山のヒエラルキーの頂点。そう、俺だ
さて、自然破壊を重ねてできたログハウス(仮)はそれはまあお粗末な出来だった。
地盤を作れたのはいいが、そこで力尽きてしまい。幼児の作った積み木のような形だ。家と言えば聞こえはいいが、扉を作る技術なんてものはなく、唯一の入口は全開。俺は昔住んでた田舎のバス停を彷彿とさせた。
何にしても、家作りは終了。気づいたら1週間以上は経っていた。その間ろくに飯も食わずひたすらに作業に没頭していたところ、まだ人間だった頃の感覚は抜けきれていないとみた。
仕事でも一度集中すると他のことが手につかなくて窓から外を見れば太陽ではなくお月様が登っていたことなんてザラだった。飯も食わずただ同じことをするようになってしまったのは環境のせいなのか仕事のせいなのか。
だがそれでも俺は社畜ではなかったと言いたい。
だが何にしても家は完成した。人間が生活する上で最も必要とする衣食住の住を手に入れたのだ。だが熊となってしまった俺に衣の部分は果たして必要か?
近所に住んでいたわん公なんか服を着せられていたりしたが、当時の俺は可哀想だと印象をうけた。動きにくそうだし、あれは飼い主のエゴ。着たくもない服を着せられて見せ物にするかのように散歩させられてる奴らを見ていて、今の俺なら心から同情できる。
にゃん公は首輪を付けていたが、アレは設計上苦しくないように出来ているらしいし、セーフだろう。迷子になっても大変だからな。
さて、熊の俺に服は必要かと疑念を抱いたが、答えは即答のノーだった。服を着る熊を見たことがあるか?しかも3メートルは超えるこの巨体に合う服なんて存在するのか。アメリカンな人用のXXLなんてサイズもあるがそんな比じゃない。だから衣の部分は捨て去ろうと思うのだが、やはり人間としての感覚がどこか違和感を感じる。
そうは言っても仕方がないのだが。
食はどうだ?ここ最近で食ったのは木の実と魚だがどちらもそのままいただいてしまった。人間なら焼いて食ったり調理をするだろうから何か一工夫をしたいが、火の種なんかも無さそうだし、どう頑張っても火を付けられる気はしない。ならば特に困る訳でもないのだから生でいただいて問題ないだろう。
そうそう問題といえば、よく俺は名も知らぬ見知らぬ見たことない魚や木の実を食べられたものだと思う。やっぱ異世界ってやつなんだろうな。
魚は黄色に緑とあまり食欲そそる模様をしていなかった。人間の頃なら毒を疑う。あの時は食欲に負けて丸齧りしてしまったが、少しは警戒した方がいいかもしれない。だが、食べてしまったあの魚とまん丸木の実は食べても実害がないっぽいので、セーフ判定としよう。
うん。やはり頭がクールになっている。住を手に入れたことにより人間らしさを取り戻しているのだろう。衣食に関して考えたりするようになったのも、俺はどこかでまだ人間としてのプライドを守りたいのかもしれない。
だが俺は熊だ。人間らしさはまた今度にするとして、ぐるるーと腹の虫が可愛げなく鳴きやがった。果たして、これは長い空腹に腹が怒っているのか、それとも熊らしさ、熊度が上がってきているのか。それは分からない。今わかることはまずは飯だということだけだった。
いつもの小河に向かっている道中。野生のうさちゃんや鹿エトセトラと言った生き物たちは息を潜め、俺が過ぎていくことに気がついた。この図体といい、薄々感じてはいたがやはり俺はこの山のヒエラルキーの高い地位にいるのではないかと思った。だが人間の俺はうさぎや鹿の肉なんてものは食ったことがない。そりゃまあ俺が食ったことないだけで、鹿やうさぎを食う人もいるのだろうが、俺は経験がないし、何より食いたいなんて思ってもいない。
食うなら木の実や魚と言った、まだ馴染みのある物が食いたい。生は嫌だけどな。それでも肉を食いたい気持ちはある。だがぷるぷる怯えた小動物に襲いかかろうなんて考えはなかった。だが肉は食いたい。どうしたものか。
その時、ふとこちらへ強い威圧感という物を感じた。まるで俺を捕食しようなんて勢いだった。少しは骨のあるやつもいるようだ。姿は見えないけどな。
その後、いつも通り魚を金魚掬いの如く打ち上げた俺はぺちぺち跳ねる姿にかぶりついた。
あー。腹が喜んでいるのがわかる。魚の細胞一つ一つが俺の血となり肉となっている感覚だ。ある程度の骨を気にせず飲み込んだ。最初は気にしていなかったが、飛び散る血は生臭く、口にこびり付いた真っ赤な液は不快感を催す。
だが、何故だ?
