、あなたは誤解をしている。確かに、私は純恵さんの心配をしているが、君が考えているような、親密な関係ではない。」
守が言った。
「なんだよ、偉そうに。そもそも俺の純恵の名前を、気安く呼ぶな。」
「守さん、あなたの言いたい事は、分かっています。
でも、私は、あなたの話を聞いて、ちゃんと納得した上で、ここに来ているんです。
ですから、もう私達には、関わらないで下さい。」
純恵が答えた。
「今度は、内緒話か。一体二人で何を話したって言うんだよ。」
透が言った。
「透さん、あなたは本当に何も知らないのですか。純恵さんの言っていた通りですね。
だから、今日私が来たんです。あなた方を助ける為に。」
「止めて。もう帰って下さい。」
純恵が叫ぶように答えた。
「純恵、お前が本当に怒る顔なんて初めて見たよ。どうしたんだ?」
透が心配そうに純恵の顔を覗き込んだ。
「透さん、ごめんなさい。慌ててしまって、つい。守さん、本当にもう帰って下さい。お願いします。」
純恵が悲しそうな顔をしながら言った。
「そこまで言うのなら、帰ってもいいのですが…。
純恵さん、お会いした時にもお話しましたが、このままでは、あなたは本当に死んでしまいますよ。
そして、あなたにまだ言えなかった事も…。」
守が何かを言いかけた時、透が怒って話を遮った。
「おい、お前‼純恵に訳の分からない不吉な事を言うな。」
「いいえ、訳の分からない事ではありません。…事実です。純恵さんがあなたとデートを続けていたら、確実に死にます。」
守は断言した。
「止めて…。それ以上もう何も言わないで。」
純恵が泣きながら、小さな声で言っていた。
「いいえ、お二人の為にもやはりお話します。
透さん、今日の待ち合わせ場所、どうしてココなのですか?」
「はぁ?今度は急に、何を言っているんだ?いつもこの交差点で待ち合わせをしているんだよ。それが俺達のデートの始まりなの。」
「おかしいと思わないのですか?こんな車も人も多い交差点が待ち合わせ場所だなんて。」
「いい加減にしてくれないかな。訳の分からない事を言い始めて。二人の大切な時間がもったいないな。純恵、もう行こう。」
透が言った。
「いいえ、駄目です。大切なのは、これからです。
いいですか、此処にだけ、あなたは来ることが出来るんですよ。
もっと分かり易く言います。
あなたは、自分が亡くなったこの場所からだけ、人間の世界に入って来る事が出来るんです。」
「お前、頭大丈夫か?」
透は呆れ顔で言った。
…しかし、純恵の反応は全く違っていた。
彼女は、涙を流し始めていた。
「純恵、純恵。…どうして泣くんだ?
えっ⁉じゃあもしかして本当の話なのか?俺はもう死んでいるって事なのか?」
透が戸惑い始めた。
「そうです。突然の事故でした。
道路に飛び出した子供を避けるために切った急ハンドル。
トラックはそのまま横倒しになり、あなたはその下敷きになりました。…即死でした。
隣にいた彼女は、間一髪で事故から免れました。
あなたの突然の死を悲しみ、毎日事故現場で花を手向けて泣いていた純恵さん。
ある日、その場所に幽霊のあなたが現れました。
どんな姿であっても、あなたとの再会を喜んだ彼女。
でも、会った次の日には、起き上れない程の疲労感が彼女を襲っていました。
分かりますか?
あなたを人間界に呼ぶにも、そして、あなたがこうしてこの世界にいられるのにも、この世界のエネルギーである『生体エネルギー』が必要なんです。
彼女は、それをあなたに会うために、あなたに与え続けているのです。
人の持つ『生体エネルギー』は、自分が生きていくのに必要なエネルギーですから、容易に作れるものではありません。
だから、もうあなたに逢う事を止めるように彼女には言いました。
しかし彼女は、あなたに会う為に、それをあなたに使い続けています。
その結果が、彼女の命を削っている事になっているのです。」
「そんな…バカな…。僕が死んでいたなんて…。
そんなはずはない。そんなはずは…、いや、でも…」
透が震えながら何かを言い続けていた。
「純恵さん、離れて下さい。
透さんの意識が薄くなってきています。
彼が、もはや透さんではない者になりかけています!」
守が言った。
「えっ、どういう事?透が?…透ではない者に?」
純恵が混乱していた。
守が純恵の手を引っ張り、自分の傍に引き寄せた。
透が苦しそうな顔を浮かべていた。
「とおる…。」
守の隣で、純恵が心配そうに、透の姿を見つめていた。
「ぐぅ!」
苦し気なうめき声と共に、透の身体が一瞬ぐにゃりと歪んだように見えた。
次の瞬間、透が奇妙な笑顔を浮かべ始めた。
「ふぅ、これでこの身体も完全に俺様の物になった。
今までは、いつもこの男が抵抗をしてきて
なかなか思い通りに事が運ばなかったからな…。
ありがとうよ。
お前の話のおかげで、この男は自分が既に死んでいるとようやく自覚したようだ。
その絶望感で出来た心の隙が、この身体を俺にプレゼントしてくれたんだ。
俺は、この男の意識を完全に身体から追い出すことが出来たよ。
はっはっはっ、自由に使える身体は気分がいいな。」
透が…いや何者かが不気味なしゃがれ声で言った。
「やはり夢魔。お前の仕業だったのか!
