やがて、目を醒ます
ルナと肩を並べて、人通りの多い道を歩く。
俺は学校がどこにあるのかを知らないため、ほぼルナの半歩後ろでついて行っている感じではあるが。
最初、家に行くまでにも街中を歩きはしたものの、改めて見てみると海外のような町並みで、まさにファンタジーといった様相だ。
ここまで煉瓦造りの建造物が並んでいる様は、初めて見たと言っても過言ではない。
しかも、石畳の街道を時々馬車が通っているのも見えるし。
つくづく、別世界に来てしまったんだな、と実感する。今更だけど。
「何かあった? そんなにきょろきょろして」
「あ、いや、何でもない」
ルナが首を傾げていることに気づき、俺は誤魔化しつつ前を向き直る。
すると、ルナの怪訝そうな表情が一転、にへらとだらしなく頬が緩む。
俺の手を握り、急に鼻歌なんかも歌いだした。
「ど、どうしたの? なんかご機嫌だね」
「えへへ。またルーチェと一緒に登校できるとは思わなかったから、すごく嬉しいんだよ」
何だか、少し可愛いと思ってしまった。
ルーチェって奴は、本当に姉から愛されてたんだな。
スキンシップが激しいと思っていたけど、それでも仲がいいのはいいことだ。
中身が俺なんかで、ちょっと申し訳なさすら感じる。
さすがに抵抗なんてできるわけもなく、手を繋がれたまま歩を進める。
服の中に隠れているアンジェの顔を見なくとも、ニヤニヤしているのが想像できてしまう。
その想像だけで妙に腹が立ってくるが、隣で歩くルナの楽しそうな表情を見ると緩和されるからすごい。
そうして歩き続けて十数分、人気のない路地裏で。
突然俺たちの目の前に、俺たちとそう年が違わないであろう男性が二人立ちはだかった。
不快感のある笑みを浮かべ、俺の全身を舐るように見ながら口を開く。
「へえ……王女サマが生き返ったって噂は本当だったのか」
「……何か用ですか?」
ルナは警戒の色を隠すこともなく、俺を庇うように前に出た。
男は何が可笑しいのか、気持ちの悪い笑みを湛えたまま答える。
「ちょっと俺らと遊ぼうぜ? 王女サマが帰ってきてくれて、俺らも嬉しいんだよ」
「あの……今から学校があるので、失礼します」
「一日くらい休んじまっても問題ないだろ。楽しいとこ知ってるから行こうぜ」
典型的なナンパだ。ルナが拒んでいるのにも関わらず、全く意にも介さず執拗に誘い、ルナの腕を掴む。
こっちが王女であると知っていながら、こんなに無礼な奴もいるのか。
女を言葉や力で無理に誘ったり言うことを聞かせたりする輩ってのは、どの世界にも存在するものなんだな。
「おい、やめろ。こっちは忙しいんだよ、クソどもが」
俺は割り込み、ルナの腕を掴んでいる男の腕を握る。
しかし、男は笑みを崩すことすらしない。
「威勢がいいなぁ、王女サマ。でもよぉ……人の親切ってのは、受け取っておくべきだぜ」
「……ッ」
腕を振り払い、俺ににじり寄ってきたかと思えば。
すぐ後ろにある壁に手をついて、俗に言う壁ドンのような体勢となった。
その状態で俺が睨みつけても、男は笑いながら顔を近づけてくるだけ。
「ルーチェ……っ」
ルナが慌てて声をあげるも、もう一人の男に羽交い締めにされてしまう。
何なんだよ、こいつら。いくら何でも、王女を相手にぐいぐい来すぎだろう。
どうせ、楽しいところなんてホテルとかそういうオチだ。性欲しかない、クソ野郎どもが。
だけど、こんな輩を相手にするのは初めてじゃない。
もちろん俺が性の対象となるのは初めてだが、女が迫られているのを目撃したことは何度もある。
だから、俺がとる行動も、今までと変わらない。
壁ドンしている腕を払い、俺は拳を強く握り締める。
そして腕を伸ばし、男の頬を全力でぶん殴った。
「……あ?」
一拍あけ、頭上から聞こえてきたのは男の頓狂な声。
俺の拳は、男の頬に当たっている。
当たっているだけで、倒れるどころか痛そうにすらしていない。
「おいおい、何だよ。そんな弱々しい力で、何しようとしてたんだ?」
