あるいは、自分のために ☆
「……あの、ごめん。久しぶりだし、ちょっと一人で庭に行ってきていいかな?」
「え? う、うん。分かった」
俺が女らしい口調で言うと、金髪に銀のメッシュを入れた女は渋々といった様子で頷いた。
もちろん、庭に行くというのは口実だ。
こいつらのいない場所で、あいつと話をする必要がある。
外に出て、後ろ手でドアを閉める。
そして数歩だけ進み、すぐに口を開く。
「……おい、アンジェ」
「何ですか、もー。せっかく感動の再会なんですから、わたしのことなんて放っておいてもいいんですよー?」
俺の呼びかけにすぐ反応を示し、服の中から出てくる。
確かに本来なら感動の再会になるんだろうが、俺にとっては初対面なのだから感動も何もあったもんじゃない。
「いいから、さっさと教えろ。縊り殺すぞ」
「怖っ! そんなに脅さなくても、教えますってばー」
そして、ゴホンと咳払いをしたのち。
まるで御伽噺のような語り口で、ようやく話し出す。
「この街には、とても仲のいい姉妹がいました。王様の娘として生まれ、この大きな屋敷で暮らしていました。さっきコウさんに抱きついてきたのが、姉です。姉の名はルナ=ファコルタ、そして妹の名はルーチェ=ファコルタ。家族仲はとても良好で、この姉妹に至ってはもしかして百合なのではないかと興奮……いや疑ってしまうほど、常にイチャイチャベタベタしておりました」
さっきの女が、姉――ルナか。
この大きな屋敷といい、メイドといい、やっぱり元々の体の持ち主はかなりの金持ちだったらしい。
それでも、まさか王女だとは思わなかったが。
「しかし、ある日の夜、悲劇が起こりました。ルーチェさんが一人で家を離れている途中で、何者かによって殺害されてしまったのです。それを知ったルナさんは、当然泣きました。泣いて、泣いて、涙が枯れ果てるほどに泣いて。そして、強く願いました。できることなら、もう一度会いたい。もし、死なずに生き続けられる未来があるのなら、その世界に行きたい――と。ですが、いくら精霊のわたしでも死者を蘇らせることなんてできません。だから、別の世界に住む人――コウさんと、今は亡きルーチェさんの魂を入れ替えさせたのです」
長い長い解説を終え、アンジェは一息つく。
別の世界に住む人、か。俺が住んでいた場所とは明らかに違うとは思っていたが、異世界に連れて来られたということなのだろう。
「……でも、何で俺なんだよ? 別の世界に住む人ってなら、俺じゃなくてもよかったんじゃねえのか」
「そんなの訊かれても知りませんよー。だって、完全に運なんですから」
「……運だあ?」
「精霊というのは、別に何でもできる神様とは違うんです。異世界から呼んだり、魂を入れ替えたりする相手を、好きに選ぶことはできません。だから、コウさんが来たのは完全に偶然なんです」
心の中で舌打ちをする。
この世界に来たのが運で選ばれた結果だというなら、これ以上に自分自身を運が悪いと思ったことはない。
確かに元の世界で退屈を覚えたりもしたけど、だからといって急に異世界になんか来ても困る。
そんな嘆きの途中で、また別の疑問点が湧き上がってきた。
「この世界がどんな世界なのかよく分かんねえんだけどさ、人が死ぬのなんて初めてじゃねえだろ? 誰かが死ぬ度に、異世界の人と魂を入れ替えさせてんのかよ?」
「さすがに、そこまでしませんよー。それに、この力を使うには色々とエネルギーを消耗しちゃうので、そう何度もできないんです。この一回が初めてですし、たぶんこれからも使うことはないと思いますよ」
「じゃあ、何で今そうしたんだよ。お前にとって、そんなにこのルーチェってのが大事だったのか?」
「んー……」
俺の問いに、アンジェは人差し指を顎に当てる。
そして暫し思考しているような素振りを見せたのち、珍しく真剣な表情で答えてきた。
「わたしにとって、ではありません。この街の、この国の、この世界の中で、大切な人なんです。いや――正確には、何者かがルーチェさんを殺したという事実が重要なんです」
「……どういうことだよ」
「誰がルーチェさんを殺したのかまでは全く知らないのですが。下手したら、世界が崩壊するような事態にまで陥ってしまう可能性もあるのです」
ルーチェという人物に、何かしらの秘密があったのか。
もしくは、ルーチェを殺した何者かが、もっと危険な悪事を企てているのか。
アンジェの説明は、肝心なところを話してくれない。
