ようやく、学びの地へ
いきなり現れたレオパルドに銃口を向けられ、男はまたもや顔を青ざめさせる。
その足は、生まれたての小鹿みたいに震えていた。
俺が一人の男を殴り飛ばした上に、執事であるレオパルドまで現れたことで戦意が失われてしまったのだろう。
倒れている男を叩き起こし、大きな悲鳴をあげて走り去っていった。
「れ、レオ……ついて来てたの?」
「アストロ様が、お前だけでもこっそりついて行けってよ。結局、二人だけで行かせるのは心配だったんだろうよ」
「そ、そうなんだ……お父さんが……」
あの父親は、アストロって名前だったのか。ルナに嫌われたくないからと二人で登校することを許可していたが、それでも使用人を一人だけ気づかれないよう見守らせていたらしい。
だけど、おかげで助かった。
謎の篭手が出現して一人くらいは殴り飛ばすことができたとはいえ、もしあのまま男たちにされるがままになっていたとしたら……うん、考えるだけでもおぞましい。
先ほどの篭手は気がつけば消えており、白く細い普通の腕へと戻っている。
あれは、一体何だったのだろうか。あとでアンジェに訊いてみよう。
「でも、レオ。見てたんならもっと早く助けてくれればよかったのに……」
「ちゃんと助かったんだからいいだろ。なあ、ルーチェ様?」
「えっ? あ、うん、助けてくれてありがとう」
突然ルナから俺へと視線を移し、何やら意味深に口角を上げる。
レオパルドは、唯一俺が本当のルーチェなのかどうかを疑っていた。
あくまで推測に過ぎないが、もしかして意図的にすぐ助けには行かず、俺の様子を見ていたのではないだろうか。
だとしたら、俺の男口調も篭手を出現させて男を殴り飛ばしていたところも見られたというわけで。
今の笑みから察するに、疑いが強まってしまったのではなかろうか。
その推測が外れていればいいのだが……これからは、もっと気をつけないといけないな。
「ルーチェも、助けてくれてありがとね。かっこよかったよ」
「い、いや……」
ルナに頭を撫でられ、俺は自分でも少し顔が熱くなるのを感じつつ目を逸らす。
そしてルナは俺の頭を撫で続けたまま、顔だけをレオパルドに向ける。
「レオも、ありがと。それじゃあ、もう帰ってもいいよ」
「あ? 俺は学校に着くまでの護衛を頼まれてんだけどよ」
「いいの。もう二人だけで大丈夫だから」
「……へいへい、わぁったよ。せいぜい気をつけな」
有無を言わさずといった態度のルナに、レオパルドは観念して後頭部をかきながら俺たちに背を向けて歩き出した。
せっかく助けてくれたのに、ちょっと可哀想に思えてくるのだが。
案外、あいつも悪いやつではないらしい。父親といい、人は見かけによらないということだな。
「ちょっと、冷たくない?」
「そ、そんなことないもん。ルーチェとの二人きりの時間を邪魔されたくないだけだもん」
妙に二人きりにこだわるやつだ。
それも、自分が近くにいないときにルーチェが襲われてしまったことと関係があるのだろうか。
正直、愛情が重い……もとい、深いだけな気もするが。
何はともあれ、再び手を繋がれて学校へ急ぐ。
先ほどの男たちのせいで、無駄に時間がかかってしまった。
のんびりしていられる時間は、疾うにない。
「そういえば、ルーチェもあんなこと言ったりするんだね」
「……あんなこと、って?」
早歩きで学校に向かっていると、不意に横から問いが発せられた。
しかし何のことを言っているのかあまり理解できず、俺は問い返す。
すると、顔だけをこちらに向けて微笑んだ。
「ほら、『クソどもが』とか」
俺の頬を、冷や汗が伝う。
確かに、言った。俺のことをルーチェだと信じてやまない、ルナの前で。
あの場では口調まで意識することができず、いつも喧嘩しているときと同じ感じで暴言を吐いてしまったのである。
「びっくりしたなぁ。あんなに荒っぽい言葉を使ってるルーチェなんて、今まで見たことなかったから」
「や、えっと、それは、その……頭に血が上って……」
「なぁんだ、そっか。必死に守ろうとしてくれてありがとね。ルーチェのかっこいいところも知らない一面も見れて、嬉しいなぁ」
明らかに苦し紛れの嘘だったのだが、全く疑いもせずに信じきってくれたようだ。
妹に対する信用の賜物か。ルナにとっては、妹を疑うなどという発想がそもそも存在しないのかも。
あまり賢いタイプじゃなくて、本当によかった。
そうこうしている間に、俺たちはようやく到着した。
清潔感のある、大きな白い建物だ。
門を潜るとベンチや池などが設えられた校庭となっており、校舎の左側にはグラウンドが広がっている。
更に、グラウンドには別の建物が一つ建っていた。
もちろん俺が通っていた学校より広くて豪華ではあるのだが、元の世界にあっても何らおかしくはないような気がする。
もっと異世界らしい変な何かがあるのではないかと思っていただけに、少し拍子抜けした。
とはいえ、道中の街並みも日本らしくはないというだけで、外国のどっかには普通にありそうな風景ばかりだったし、異世界とは言ってもそんなに非現実そうなものはないのかもしれない。
……まあ、さっき俺の右腕に現れた篭手は明らかに非現実だったけど。
校舎の中に入ると、多数の靴箱が並んでいた。
やっぱり日本の学校と同じように、上靴に履き替える必要があるのか。
でも残念ながら、俺は初めて来たから自分の靴箱がどこなのか分からない。
「お……わ、私の靴箱って、どこだっけ?」
「え? あ、そっか、久しぶりだもんね。ルーチェは一年二組だから……ほら、そこだよ」
ルナがとある一つの靴箱を指差す。
その中には、白を基調に赤のラインが入った靴が一足入っていた。
とっくにルナは履き終えたらしく待っていたため、俺も慌てて履き替える。
「それじゃ、あたしは三年生だから。またあとでね!」
「う、うんっ」
ルナは手を振りながら階段を上っていき、俺も手を振り返す。
一応、ここは俺の知らない場所だ。
ルナがいなくなった途端、妙に不安になってしまう。
辺りをきょろきょろと見回しつつ廊下を歩き、一年二組の教室を探す。
「……ここか」
わずか数分程度で、一年二組と記された部屋を発見。
中からは、若い女の姦しい声が聞こえてくる。
やばいな。今頃になって、猛烈に緊張してきた。
俺が探していたのは、この教室で間違いない。
おそらくあと少しで授業が始まる時間になってしまうだろうし、さっさと中に入るべきなのだろう。
だけど、今は。
それ以上に済ませておきたい用事があり、教室の扉を早歩きで素通りした。
「あれー? ちょっとちょっと、どこに行くんですかぁー?」
突然慌てふためく声が聞こえ、服の中からアンジェが顔を覗かせる。
すっかり忘れていたが、そういやこいつもいたのか。
「その前に、トイレに行くんだよ」
「……トイレ? はっはーん、なるほどぉー。ムラムラしてきちゃったんですねー? もー、しょうがないんですからー」
「お前はトイレを何だと思ってんだ。いきなり襲ってくる尿意をなめんじゃねえよ」
とはいえ、今の尿意は緊張のせいもあるとは思うが。
というわけで。
教室に入るより先に、一刻も早く便所へと急いだ。




