綺麗に片付けて
殺生石と思われる岩を砕き、もやを雲散させて……錫杖を肩に担ぎながらこれで解決かと善右衛門が深いため息を吐くと、そんな態度を咎めるかのように足元の八房が声を上げてくる。
「ひゃわわん! ひゃわん!」
そう吠えた八房はその前足でもってちょこんと砕けた岩を指し示し『これらをこのままにはしておけぬ』とそんな意思を善右衛門に伝えようとしているようだ。
「……まさかこれら全てを厠に投げ込めと?」
以前善右衛門が手にした殺生石は、厠神の住まう厠に投げ込むことで浄化された。
まさかこれも……この砕けた岩も全てそうする必要があるのかという、そんな善右衛門の問いに対し、八房は当然だと言わんばかりの顔をしながら、
「ひゃわん!」
と、声を返す。
その声を受けて善右衛門は、この砕けた岩全てをそうするのか、あの長い階段を何度も何度も往復する必要があるのかと、とても大きな、今までにない大きなため息を吐くのだった。
それから宿場町へと戻った善右衛門によって事の仔細を知らされたけぇ子達は、ちょっとした混乱状態に陥ってしまう。
殺生石が近場の山に現れたというだけでも大騒動だというのに、善右衛門が九尾の狐と対峙した挙げ句に打ち克ったというのだからそれも当然のことだろう。
更にはこれから殺生石の浄化が行われるとなったら、もう誰も彼もがじっとはしておられず、慌ただしく騒がしく、それぞれ思い思いの行動を取り始める。
権太達を始めとした殺生石の瘴気に負けてしまうかもと不安の残る者達は階段から、街道から、厠神の住まう厠から距離を取った上で、九尾の狐に取り込まれたという遊教が何かしでかさないように拘束し……瘴気に打ち克つ自信のある者達は善右衛門の勇姿を一目見るために厠の周囲へと集まり、けぇ子とこまは酒や塩、松明といった清めの力を持つ物を手にし、善右衛門を手伝うべく善右衛門の後へと付き従う。
そんな風に宿場町が騒がしくなる中、善右衛門は……両手いっぱいに岩のかけらをかき集めては、けぇ子とこまと八房を連れて山奥を歩き、階段を下り、街道を歩いて厠へと至り、その厠の中に岩の欠片を放り込むという作業を、何度も何度も……数え切れぬ程の回数、繰り返すことになる。
一往復し二往復し、三往復し四往復し……往復回数が十を超えた辺りから、あの岩があった一帯に散らばるどれがあの岩の残骸で、どれがただの小石なのか分からなくなり、竹箒とちりとりを持ち出して、半ば自棄のような形で辺り一帯の塵やら小石やらの全てをかき集めて……それら全てを厠の中へと放り込んで。
それは見方次第ではかなりの無礼というか、罰当たりな行為といえて、けぇ子やこまは厠神からの罰があると怯えていたのだが、善右衛門は、
「何か文句があるのなら、以前の時のように扉を倒すなり何なりの何らかの意思表示をしてくることだろう、いちいち気にする必要は無い」
と、そんなことを言い放ち、何の気兼ねも無く遠慮も無く作業を続けてしまうのだった。
そうして日が落ち始めた頃。
殺生石の欠片と、欠片と思しきごみの全てを厠へと放り込み終えた善右衛門は、厠へと向かって柏手を打ち……静かに瞑目する。
そうやって善右衛門が厠神への面倒を引き受けてくれたことに対する感謝を捧げる中、けぇ子とこまはやれ善右衛門と八房に塩を振りかけて瘴気を散らしたり、やれ厠の前に供え物を供えたりと、なんとも忙しなく慌ただしく動き回っていた。
伝説に残るような大妖怪のまさかの出現を受けて、我を失ってしまっていると言うべきか、日常を失ってしまっていると言うべきか……いつになく落ち着きのないそんな二人に、善右衛門は小さな咳払いをしてから、
「けぇ子、こま、落ち着け」
と、声をかける。
「殺生石、九尾の狐と大層な名で呼ばれてはいるが、実際会ったところはただのもや。
……何の力も怖さも無い、吹けば消し飛ぶもやかすでしかなかった。
そんなになってまで騒いでやる必要は無いだろう……心を落ち着かせて、静かに厠神に祈ると良い」
続く善右衛門のそんな言葉に促されて、柏手を打って瞑目し、どうにか心を落ち着かせたけぇ子とこまは、少しの祈りの時間の後に、目を開き、善右衛門へと声をかける。
「ぜ、善右衛門様にかかれば九尾の狐も形無しですね」
「……八房様が近くに居てのこととはいえ、全く驚かされてばかりです。
九尾で敵わぬとなったら、一体何尾あれば敵うのやら……」
そんなけぇ子とこまの言葉を耳にしながら善右衛門は……もやの姿を思い返し、その手応えの無さ過ぎる有様を思い返し……『あれは本当に九尾の狐だったのだろうか』とそんな疑問を心の片隅に抱くのだった。
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