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及び、最期の使命へ

「……だめだよ」


 差し伸べられた手を、誘われるように取ろうとした。

 ほぼ無意識に、そうすることが当然みたいに。


 でも、できなかった。


 横から伸びた、もうひとつの手が俺の手首を強く握りしめる。

 それ以上前へ行かないよう、強く、きつく、それでも優しく。


「言ってることの半分以上は理解できなかったけど……でも、その手を取ってしまったら、もうルーチェがあたしの前からいなくなっちゃう気がするの。だから、お願い。ルーチェ」


 そんな、諭すような言葉に。

 俺は半ば無意識に手を下ろし、横を見る。

 ルナが、まっすぐ俺の目を見据えている。

 その瞳には、もう涙は浮かんでいなかった。


 ――あたしの前から、いなくならないで。


 初めてルナと会ったときに言われた言葉を、心の中で反芻する。

 ため息を漏らす。

 馬鹿か、俺は。何をあっさり受け入れようとしてるんだ。


 前に向き直る。

 刹那は、未だにじっと苦しそうな顔でこちらを見続けていた。


「……悪いけど。やっぱり、その手は取れない。お前とは、行けない」


 俺の絞り出した答えに、刹那は驚愕に目を見開く。

 断られるなどとは、到底思っていなかったとでも言わんばかりに。


 たとえ刹那の頼みだろうと、叶えてなんてやれない。

 他でもない、俺はルナの――代わりの妹だから。

 そして、刹那の実の兄だからこそ。


「……生まれたときから一緒にいた、大切なはずの実妹より、まだ会ってから間もない偽りの姉妹関係のほうをとるの? 見損なったよ、お兄ちゃん」


「うるせえ。俺の知ってる刹那は、そんなこと絶対に言わねえんだよ。世界を崩壊させてまで、自分の望みを叶えようとはしねえんだ。あの優しかった刹那は、他のやつらを死なせようとは絶対にしない」


「……ッ」


 瞳が揺れる。体が震える。奥歯を噛み締める。

 刹那は、明らかに動揺していた。


「……なに、それ」


 俯きながら、刹那は声を震わせる。

 その声はいつもより低く、怒りやら失望やらに彩られていた。


「元の世界で独りっきりで過ごすより、こんな世界でぬくぬくと姉妹ごっこをするより、遥かに幸せな世界を創ろうって言ってるんだよ? 妹のわたしと、二人で! お兄ちゃんだって、分かるでしょ? お兄ちゃんにとって、どっちのほうが幸せかなんて――」


「人の幸せを勝手に決めるな。確かに、お前と一緒に暮らせるのは楽しいだろうよ。お前が死んでから、ずっと独りで寂しかったことだって認めてやる。けど――だからといって、他のやつらを排除してまで今のお前と二人っきりになるのは御免だ」


