尤も、その救いの手は
俺はルナの背中について行き、家から外に出る。
庭の中央にある噴水のところまで歩くと、ふとルナは空を見上げて立ち止まった。
「ルーチェってさ、ルーチェじゃないんだよね」
こちらを振り向きもせず、小さく問いを投げかけてくる。
どういう意味かなど、訊かなくても分かる。
やはり、中身の俺に関する話だったか。
「怒ってるよな。ごめん、今まで騙してて」
「ほんとだよ。あたしはルーチェが帰ってきたと思って、あんなに抱きついたり、一緒に風呂に入ったり、色々したのに……中身が男の子だったなんて聞いてないよ」
「あ、いや、それは……ほんと、ごめん」
弁明できる要素など当然何もなく、俺は素直に謝るしかない。
謝って許されるとは思わないし、一発や二発くらい殴られてもおかしくはないことをしたのだ。
それくらいなら、甘んじて受け入れるつもりだ。
でも――。
「ふふ、冗談だよ。ちょっとムッとしちゃって、からかいたくなっただけだから」
ルナはこちらを振り向き、そう笑ってみせた。
その笑顔は、俺のことをルーチェだと思っていたときに見せていたものと、何ら変わりはなかった。
「え……? お、怒ってるんじゃ?」
「あははっ、怒ってなんかないよ。何であたしが君に怒らないといけないの?」
「いや、だから俺はルナを騙して――」
「うん、そうだね。それはそうだし、もちろん本当にルーチェが帰ってきたわけじゃないんだなって、悲しくもあるけど」
そこでルナは一拍あけ、一歩前に踏み出す。
そうして見せた微笑は、目尻にうっすらと涙が溜まっていた。
「でも――嬉しかったよ。ルーチェと過ごした時間は本当に楽しくて、本当に幸せだったって思ってる。だから」
ルナは、更に一歩前に踏み出す。
俺の小さな体を、ぎゅっと強く抱きしめた。
「ありがとう。あたしに、幸せな時間をくれて。君が救いの手を差し伸べたのは、刹那ちゃんたちだけじゃないんだよ」
目頭が熱い。喉が震える。視界が霞む。
気がついたときには、双眸から大粒の涙を溢れ出していた。
元の世界で、兄や刹那が死んでから。
俺のちっぽけな手じゃ誰も救えないのだと躍起になって、異常なほど誰かを見捨てることができなくなってしまっていたけど。
救えないんじゃない。
救えた人のことを――俺は、ちゃんと見ていなかったのだ。
「ありがとう。たとえ偽りの関係だったとしても、あたしにとっては新しくできた宝物なんだよ」
「……ああ。俺も……いや」
自分の言葉を途中で中断し、言い直す。
ルナに対する言葉は、そっちのほうが相応しいと思ったから。
「わたしも、だよ――お姉ちゃん」
半ば無意識に、自分の腕が伸びる。
ルナの背中に回し、こちらからも強く抱き返した。
それからは、特に言葉を交わすこともなく。
二人で抱き合いながら、一緒に泣き続けた。
「えー……ごほん」
ふと。不意にわざとらしい咳払いが聞こえ、俺たちは咄嗟に離れる。
何だかルナが不満そうにしていたような気はするが、そんなことに気を取られている余裕すらなかった。
何故なら。
マーレとシンミアの二人が、いつの間にか近くにいたのだから。
「い、いつから見てたの……!?」
「お、怒ってるんじゃ? の、辺りかのぅ」
「ほぼ最初からじゃねえか!」
思わず全力で突っ込んでしまった。
誰かに見られてたと思うだけで、余計に恥ずかしくなってきたぞ。
「二人は、どうしてここに?」
「ん、そうじゃな。一応、話しておいたほうがいいかと思うてな」
ルナの問いに、マーレは瞑目して答える。
「リコルド=リグアルドの件じゃが。奴は、牢獄に捕らえておる。ルーチェだけでなく、今までにも何人もの女子を殺してきたようじゃからな」
やっぱり、そうか。
でもまあ、死で逃げたりなんかせず、ちゃんと牢獄の中で罪を償ってもらいたいところだ。
一度死んだ人間は、もう二度と帰ってこないのだから。
そういう意味では、俺は幸運だったとも言えるかもしれない。
この世界に来て、姿や正確に差異はあれど刹那と再会はできたし。
ただ、今のあいつは妙にうざいのが玉に瑕だが。
「……二人とも、本当にありがとう。おかげで、色々助かった」
俺は素直に礼を述べ、頭を下げる。
その際、マーレとシンミアが少し驚いているのが見えた。
リコルドに襲われたとき、マーレやシンミアの助けがなかったらどうなっていたか分からない。
あの場でリコルドを食い止めていてくれたからこそ、急いでアルのもとへ向かえたわけだし。
俺にとっては、恩人とも言える存在なのであった。
「頭を上げてください、ルーチェ様。当然のことをしたまでです」
「そうじゃそうじゃ。生徒が、教師に気など遣うでない」
シンミアからは丁寧に、マーレからは笑いながら言われ、俺は頭を上げる。
この二人にも、既に俺の中身が別人であることは話しておいた。
それなのに、こんなにも普通に接してくれて感謝しか出てこない。
「ロッタとレオパルドは、今は?」
「病院で休んでおられます。会いに行きますか?」
「いや、いいよ。生きていたらいつでも会えるしな」
かなり重傷で、一時はどうなることかと思ったが、何とか無事なようで本当によかった。
あれだけ襲われたり色々なことがあって、今みんなでこうして笑い合えているというのは、ほぼ奇跡に近いような気すらしてしまう。
「あ、そうだ。これからさ、みんなでパーティーしようよ! 祝勝会みたいなの!」
突然、ルナは名案が思いついたように自身の手のひらを叩き、そんなことを言ってくる。
祝勝会、か。
確かに、一歩間違えれば世界が滅びて俺たちは死んでいてもおかしくなかったくらいなのだ。
そうやって、みんなで祝ったり労う場は設けてもいいかもしれない。
「ほほう。それはいいのぅ。せっかくじゃし、あの二人がおる病室でやるとしよう」
「ですが、あまり病室では騒がれないほうが……」
「何、騒がなければいいんじゃろ? 大丈夫じゃ、問題ない」
そんなパーティーを行って、騒がずにはいられないような気はするものの。
どうせやるなら、やっぱりあの二人を仲間はずれにするわけにもいかないだろう。
「でも、他の病人も同じ部屋だったら迷惑になるんじゃないのか?」
「それは問題ございません。ロッタ様とレオくんの病室は、二人部屋となっております」
あいつらは同じ病室で、二人きりになっているのか。
仲はよくないだろうし、どんな会話をしているのか全く想像がつかない。
何なら、ずっと無言なような気もする。
「それじゃ、行こっか。ルーチェ」
「……ああ」
笑顔で差し出された手を、俺は微笑みながら繋いだ。
とりあえず、アルと刹那にも説明しないとな。