アンジェ自身も詳しくは知らないのだろうけど、だとしたらどうして世界が崩壊するような事態になると分かるのだろうか。
質問したことで、余計に疑問が増してしまうとは。
今度はそのことに関して質問しようかと口を開く、その前に。
「そこで、コウさんに頼みがあります。中身が別の人間だと気づかれないように、ルーチェさんに成りきってほしいのですよ。そうしていると、ルーチェさんが生きていることを知った何者かが、またルーチェさんを狙い、襲ってくるはずです。なので、奴らの企みを、どうか阻止してください」
真剣な眼差しで俺を見据えながら、アンジェはそう言った。
アンジェの話が確かなら、それは世界のためにも繋がるということか。
だけど、俺は元々この世界の住人じゃない。いくら世界を守るためだとしても、いきなり物語の主人公みたいな使命を背負わされたらたまったものじゃない。
俺にはそんな正義感なんか持ち合わせていないし、そもそも関係のないことなのだから。
「阻止って……できるわけねえだろ。元々の人格が分かんねえんだから、どうやって成りきればいいのか分かんねえし、それに俺だって同じように殺されるだけだ」
だから、断る――そう言いかけたとき。
不意に、俺の背後の扉が開き、ぎょっとして後ろを振り向く。
先ほど俺に抱きついてきた、ルーチェの姉――ルナが外に出てきたところだった。
「ルーチェ……? 何してるの?」
「えっ!? な、何でもねえ……あ、いや、何でもないよ」
男口調になっていることに気づき、途中で女口調に変える。
かなり意識していないとすぐに普段の口調が出てきてしまうのだから、成りきるなんてほぼ不可能だろう。
ルナは怪訝そうにしながらもそれ以上は訊かず、俺のもとに歩み寄る。
「それにしても、ルーチェが生きててくれてほんとによかった。あたし、ルーチェがいない世界を今まで通りに生きていける気がしないもん」
仲のいい、大切な妹の死。
それは、辛く、悲しく、世界を呪ってしまうほどの絶望に苛まれてしまうこともあるほどの痛みだ。
何より――俺が、そうだったから。
「あたしにとって、何よりルーチェが大切なの。だから、もう勝手にいなくならないで。あたしの前から、姿を消さないで」
これは、参ったな。
どうしろって言うんだよ、赤の他人の俺に。
やめてくれ。
そんなに泣きそうな顔で、ぎこちない笑みで、そんなことを言わないでくれ。
俺の意思が、揺らいでしまうだろうが。
「――あたしは、ルーチェのたった一人の姉で。ルーチェは、あたしのたった一人の妹なんだから」
目尻に一滴の涙を溜め、微笑を浮かべた瞬間。
全てが、決壊した。
俺の脳裏に、あいつの姿が焼きついて離れない。
……ああ、そうか。
俺とルナは、同じだったんだ。
「……うん。当たり前だよ――お姉ちゃん」
俺はそう言って、微笑んだ。
「えへへ、おかえり――ルーチェ」
ルナも、安堵したように、照れたように笑い、再び家の中へ戻っていく。
いなくなったところを見計らい、また服の中からアンジェが飛び出してきた。
「あっれぇー? 嫌なんじゃなかったんですかぁー? あんなに、できるわけないとか色々言っていたくせに、もうお姉ちゃんって呼んだりなんかしちゃったりしてー。本当はやる気満々なんじゃないですかぁー? お優しいですね、このこのー」
「うぜぇッ! あんな顔されたら仕方ねえだろ」
俺はアンジェから顔を逸らし、先ほどのルナの顔を思い出す。
女を傷つけるな。女を泣かせるな。女を守れ。
あの泣き笑いを見てもなお断るようじゃ、モットーの全てに反してしまう。
……全く。あいつは、本当にめんどくさいものを残して行きやがった。
「でも、コウさん。引き受けてくれるってことですよね?」
「……やりたくねえけど、こんな姿になっちまってる以上しょうがねえよ。ただし、お前も手伝え」
「もちろんですよー。常に一緒にいて、全力でサポートしますねっ!」
アンジェは嬉しそうに飛び回り、やがて俺の肩に乗る。
そして、満面の笑顔を向けて、言い放った。
「それでは、これからもよろしくお願いしますね、コウさん。いえ――ルーチェさん」
こうして、俺は日月劫からルーチェ=ファコルタへと名前を変え。
ルナの妹、ルーチェとしてこの世界で暮らしていくことになってしまった。
正直こうなるくらいなら、喧嘩の絶えない日常のほうがまだマシだったかもしれない。
ちょっと早まっちまったかなぁ……。
俺は心の中で少し後悔し、深い溜め息をついた。