俺の拳を掴み、そのままの体勢で俺を壁に押しつける。
よほど強い力で俺の拳を掴んでいるのか、振りほどこうとしても全く抵抗ができない。
男は不快な笑みを更に濃くし、もう片方の手を裾の中に入れてきた。
俺のへその辺りを撫でられ、ただただ気持ちが悪い。
何だ。何なんだよ、これ。
俺の力が、確実に弱くなっている。
いや、昨日のうちに分かりきっていたことじゃないか。
ルナの手すら振りほどけなかった時点で、俺はこの体相応の力になってしまっていたのだ。
いくら元の世界で喧嘩慣れしていようと、意味がない。
その事実を嫌でも思い知り、全身から血の気が引くのが分かった。
「や、やめてください! ルーチェには……手を出さないで……もう……っ」
ルナが、叫ぶ。
せき止められていた川の奔流が一気に溢れ出したかのように、涙を頬に伝わせながら。
その声は、震えていた。
ルーチェの死がトラウマとなり、傷つくところをもう二度と見たくないと、そう思っているのかもしれない。
そんなの、俺も同じだ。
頼むから、泣かないでくれ。苦しまないでくれ。悲しまないでくれ。
そんな顔されたら、俺は――。
――自分の中で眠っている闇が、再び顔を出してしまうから。
「……な、何だ……?」
突然、男が俺の手を離し、後退る。
ルナを羽交い締めにしているほうの男も、声を震わせ驚愕に目を見開く。
最初は、二人が何に驚いたのか分からなかった。
でも、視界の右端に映り込んだ謎の光を見てすぐに察した。
俺の右腕が、淡い光を放っている。
腕全体を包み込むほどの、大きな光を。
その光が、ほんの数秒ほどで消滅すると――。
俺の右手を、ルーチェの姿には似つかわしくないような大きな篭手が覆っていた。
どうやら鉄製らしく、かなり頑丈そうだ。
見た目より、重さは全く感じない。
それどころか、異様に体に馴染むような感覚すらある。
一体、何が起こったのか。
どうして突然現れたのか。
アンジェなら知っている可能性が高いが、問う暇もなく。
直後に発せられた男の舌打ち混じりの声に、俺の意識は右腕から目の前の男に引き戻される。
「チッ……王女サマの〈武核〉か……」
先ほど俺の右腕が光ったときと同じように、今度は男の右手が光に包まれる。
光が消えると、男の右手には一本の棍棒が握られていた。
そして、横に薙ぐようにして殴りかかってくる。
動きは、決して速くない。
これなら、まだ元の世界のヤンキーどものほうがいい動きをしていたんじゃないかと思ってしまうレベルだ。
俺は左手で男の手首を掴み、拳を強く握りしめる。
足に全体重を乗せ、力を大地に伝える。
篭手に覆われた右拳で、力の限り男の頬をぶん殴った。
「ぐほぁ……ッ」
口から血を吐き、地面に倒れ込む。
そんな男の様子を見て、ルナを羽交い締めにしているもう一人の男の顔が青ざめていく。
さっき殴ったときは、全く効かなかったのに。
この篭手のおかげなのか、たった一発で再起不能にしてしまうとは。
地面に倒れた男は、痛そうに呻くだけで立ち上がることさえできずにいる。
ルナのほうへ視線を移す。
ずっと羽交い締めにされており、当のルナは未だに涙を流したまま驚いたようにこちらを見ている。
俺は脳内に蘇る記憶を掻き消すように頭を掻きむしり、ルナの背後に立っている男に向かって。
「さっさと、うちのお姉ちゃんを離せよ」
吐き捨てるように、そう言い放った。
男は、悔しそうに歯軋りを一つ。
そこで、男はようやくルナから離れ――。
瞬間。
乾いた銃声が聞こえ、男の足元にどこからともなく一発の弾丸が放たれる。
「な……ッ」
突然の銃撃に、吃驚する俺たち。
直後、路地裏に響き渡る一つの足音。
「その二人を、誰だと思ってんだ? 王女様に手を出したんだから、分かってんだろうな」
淡々とした声色に静かな怒りを滲ませながら、この場に姿を現したのは。
こちらに銃口を向けた、執事のレオパルド=レオーネだった。




