せめて、離さずに済むように
アンジェとの会話を終え、俺がルーチェに成りきることになったあと。
再び家の中へ戻ると、姉であるルナの姿は既になかった。
しかし、俺が戻ってくるのを待っていたのか、先ほどの黒髪メイドだけは玄関の前で立ち続けていた。
「……このメイドの名前は?」
「シンミア=ルーポさんです。大人しい性格ですが、料理や掃除などの家事は完璧みたいですよー」
今の俺はルーチェの体なんだし、自分の家に仕えているはずのメイドの名を本人に訊くのはさすがにおかしい。
そう思って服の中に隠れているアンジェに小声で問うと、同じく小声で返してきた。しかも、今は訊いていない情報まで。
まあ、こんな大きな屋敷に住む王女のメイドっていうくらいなんだから、そりゃあ家事もできて当然だとは思うが。
と、当の本人のシンミアが、俺の全身を舐るように見ていることに気づいた。
そして俺の近くにまで駆け寄り、肩を両手で掴み、何やら鬼気迫った表情で告げる。
「ルーチェ様、お風呂に入りましょう」
「…………………………え?」
長い長い間を経て、俺の口から発せられたのは、そんな短い一文字のみ。
別に、聞き取れなかったわけでもなければ、言葉の意味が理解できなかったわけでもない。
自分の顔は見れないけど、今の俺は口元が引きつっているに違いない。
「な、何で?」
「お洋服も、お体も、髪も、少し汚れてしまっています。ルーチェ様やルナ様には、常にお綺麗なままでいてほしいので」
確かに、この体はずっと墓の中にいたせいか、所々に土がこびりついていたりと汚れが目立つ。
正直、俺からしてみれば、この程度の汚れは気にするほどではないと思うのだが……さすがに王女となるとそういうわけにもいかないのだろうか。
でも……風呂、か。
この体で風呂に入るのは、やっぱり少し抵抗がある。
そりゃあ、入らないと汚くなる一方だから仕方ないとは言っても。
「それでは、お風呂に向かいましょう」
「う、うん……って、シンミアも?」
「はい……いけませんか?」
「あ、いや」
キョトンと首を傾げられ、俺は思わず目を逸らす。
もしかしたら、ルーチェはメイドとも一緒に入浴していたのかもしれない。
だけど。
もし本当にそうだとしても、中身が男の俺は一緒に入るわけにいかないだろう。
いくら中身を知らないからといって――いや、だからこそ、色々と問題がある。
「えっと、一人で入りたいな……って」
「さ、左様ですか。暫く見ない間に成長なさっていたようで、少し寂しい気持ちもありますが嬉しいです」
この程度で成長したと判断されるのか。
そういえばアンジェに訊きそびれていたが、ルーチェの本来の性格は案外もっと子供っぽいのかも。
そこまで成りきるのは至難の業だぞ……。
何はともあれ、軽くお辞儀するシンミアを背に歩き出す。
とにかく風呂に向かう。
向かいたい……のだが、肝心な風呂の場所が分からない。
ルーチェにとっては自分の家でも、俺にとっては知らない他人の家だからな。しかも広すぎて、迷ってしまいそうになる。
「……あの。コウさんって、元々は男だったんですよね?」
辺りをキョロキョロと見回しながら廊下を歩いていると、不意に下方からそんな問いが聞こえてきた。
下を見下ろしたら、アンジェが服の隙間からこちらを見上げている。
「ああ、そうだよ」
「それなのに、シンミアさんと入ることを拒んだんですね。女ということを活用して、もっとえっちな体験もできるはずですよー? さては粗チンのヘタレだったんですねー?」
「……いきなり喧嘩売ってんのか、お前。下手な不良よりゲスい奴だな」
「そんなことないですよーっ! 今、全男子が羨ましがる体験をしている自覚はあるのかってことですよ!」
「何でお前が興奮してんだよ」
まあ、確かに気持ちは分からなくもないが。
俺は恋人以外の女に手を出さないと誓い、あいつから願いを託されている。
