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そして、始まる

 体が揺すられているような感覚がする。

 その心地よい揺れで、俺は目が覚めた。

 大きく欠伸を漏らし、横になったまま伸びをする。


 小鳥のような鳴き声が外から聞こえてきて、窓からは眩い光が差し込む。

 もう、朝か。


「おはようございます、ルーチェ様」


 顔を少し横に向けると、メイド服を着た女性が微笑みながらベッドの傍らに立っている。

 セミロングの黒髪に、前髪ぱっつん。

 身長も胸も適度で顔はかなり可愛いと思うが、とても大人しい印象を抱く。

 この屋敷に雇われているメイドの一人、シンミア=ルーポだ。


「おはよ、シンミア」


 挨拶を返しながら、上体を起こす。

 さすが王族の屋敷なだけあって、部屋は広いしベッドの寝心地は抜群だし、よく眠れた気がする。


「既に朝食はできております」


「あ、そうなんだ。分かった」


 返事をし、ベッドから出る。

 すると、シンミアは深々とお辞儀をしたのち部屋から出て行く。


 意識しないと、どうしても男口調に戻ってしまうため、普通に会話するだけでもかなり疲れる。

 だから、一人の時間が一番楽だ。

 それに――あいつと話をするのも、一人のときだけだしな。


「……アンジェ」


「はいはーい、呼びましたかー?」


 俺が小さな声で呼ぶと、布団の中からアンジェが飛び出してくる。

 そして定位置である俺の肩に乗り、可愛らしく首を傾げた。


「今日は学校があんだよな。お前もついて来んのか?」


「何言ってるんです、そんなの当たり前じゃないですかー。学校でもちゃんとサポートするので、大船に乗った気分でどんとお任せください!」


 そう自慢げに言って、自身の平らな胸をぽんと叩く。

 まだ、知らない人の名前を教えてもらうことくらいしかアンジェが一緒にいることの恩恵を受けていない気がするのだが。

 本当に役に立つのか、こいつ。


 クローゼットを開けると、様々な高級そうな服が並んでいた。

 どれもお嬢様らしく、だからこそどれが制服なのかいまいち分からない。


「……制服って、どれなんだ?」


「えー? この左端のやつですよー」


 仕方なく問うと、アンジェは小さい指を伸ばして答えた。

 白を基調としたワンピースタイプで、完全にお嬢様学校の制服みたいだった。

 俺のような奴が着ても大丈夫なのかと、少し躊躇ってしまう。


「さあさあ、早速お着替えしちゃいましょうねー。ほらほらー。あ、それとも、手伝ってほしいでちゅかー?」


「……お、おう」


「あれ……? 思ったより素直ですね……今日は隕石でも降ってきそうです」


「うっせえ。仕方ねえだろ、女もんの服なんてよく分かんねえんだよ」


「あー……」


 アンジェは得心がいったように呟き、俺に優しい目を向ける。

 無性に腹が立った俺は睨み返し、パジャマを脱ぐ。

 そしてアンジェに手伝ってもらいながら、何とか更衣を完了した。


 正直、ミニスカートとかじゃなくてよかった。

 制服だからあまり丈が短くないのは当然なのかもしれないけど、ワンピースタイプだから露出しているのも膝より下だけ。

 あんなに脚がスースーしそうなスカートなんか、いくら女の姿になってもできれば着たくないし。


「じゃ、みんな待ってるはずですから下へ下りましょうか!」


「……ああ、そうだな」


 相変わらずアンジェは服の中に身を隠し、俺は部屋から出る。

 そして、ルナたちの話し声を耳にしながら一階へ下りた。


 リビングに入ると、まず真っ先に視界に映ったのは長い長い食卓。

 一番手前に置かれた椅子にはルナが座っており、俺が入ってきたことに気づくや否や顔をこちらに向けて微笑んだ。

 更に、ルナの傍らにはメイドのシンミアが大人しく控えている。


 この二人は、既に昨日のうちに知った人物ではあるが。

 奥に、大きな体を以て椅子を軋ませている一人の男性がいた。


 服の上からでも分かるほどの分厚い筋肉に覆われた、筋骨隆々とした肉体。