「なん、で……何でっ、何で、何でっ……何で、そんなこと言うのっ!? そんなこと言うお兄ちゃんなんて――お兄ちゃんじゃないッ!」


 刹那が金切り声をあげた、瞬間。

 俺たちを包み込むような強い突風が、突如として吹き荒ぶ。

 咄嗟に両腕で顔を覆い隠し、風が止むのを待つ。


 やがて、風が治まると。

 いつの間にか、刹那の体に異変が生じていた。


 背中から生えた、白かったはずの翼。

 それがかなり濃い黒と紫に染まり、更に何倍も巨大になっていたのである。

 刹那の小さな体そのものは、大して変わっていないのにも関わらず。


 そして――幼い顔には、もう笑顔は浮かんでいなかった。

 怒り一色の眼差しで、俺のことをじっと見下ろしている。


「……もう、お兄ちゃんの意思なんて知らない。わたしは、この世界を壊す。お兄ちゃんが何て言おうと、もう関係ない。だから、絶対に邪魔しないでね」


 最後に、そう告げ。

 刹那は翼をはためかせ、空高くへ飛び立ってしまった。


 空が、赤く染まる。

 まるで、世界の終焉を告げているかのような、不穏な色だった。


「刹那……」


 小さく、名を呟く。

 俺は、これで正真正銘、刹那と対立してしまったことになる。

 言ったことに嘘はないし、後悔をしているわけではない。

 でも、こうするしかできなかった俺と刹那の不器用さに、ただただ心が苦しかった。


「――間に合わなかったようじゃな」


 ふと、突然聞こえてきた幼い声に、反射で振り向くと。

 服や体の所々に血が付着しているマーレが、俺たちのもとへ歩み寄ってきていた。


 そう言えば、マーレはリコルドと戦っていたはず。

 今こうしてこの場に一人で姿を現したということは、きっと勝利したのだろう。


「マーレ……先生。リコルドは……?」


「案ずるな。死んではおらぬ。ただ、少しばかり痛めつけたあとで、たっぷり反省させてやったがのぅ」


 念のために訊ねてみると、マーレは何やら悪い顔でそう答えてきた。

 一体どうなったのか全く分からないが、何だか体についた血のせいか、妙に怖い。

 あいつはどうしようもないクズ野郎だったし、これで改心してくれればいいが……それは高望みが過ぎるというものか。


「それと――アルジェント=ネーヴェも、まだ死んではおらぬようじゃぞ」


「え……?」


「とはいえ、かなり危険な状態であることに変わりはないが……まだ今なら助かるはずじゃ」


 マーレも俺たちと同じように地面にしゃがみ込み、アルの様子を伺いながら言った。

 刹那のやつ、あれだけ無数の槍を突き刺したというのに、急所は狙わなかったとでも言うのだろうか。


 さっき、確かにあいつは「アルは、もういない」と言っていたのに。

 ただ単に急所を狙ったつもりでも運良く外れていただけなのか、もしくはアルがタフだっただけなのか。

 真相は分からないが、まだ助かるというのであれば、俺たちにやるべきことはひとつだ。


 いや――俺たち、ではないな。

 できるやつなんて、一人しかいないのだから。


「お姉ちゃん。アルのことは、お願い。その杖で、傷を治してて」


「えっ? う、うん、分かった。でも、ルーチェは……?」


 ルナは頷き、杖の先端をアルの肢体に当てる。

 途端、淡い光がアルの体を包み込む。

 俺のときより、遥かに治るのが遅い。それだけ、傷が深いということなのかもしれない。


 俺は立ち上がり、刹那が飛び立っていった空を見上げる。

 俺にできることなんてないし、アルのことはルナに任せるべきだ。

 死んでいないのなら、きっと助かる。俺の傷も完治してくれたルナの杖なら、きっと。


 だから、俺は俺のやるべきことをするだけだ。

 妹の不始末は、兄が片付ける。

 兄妹って、やっぱりそういうものだろう。


「ルーチェよ、関係ないかもしれんがのぅ。先ほど、浜辺のほうで妙な翼の生えた女子(おなご)が飛んでいるのを見かけたんじゃが……」


「そっか、ありがとう」


 まさか、都合よくマーレが目撃していたとは。

 海か。ここからも、そう遠くに離れてはいない。

 マーレに短くお礼を述べてから、すぐさま駆け出そうとする――と。


「る、ルーチェ……どこ、行くの?」


 慌てて呼び止められ、俺は肩越しに振り返る。

 ルナが杖を当ててアルの傷を治癒しながら、心配そうにこちらを見つめていた。


「あ……え、っと」


 どう答えるべきか迷い、俺は少しだけ目を逸らす。

 先ほどの刹那とのやり取りを隣で見ていたとはいえ、まだ俺たちの事情を教えるわけにはいかない。

 困った挙句、俺は意を決して。


「――ちょっくら、世界を救ってくるよ」


 そう、微笑みかけた。

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