俺は初めて魚を食べたとき、不快感なんて覚えなかった。むしろ、熊なら熊らしく飄々とするのではないか?
もし。いや仮説だ。もし俺に本当に熊度なんて物があるなら、俺は家を建てた事によって人間らしさ、人度を上げる事によって感情を、感覚を、人間に近づいているのではないか。まだ情報が少な過ぎる。だが初日のと今を比べれば、あの時は熊度が高く、今は人度の方が高い。だからこそこの不快感が酷く気持ちが悪い。今にも吐き出しそうだ。
俺は小河で口を洗い、濯ぎ、うがいした。少しはマシになったが血の匂いはそう取れたものではなかった。
熊度だとか人度だとか。今は分からない。だが少しは頭に入れて置いた方がいい気がする。
腹を満たし、血の匂いも少し薄れてきた。俺はこの山のこと、環境について何も知らない。だからこそ少し散歩してみる事にした。
ただ考えもなく歩くのではなく、下山ではなく登山だ。そこには上からよく周りが見渡せるし、もしかしたら人が住んでいる集落ぐらいはあるかもしれない。
結果を言うならその考えはビンゴだった。
山の頂上までは行かなかったが、麓の傍ぐらいまでたどり着いた先には、大きな山から見下ろす形で下のそれもずっと下の方に、人間が建てたらしい建造物が見つかった。木と藁でできたよく燃えそうな、防災管理ゼロの住居が多く見受けられた。視力がいいのか、よく目を凝らしてみると、子供が数人で走り回っている。
その服も質素なもので、藁を固めて縫ってできた民族系の服だ。
この世界の文明は遅れているのか発達しているのかは分からないが、ここは遅れていると言うので正しいだろう。
しかし、これは大収穫だ。人がいる。俺はてっきり人も存在しない動物代戦争な世界に生まれてしまったのだと思ったからな。
いつか交流してみたいものだ。まあ確実に怖がられておしまいだろうけどな。
お散歩も終わり、俺は自宅へと帰る。やはり家が一番いい。我が家はとても落ち着くものだ。まだできた当日だが、自分で作ったこともあり愛着が湧く。大切にしよう。
それからは何もない怠惰な日々を送った。腹が減ったら魚を食い、お散歩して無駄に小動物たちを怖がらせて回った。すまんな。
毎日が無駄に過ぎる。そらそうだ。目的がない。俺は熊だ。熊の一生なんて食っちゃ寝してただ、生きる。
何度夜を超えたかも分からない。数えることを辞めていた。いや、数えようなんて考えが薄れていた。気づいたらただ生きる事が当たり前になっていた。それはそうだろう。俺は、熊だ。
ある日のこと。何の変わりないいつもの散歩をしていた時、少しいつもとは変わった事が起きた。
「ボオァァァ!!」
奴はそれはもう立派な2本の角を持って俺の前へ立ち憚った。その角は角なんて可愛げのあるものではなく、人10人以上は一度に貫けそうな凶器に等しい杭だ。そんな奴は明らかにこちらを捕食しようとしている目をしていた。その目はいくつもの血を浴びたように真っ赤だった。猪ってのは赤目なのか?俺は今まで猪を見た事がなかったからわからん。
猪の図体はそれはもうデカく、俺の腹ぐらいまでの大きさはある。どのくらいかは分からんが、まあ2メートル近くと言ったところか。よく今まで俺に見られなかったと感心する。やつの方が自然界の生き方はプロらしい。
猪は前足を助走を付けるかのように何度も打ち鳴らした。それが戦闘の合図だ。
猪は地響きと共にあっという間に俺の懐に入ろうとする。俺をあの角で貫くつもりだ。
俺も体勢を低くし、猪の角に両手で受け止める。物凄い馬力だ。少し気を抜けば吹っ飛ばされてしまうだろう。
これは食物連鎖の一環なのだ。猪は俺を殺し、食べる。生きる為に。そう思うと俺とこの猪はいずれぶつかり合ったのだろう。
近くに自分の命を脅かすものがいる。そして奴には小動物とは違い立ち向かえる力と、生きるものとしての矜持があったのだ。
ならば、俺も全力で答えなければならない!
「ボゲェ!?」
俺は片方の角を握力で握りつぶした。角は粉々となり、骨粉となり地に舞った。
俺は不思議と戦い方を知っていた。熟知していたといっても過言じゃない。熊としての、熊ならではの戦い方を。
もちろんこれが初めての戦闘だった。今までは喧嘩ぐらいしかした事がない。なのに、なのに俺は人としての戦いではなく、熊としての戦いを、身体に刻まれていたのだ。まるでこれが当然だというかのように。
悪いな。
俺は猪をぶん投げ、崩れ落ちた猪に上から跨り、その頭蓋骨を一撃で砕いた。
暫く暴れたあと、徐々にその動きは鈍くなり、そして停止した。頭から血が吹き出し、周りに血の溜まりを作った。
それを見て、俺はどうした?
