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百箇日

作者: パキ夫

 その墓は、小高い丘の上にあった。

 お年寄りでも登れるように配慮された、段差の低い石段をゆっくりと登ると、そこには墓地があった。さして広くはないが、かといって窮屈さを感じるほどでもない。こぢんまりとした場所だった。

 それは共同墓地だった。さまざまな一族の墓が、思い思いの向きで、形で並んでいた。

 町が管理しているのか、地域住民のものなのかは分からなかった。古くからあるものではなく、しかし昨日今日できたものでもない。せいぜいできて20年といったところで、そこには墓地が墓地としてあった。

 自然が支配している感もなく、過度に人工的な気配もない。格式や荘厳さが強迫観念とまではならず、役所が決めた細かいルールもない。

 それは、人が自然の中でその存在を高らかに主張することなく作りあげた空間だった


 その墓地の片側中央部に、祖父の墓はあった。祖父と、これから入る祖母の墓だった。

 そこからは、おそらく墓地と同時にできた小学校のグラウンドが見渡せ、その向こうにはのどかな田園風景が広がっていた。

 田があり、山があり、川がある。

 家があり、線路があり、ごくたまに電車が走る。そんな風景だ。


「水を汲んできてくれ」

 叔父にそう言われて僕は、端っこにある共同の水道に向かった。

 蛇口を捻ると赤茶けた水が出た。しばらく流してはみたが、時折思い出したかのように茶が混じる。

「水、茶色いよ」

 僕は母にそう声をかけた。

「ああ、それはしょうがないのよ。そのまま汲んできてくれる?」

 そう言われて僕はしぶしぶその水を汲んだ。


 墓の所に戻り、母が古い花を取り出した花立に汲んできた水を入れた。

 炎天下で腐った花立の水は、えもいわれぬ香りを醸し出したが、丘を吹く風がすぐにそれをどこかへ運び去っていった。僕はそのまま水を注ぎ続け、溢れた水で花立を洗った。

 母が新しい花を供えて、僕がいつもの癖で水鉢に水をあげている途中でふと気づいた。

「これ、水あげたら納骨できないよね」

「ああ、そうだったな。いいさ。あげてしまったものは仕方ない」

 叔父はそう言って、その墓の中央部を引き出し始めた。


 叔父が、ビール一杯分の汗をかくのと引き換えに、その地方名産の石で作られた墓の前部が引き出された。そこには、墓外部の整然とした造詣とはアンバランスな、切り口の荒い穴が開いていた。

 これは祖父母の墓であるから、当然内部には祖父の遺骨があるかと思ったが、そこに骨壷はなかった。数十年ぶりに光の入った穴の奥に見えたのは、白くて丸い、薄っぺらい何かだった。

 最初僕は頭蓋骨の欠片かと思った。長く風雨にさらされたか何かの拍子で骨壷が壊れ、骨が散らばっているのだと。

 しかし、それにしてはその白片はあまりに綺麗過ぎた。周りにも骨壷の欠片や骨の欠片は見当たらず、黄土色の地面の上に、ただそれだけがあった。


「茶碗。そうか、骨がないから……」

 そう母が言った。そして僕は合点がいった。

 祖父の骨は、ないのだ。食い詰めて船乗りになった祖父は、50年前に行方知れずとなった。だから、遺骨と言えるものはなく、その代わりとして祖母が、祖父の使っていた茶碗を納めたのだ。

 茶碗は全く欠けておらず、今もなお磁器の白さを保っていた。


 その墓に納めるのは、2つある祖母の骨壷のうちの大きいほうだった。小さいほうは、祖母が生前懇意にしていたお寺に納める事になっていた。

 だから、僕たちはその墓に大きなほうの骨壷を納めようとしたが、それは不可能だと分かった。

 穴が、小さすぎるのだ。縦にしても横にしても、蓋を取っても入らなかった。その狭い穴さえ抜ければ広い空間があるのに、どうしてもその入り口から先に入れることができなかった。

 困惑した母は祈祷をあげるために来ていた住職に訊いた。

「これ、小さいほうを入れて大きいほうを預かってもらう形でもいいですか?」

「ええ、大丈夫ですよ。皆さんそれぞれ預け方がありますから」

 感じのよい微笑と共に住職が答え、僕たちは小さい骨壷を納めた。大きいほうの骨壷が、蓋を十分に閉めないまま僕に渡された。

 蓋を完全に閉めるため、僕は一旦その白い蓋を取り上げた。そこには、3ヶ月前と変わらぬ祖母の遺骨があった。ぐらつかぬようしっかりと蓋を閉めた骨壷を桐の箱にしまい、白布で丁寧に覆った。


 再び叔父が汗をかき、墓前部が閉められた。

(これでまた、あと数十年は開けないだろう)

 そう僕は思った。

 線香に火を灯し、住職が祈祷を開始した。静かな夕べだった。田を渡る風は、朱夏の僕たちを優しく涼めた。

 薄く曇った夕暮れの空に読経の声が響き、それが終わった頃、野を切り開く電車の音が遠くに聞こえた。


「曇ってくれて良かった。暑さが和らいだな」

 残った骨壷をしっかりと抱えてゆっくりと石段を降りる僕に、叔父がそう言った。

「きっと婆ちゃんが涼しくしてくれたんだわ」

 前を行く母が信心深い面持ちでそう答えた。

「いや、俺の日ごろの行いだな」

 信心の薄い叔父がそう返し、そこで僕は少し笑った。


 納骨が、終わった。



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― 新着の感想 ―
[一言]  納骨は時として、こういう風に骨壷が入らないことがあります。我が家は入りましたが、叔母の家は苦労してました。ところで、文章力ありますね。すごくうまいと思います。  仕草や景色が見えてきます。…
2009/08/26 18:14 退会済み
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