だから、アンジェが仄めかしたようなことは絶対にしないと決めている。
本当に、それだけ。別にヘタレとかじゃない。
「ちょっとちょっと、冗談ですから。あの、そんなに睨まないでください……その顔、女の子がしていいような顔じゃないです」
本気で怯えられ、ほぼ無意識にアンジェを睨みつけていたことに気づいた。
いつもおちゃらけているアンジェでも、こうやって顔を青ざめさせることもあるのか。
新たな発見である。
「もー、女の子なんですから、もっと可愛らしくしてくださいよー」
「……女の子じゃねえ」
「女の子ですよ! もう、おちんちんはついていないんですからっ!」
「……そろそろ本気で黙れ」
この女、平気で下ネタを言いやがる。
アンジェと会話していると妙に疲れるのだが、できれば誰か助けてほしいくらいだ。
などと言い合っていると、ふと廊下の奥から人影が近づいてきているのが見えた。
その人影の主――ルナは、俺の姿に気づくや否や、ぱあっと表情を弾ませて駆け寄ってくる。
「ルーチェっ、何してるの?」
「今から風呂に入ろうかと……」
「お風呂? そっかー、じゃあ行こ」
「……えっ?」
俺の手を取ったかと思うと、ルナは踵を返す。
手を引かれ、俺もつられて足が前に動く。
ルナも決して力が強いわけではないと思うが、そんなに力が弱くなってしまっているのか、あまり抵抗できない。
「お、おいっ!」
「……? おい?」
「あ、いや。どうしたのかなって」
俺の制止の声に、こちらを肩越しに振り向きつつ立ち止まる。
思わず「おい」などと言ってしまったが、少し首を傾げるだけで特に追及はしてこなかった。
「んー? もちろん、一緒に入るんだよ?」
この家の住人は、メイドも含めてみんな入浴くらい一人でできないのか。
何で、どいつもこいつも……。
「一人で入りたいんだけど」
「えぇっ!? そんなぁ……」
途端、ルナは落胆を露骨に表情に表す。
頭を垂れているだけでなく、よく見たら目尻に一滴の雫が溜まっていた。
これは……もしかしなくても少し泣いてしまっているじゃないか。
「な、何で泣いてるの?」
「だって……せっかくルーチェが戻ってきてくれたんだから、もっと一緒にいたくて。ちょっとでも目を離したら、また、どこか遠くに行っちゃいそうで、あたし……」
ポタ、ポタ、と涙が床に落ちる。
ああ、そうか。どれだけ前にルーチェが亡くなってしまったのかは知らないが、それでも暫くルーチェと会えなかったのは間違いない。
それどころか、永遠にルーチェの顔を見ることも声を聞くこともできないと思っていたくらいだろう。
死んだのだから、当然だ。
そんな相手が突然家に戻ってきて、自分の目の前に存在している。
確かに、もっと一緒にいたいと思ってしまうのも無理はない。
正直、本物かどうか疑ったりしないのかと疑問ではあるけど、よほど嬉しかったのだろう。
疑うなどという思考は、ルナの中にはないのかもしれない。
「……分かったよ。一緒に入ろう、お姉ちゃん」
「ルーチェ……やったっ、大好き!」
「むぐっ」
いきなり抱きついてきて、俺の顔がルナの豊満な胸に埋もれる。
柔らかい感触を楽しむ余裕などなく、苦しくて息ができない。
妹のことが好きなのはいいことだが、スキンシップが激しすぎる。
「それじゃ、お風呂に行こっか」
「お、おう」
「……? おう?」
「あ、いや。うん、分かった」
意識していないとすぐに普段の口調になってしまうため、女口調にはまだ全然慣れる気がしない。
ただ、今はそんなことより。
ルナの言葉を聞いて、そしてルナの表情を見て、つい一緒に入浴することを承諾してしまった。
我ながら、女のああいう顔や言動に弱すぎる。
ふと、服の隙間に目を落とすと、腹立たしいほどにニヤニヤしているアンジェの姿が見えた。
無性にぶん殴りたくなった。