それはもう酷く、食欲を燻った。
腑を引き裂き、骨を引っ張り、内臓という内臓を食い散らかした。こいつに一部たりとも食えない部位はないのだと、血を啜り、噛み砕き、全てをいただいた。
俺は、この山の天辺なのだ。ヒエラルキーの長であり、最強であり、この山の全てをいただく者なのだ。アレだれ昔不快だった血はまるで醤油などの調味料を付けられたように、スパイスとなっていた。
全てを喰らい。残ったのはあの大きな角の片割れだった。
全てが片付き、山は沈黙が漂った。風もなく、河の音すら聞こえない。まるで山が死んだかのようだった。
そんな中、ずっと俺に視線を向けていた反応が一斉に、逃げ去るように飛び出した。
俺はその方向をちらりと見ると、うさぎが文字通り脱兎の如く逃げている。
その逃げ去る尻をみて、俺は、酷く食欲が湧いた。
逃げる尻が横に揺れて、それは誘っているような感覚になった。俺を誘惑しているように見えた。俺の行動は早かった。理性がぶっ飛び、あのうさぎを捕食することしか頭にない。
俺が両手を地面について、本来の熊の姿勢で駆け出せば一瞬でそのうさぎの横に並んだ。
俺はうさぎを爪で薙ぎ払い、うさぎは虫の息というように体が痙攣している。
多量の出血だ。この小さなうさぎの身体のどこにこれだけの血を蓄えていたのか、想像しただけで興奮した。
痙攣するうさぎの首をちぎり、投げ、残った無残な肉体に口をつけた。
美味かった。美味かった。美味かった。どうしてあれほどうさぎを食べる事に懸念していたのか、自分でもわからない。たがもう関係ない。これはご馳走なのだ。このうさぎの肉と血が、俺の体を巡るのだ。これほど気持ちよく感じたことはない。
また、それを見ていた生き物たちが、ガサガサと音を立てて逃げだした。
今日の餌は、豊作だ。
あれからまた何回の夜を超えたかわからない。俺は食っては寝てを繰り返した。星が高くなったので、もうじき冬がやってくるのだろう。
寒いのは嫌だ。
丸くなって冬が過ぎるのを待ち続けるしかない。
もうじき、雪が降るだろう。
寒さはまるで俺を閉じ込めるようで嫌だ。
高くなった星は俺を置いていってしまうようで嫌だ。
周りの生き物がいなくなっていくのが嫌だ。
自然が蓋をするように姿を消していくのが嫌だ。
雪は全て包み隠すようで嫌だ。
俺はこの冬を越す為に餌を蓄えた。今日は不作だ。まったく捕まらなかった。冬眠前のうさぎ3匹。たったのこれっぽっちだ。
それでもこの冬を生き抜く為に、俺は狩に出かけるのだ。
黒い雲が空を覆い尽くし、ポツリポツリと雨を降らせる。冷たい雨が俺を濡らす。
寒さも極まって、身体が震えた。
今日の狩はここまでだ。
俺は家へと向かった。
家は不思議と綺麗な状態を保っていた。理性が飛んでいるはずなのに、どこかで大切に扱わないといけない気がした。
うさぎの死体は血だけを啜って少しでも長持ちするようにしている。
3匹の餌を持って家へと辿り着く手前、違和感があった。
餌の匂いがする。
俺は口から溢れ出る涎を垂らしながら家へと向かう。するとどうだ。
何故か家の中に小さな人間の少女が眠っているではないか。
身体は薄汚れ、打撲の痕が散見される。まるで何かから逃げ延びて、やっとのことで休める場所を見つけて寝静まった。そんなことを思った。
だが、逃げる場所が悪かったな。
俺はこの山の長なんだ。お前は餌として、俺が生きる為に喰らってやる。それが食物連鎖という自然界のシステムなんだ。
俺が爪を少女の喉に突き立てようとしたとき、少女はんぅ、っと喘ぎ目を開かせた。
目と、目があった。
「くま、さん?」
喋った。喋ったのだ。それはそうだ。人間なんだから喋るだろう。だがそんなことじゃない。彼女が俺を認識した。その事実に俺は爪を引っ込めた。
そして、冷静になった。
俺は、俺は何をしようとしていたんだ?
簡単な雑な作りのログハウスの中で、少女出会った。大きな大きな凶悪な目をした熊た。
そうだ。俺だ。
〈システムより通達。人間と相対したことにより、人度を大幅に上昇させます...。熊度が低下しました。次の熊度が人度を上回る計算をします...。確認できました。答え、三日後です。〉