 白髪に、少し皺のある濃くて大きな顔。

 鋭い眼光で、真っ直ぐ俺を見据えている。

 腕を組んで鎮座している様は、何だか凄まじい威圧感だった。


「お早う、ルーチェ。昨日さくじつ匆々(そうそう)としていたのでな、せっかく愛娘が戻ってきたというのに出迎えてやれなくて済まなかった」


「お、おはよう。大丈夫だよ」


 愛娘ということは、この人が父親――つまり王様なのか。

 容姿に似つかわしい低く重みのある声色で、妙に難しい言葉を使う。

 匆々って何だ……? とか考えつつ、俺は挨拶を返した。

 それから、ルナの隣の椅子に腰を下ろす。


 テーブルの上には、朝食とは思えない豪華な料理が並んでいる。

 いつも朝はパンくらいしか食べていなかった俺にとっては、まるで異次元の光景だ。

 いや、異世界であることに間違いはないんだけども。


「その様相を見るに、早速本日から学窓へと赴くようだな。万が一に備え、雇っている使用人を総動員しよう」


「な、何のために!?」


「無論、二度とあのようなことが起こらないための護衛だ」


「護衛って……」


 気持ちは分かるが、いくら何でも使用人を総動員はやりすぎだ。

 ただ学校へ行くだけなのにそこまでされちゃ、色々と注目されて恥ずかしいだろう。


「お父さん、あたしも一緒なんだから心配しすぎだよ」


「否。ルナは授業まで同一ではない。しかるに、道中でも二人のみであろう。ルナも同行しているという状況は、決して心配を拭う材料には成り得ない」


「あ、あー……それは、そうかもしれないけどぉ……」


 父親に言いくるめられ、ルナは悔しそうに唇を尖らせる。

 一人で出かけている間に何者かに襲われ、その結果亡くなってしまったという話だ。

 確かに、ここまで頑なになるのも無理はない。

 ただ、それならそれでもっと陰で密かに見守ってくれたりとか、使用人が全員じゃなくて一人か二人程度にするとか、そういう感じにしてほしいものだが。


 などと考えながらも、俺は料理に舌鼓を打つ。

 何だこれ、どれも美味しすぎる。高級料理店も斯や、というほどである。

 ほっぺたが落ちるとかいう陳腐な感覚を、初めて体験した。


「で、でも! あたしはルーチェと二人きりがいいの。ね? ルーチェも、そっちのほうがいいよね?」


「んむ……え? 何?」


「聞いてなかった!? そんなに料理に夢中にならないでよー、確かにシンミアの料理は美味しいけど!」


「……ありがとうございます」


 ルナの近くに控えているシンミアが、照れたように小さくお辞儀をした。

 なるほど、これはシンミアの料理だったのか。

 アンジェがシンミアのことを家事が完璧と称していた理由が、今分かった気がする。少しだけ。


「むう。致し方ない。ならば、ルナの意思を尊重するとしよう。故に、必要以上の注意を払っておけ」


「うんっ、もちろんだよ! やった、また一緒に登校できるよ、ルーチェ!」


「ふはぁ……美味しいぃ」


「って、まだ料理に夢中になってる!?」


 気づけば、あっという間に完食してしまった。

 こんなに美味しいものなら、いくらでも食べられる気がする。納豆だけは勘弁だけど。

 と、俺が味わっている間に、結局護衛はなしでルナと二人で登校することになったようだ。

 もっと粘るかと思ったのに、案外あっさり承諾してくれたな。


「本当にいいの? お父さん」


「……うむ。ルナに嫌われるのも、泣かれるのも困る」


 訊ねてみると、瞑目してそう答えてきた。

 確かに、昨日の一日だけでも何度もルナには泣かれたり泣かれそうになったくらいだし、気持ちは俺でも分かってしまう。

 何だか、妙な親近感を覚えつつある俺だった。


「それじゃあ、行こっか。ルーチェ」


「うん、そうだね」


 いつの間にか食べ終わっていたルナが言い、俺は答えながら立ち上がる。

 そして、シンミアや父親の「いってらっしゃい」を背に、家から出た。

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