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プロローグ


「12歳の誕生日の次の日曜日のことは鮮明に覚えている。


 父が私を初めて仕事場に連れてきた日だ。


 当時はまだブームもなく、処刑は昼間に行われていた。


 今でこそ大物の処刑は休日の夜にテレビに映る大々的なショーとなっているが、あの頃は物見客もまばらだった。


 今ではセキュリティの問題で使われなくなったヒビヤの刑場が初舞台だった。


 その日の受刑者は18人だった。17人目までは父が淡々と仕事をこなし、私は舞台袖でその仕事っぷりに見入っていた。


 父が刑場に私を連れてくるのは初めてだったからね。とても興奮したのを覚えている。


 で、18人目だ。父が私を壇上に上げたのは。それがその日の最後の受刑者だった。


 手かせ足かせを嵌められ、うつ伏せにして胸と腹を革ベルトで固定されながら斬首台の上に首を晒す受刑者を前にして父は私に刀を渡した。


 その刀は我が家に代々伝わるものでね。戦国時代に祖先が為政者から授かったものと聞いている。


 それは良く研がれた刃紋がぬらりとしていて、当時の俺にも特別なものだとわかった。


 刀の柄を握ると俺は百々塚の処刑人の血を引いているのだと、自覚が湧いてきたんだ。


 台の上に差し出された受刑者のうなじを見た。女だ。青白い肌に汗が浮き出ていた。


 女の経歴と罪状が淡々と読み上げられ、最後に処刑法が告げられた。


 刑法11条ならびに司法長官命令に基づき斬首刑とす。格式張った調子で刑務官が述べると、観衆がどよめいた。 


 斬首は当時は珍しく、月1、2回だったから。それをまだ下の毛も生え揃っていないガキがやるんだ。


 刑場は沸き立った。この時から、私の仕事が始まったのだ。


 台に固定された女の顔は見えない。観念している様子だが、執行命令が述べられると、首筋に鳥肌が立っていた。


 俺にできるのは、早く楽にしてやることだ、それが俺の仕事だ、とこの時は純粋に思ったよ。


 あの頃は、手早く執行を済ませる事が美徳とされていたからね。


 私はあの時、初めて、人の首を刎ねる時、一個体の生命を終わらせ、社会から切り離す瞬間、何を考えていたかというとそんなことだ。


 その思いは今でもある。その気持を忘れたら、多分、この仕事は続けられなかっただろう」


百々塚家当主 目貫 氏のインタビュー より

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