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故に、宿り堕ちた

 兄、日月(たちもり)久遠(くおん)が病気で亡くなってから、およそ一年が経った。

 色々と苦労や悩みはありながらも、何とか二人で無事に過ごせている。

 最初のほうは、やはり躓くことも多かったし、特に妹の刹那が頻繁に兄を思い出して泣いてしまったりと大変だった。


 ただ、もちろんそれは仕方のないことだ。俺だって、何度か涙を堪えるのに必死だったときもある。

 でも一年が経過した今では、徐々に慣れつつあるのか、また昔のような笑顔を見せてくれるようになっていた。



「ねえねえ、お兄ちゃん。買い物行こうよ、買い物!」


 自分の部屋でのんびりとしていたとき、刹那が突然部屋に入ってきてそう言った。

 俺は訝しみ、首を傾げる。


「買い物? 行きたいなら、一人で行けばいいんじゃないのか?」


「それじゃだめなんだよ! ほら、これ見てこれ! ばかなお兄ちゃんでも理解できるから!」


 さり気なく馬鹿にしてきたことに若干の苛立ちを覚えつつ、刹那が見せてきた一枚の紙に目をやる。

 どうやらそれは、デパートのチラシのようだった。


 特売している商品が幾つかあるらしく、それらは全て一人一つ限定らしいのである。

 つまり、俺と一緒に行くことで二つ買おうという魂胆だろう。

 そういうことを考えるやつは、他にもいっぱいいそうだ。


「わざわざ二つもいるのか? 一つありゃ充分だろ」


「もー、そんなんだからモテないんだよ!」


「……うるせえ」


 まだ俺は中学生だし、彼女がいなくても別におかしくはない……はずだ。

 何より、小学生とはいえ彼氏ができたことのないやつに馬鹿にされるのは無性に腹が立つ。


「それで、行くの? 行くの? それとも行くの?」


「一択じゃねえか……分かったよ」


「やったーっ! ありがとーっ」


 どうあっても一緒に行ってほしいみたいだから、仕方なく頷いた。

 すると、刹那は両手を上げ、露骨に大喜び。

 笑うと可愛いんだよなー、こいつ。


 それから、手短に用意を済ませて。

 俺たちは家を出て、デパートへ向かった。



     §



「はい、お兄ちゃんはこっち持って!」


「……はいはい」


 デパートの中にある、とある服屋にて。

 特売の対象品である女物の服を俺に手渡してきたため、嘆息しながらも受け取った。

 刹那は、俺に手渡したやつと同じ柄でありながらも異なる色をした服を持ち、せっかく来たついでだからと他の服も物色している。


 それにしても、思っていた以上に人が多くて賑わっている。

 元々このデパートは人気があり、色々な人がよく来る場所ではあったが、それに加えて特売商品がいくつもあるということで更に人が増えているのだろう。

 凄まじい効果だ。


「ふーっ、こんなものでいいかな」


 一息ついてそう漏らす刹那の手には、たくさんの服やスカートに下着などが入ったカゴが提げられていた。

 覚悟はしていたつもりだけど、誰が買うと思ってるんだ。


「せめて半分に減らせないのか?」


「えーっ、しょうがないなぁ。じゃあ厳選するから、あと三十分くらい待って」


「……なげえ」


 女の買い物は長いとどこかで聞いたことはあるが、それは本当だったのだと身を以て知った。

 そもそも、服なんてそんなに持っててもしょうがないだろうに。

 着ることより、買って所持すること自体に重点を置いているような気がしてくる。

 やっぱり女ってのはよく分からない。もちろん、全ての女が当てはまるとまでは思わないけど。



「次どうしよっかなー」


 三十分どころか一時間くらいが経過し、ようやく購入を終えた俺たち。

 服屋から出てすぐ、わざわざ家から持ってきたチラシを眺めながら刹那はそう呟いた。


「特売ってくらいだし、早くしないと売り切れたりするんじゃないのか? あんまり、そういうことは知らないけどさ」


「んー、そうだねー。じゃあ、お兄ちゃん。あそこ行こ」


 そう言って指差した先には、アクセサリーショップがあった。

 刹那も女の子だから、やっぱりそういうものが欲しくなったりするのか。

 でも、チラシを見てみると、アクセサリーは特売の対象にはなっていないようだ。

 せっかく来たついでだし、特売とか関係なく欲しいだけなのかもしれないが。


「特売のやつは、もういいのか?」


「うん。実はね、本当の目的があそこに行くことなんだよ」


「……そうなのか?」


 訝りながらも、アクセサリーショップに入る。

 様々な色や柄に価格をした、ネックレスや指輪などのたくさんの装飾品が並んでいた。

 こういう店に来たのは初めてだが、高価なものばかりというわけでもないらしい。


「じゃあ買ってくるから、お兄ちゃんはちょっと待ってて」


「……お、おう?」


 疑問符を浮かべる俺に構わず、刹那はしばらく物色したあと、ひとつのネックレスを持ってレジへ向かった。

 てっきり俺が支払うものかと思っていたのだが、まさか刹那が自分で購入するとは。


 兄だからといって、刹那がいくら持っているのか正確に把握してなんていないけど、ネックレスを買えるだけのお金があったのか。