透さんと純恵さんの二人の想い合う気持ちを利用した上に、純恵さんから『生体エネルギー』まで奪うなんて。
上手く人間界に入り込み、悪さをしようと企んでいたようだが、残念だったな。
お前の気配が、会った直後の純恵さんの身体にまだ残っていたんだ。
このまま大人しく、お前の世界に帰るがいい。それが嫌なら、今お前を退治するまでだ。」
守が言った。
「ふん、人間の分際で俺様に指図するな。お前に何が出来る。」
夢魔が薄ら笑いを浮かべながら言った。
「私が誰だか分からないのか?
私は、お前が考えているようなただの人間ではない。
私は、『 陰陽師 』だ!」
守は、今まで隠していた霊力を一気に開放した。
「そんな、今まで陰陽師の気配など、お前からは何も感じられなかったぞ…。
…まさか、気配を完全に消せるほどの上級な陰陽師だと言うのか…。
しまった!」
夢魔が慌てて、その場から逃げ出そうとした。
「申し訳ありませんが、決して逃しませんよ。」
守は、そう言うやいなや、韻を踏み始めた。
「ぎゃ~。」
夢魔は、苦し気な顔になり、みるみるその姿が小さくなっていった。
そして夢魔の姿は、跡形も無くすぅっと消えていった。
守は、息を整えてから、純恵の方をゆっくりと向き、話し始めた。
「純恵さん、先日のお話の中で、あなたに1つ言えなかった事がありました。
この話をしたら、あなたはどんな事をしてでも彼にまた会おうとすると思い、言えませんでした。
でも、あなたの彼への想いは強くて、結局あなたが彼に再び会うのを止める事は出来ませんでしたがね…。
言えなかった事、それは、透さんがあなたの命を夢魔から守っていた事です。
夢魔が言っていましたよね、透さんがいつも邪魔をしていたと…。
透さんは必死で抵抗していたのですよ。
夢魔があなたの『生体エネルギー』の全てを吸い尽くそうとしてた事を。
しかし、彼の抵抗出来た事は、それが精一杯のようでしたね。
あなたに逢いたい・あなたを守りたいと思う気持ち以外の意志の決定権は、ほとんどがもう夢魔のものだったはずです。」
「透が、私を守ってくれていた?」
純恵が言った。
「そうです。夢魔と普通の人間が精神力で戦う事は、とても難しいことです。それだけあなたの事が大切だったのでしょう。
夢魔は、あなたと彼が想い合う絆の強さを利用しました。
その二人の気持ちの強さのおかげで、この世界への入り口を開くことに成功したのです。
もう分かっていますよね。夢魔は、あなたが彼の死を受け入れられなかった心の弱さに付け込んでいたのですよ。
いいですか、悲しみや苦しみから逃げてばかりいては、いけないんです。
無理に彼の事を忘れる必要はないのです。素敵な思い出と共に、彼の死もちゃんと受け入れてあげる、強い心を持って下さい。
そうしないと、その心の弱さに、また別な闇の力が近づいてくるかもしれませんよ。
あなたを守るために、夢魔を自分から追い出そうと戦っていた彼は、最期まで必死で頑張っていたんですよ。
その苦しんでいた彼の表情は、あなたも先程見ていましたよね。
彼の為にも、これからのあなたは、もっと心を強くして下さい。」
守は優しく、そして力強く言った。
そして守は、純恵に別れを言い、どこかに行ってしまった。
…誰の心の中にも弱い部分・
隠したい部分がある…
その心の闇に付け込んで
近寄ってくる魔物がいる。
それは、人間の姿をしている時もある。
悩みを抱いているそこのあなた…
もしかして、あなたの悩みを深くするような手伝いをしている人が
隣にいたりしませんか?
その隣にいる人は、大丈夫ですか?
それは、ちゃんとした本当の人間ですか?