 とはいえ、少し離れている位置にいた俺には刹那が選んだ商品の値段は分からなかったし、安いやつを選んでいたのかもしれない。


 などと考えている間に、刹那が戻ってきた。

 片手で、購入したネックレスが入っていると思しき袋を持っている。

 そして――。


「はい。あげる、お兄ちゃん」


 俺に、差し出してきた。


「……え? お、俺に?」


「そうだよ。今日はこのためにお兄ちゃんを連れてきたんだから。あ、断るのはなしだよ、ちゃんと受け取ってね。ほらっ」


「あ、ああ」


 困惑しながらも、受け取る。

 袋を開けて見てみると、金色に輝くネックレス。

 値札には、万までは行っていないが、それでも数千の数字が描かれている。

 働いている大人ならまだしも、まだ小学生の刹那には、かなりの大金だろう。


「あーっ、値段は見ちゃだめだよっ! この日のために、頑張ってお金を貯めてきたんだから」


「な、何で……?」


「何でって、お兄ちゃんにはいつもいつも助けてもらってるから。これからも、どうしようもない妹で、何度も迷惑をかけちゃうかもしれないけど……。えへへ、このネックレスは、そのお礼ってことで」


 視界が霞む。

 ぼやけて、上手く前が見えない。

 自分の意思とは裏腹に、目から涙が溢れて止まらなかった。


「も、もーっ、泣かないでよ! いつもありがとね、お兄ちゃん。大好きだよ」


「……ああ。俺も、俺もだ……っ」


 嗚咽で震える返事に、刹那は照れたように笑う。

 不意打ちだった。

 兄の久遠が亡くなってから、俺は刹那に大して何もしてやれていないのに。


 異論なんて認めない。

 最高の妹に、こんなに想われて。

 俺は、間違いなく世界で一番幸せな兄だ。


「ほら、貸して。わたしが、それつけてあげるよ」


「……ああ、ありがとな」


 涙を手の甲で拭いながら、刹那にネックレスを手渡す。

 そして背の低い刹那でも俺の首にネックレスをつけられるように、中腰になる。

 刹那の手が、俺の首に届く――その、寸前。


 ――地面が、大きく揺れた。


「ぉわっ!?」


 中腰になっていたため、突然の衝撃に俺は情けない声をあげてバランスを崩す。

 店内に並ぶたくさんの棚が、大きな音をたてて倒れていく。

 それは、当然俺たちの周囲にある棚も例に漏れず。


「お兄ちゃん、危ないっ!」


 刹那が、俺を突き飛ばした。

 尻餅をついて前方を見やると、刹那が複数の棚の下敷きになってしまっていた。


 店の外でも、パニックになっている大勢の人々の声が響いているが、今の俺にはそんなもの耳に入ってこなかった。

 今の俺たちに降りかかっているのは、間違いない。

 地震である。それも、かなり大きな。


「刹那っ!」


 叫び、刹那の上から棚を持ち上げようと試みる。

 しかし、こうしている今も地面が揺れて上手く立てない上に、棚自体もかなり重くて全く持ち上げることができない。


「お兄ちゃん……逃げて……」


「ふざけんな! そんなこと、できるわけねえだろ!」


「だめだよっ! ほんとに、これで最後だから……。最後に、もう一回だけ、わがまま聞いて……」


 刹那は、泣いていた。悲しそうな顔で、悔しそうな顔で、辛そうな顔で。

 もう二度と、刹那にそんな顔させないって自分自身に誓ったはずなのに。

 こんな理不尽な災害で、こんな無慈悲な不可抗力で、自分への約束すらも守れない自分に怒りが湧いてくる。


「最後なんて、言うなよ。待ってろ、すぐに誰か呼んでくる。絶対に、お前を助けてやるから!」


 言って、立ち上がる。

 俺一人じゃ、この棚を持ち上げることは不可能だ。

 それならば誰かの助け、できれば成人男性の力を借りるしかない。


 幸い、まだデパートの中には人がたくさん残っている。

 こんな状況でも、いやこんな状況だからこそ、助けてくれる人はきっといるだろう。

 そう思い、店の外へ急いで駆け出した。


「……ごめん。ごめんね、お兄ちゃん」


 そんな、涙混じりの謝罪を背に。



 店から出て、辺りを見回す。

 地震の影響で、色々なものが倒れ、散乱していた。

 誰かに助けを求めるべく、急いで一歩を踏み出した――瞬間。


 すぐ後ろから、大きな物音が響き渡った。

 怪訝に思い、背後を振り向く。


 さっきまで俺たちがいたアクセサリーショップの入口を塞ぐようにして、多数の棚が倒れており。

 先ほど一つの棚ですら持ち上げることができなかった俺じゃ、もう中に入ることはできなくなっていたのだった。


「……嘘、だろ」


 放心して呟き、膝から崩れ落ちる。

 もっと早く、助けに向かっていれば。

 もっと俺に、棚を持ち上げることくらい余裕なほどの力があれば。

 俺は、大事な妹を守れたかもしれないのに。


「刹、那……」


 名を呼んでも、もう答えてはくれない。

 次々と涙が溢れ、最後に見た刹那の泣き顔が頭から離れない。


 この日。

 俺は――人生の八割を、失った。

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