たとえ、全てが壊れようとも ☆
「……え?」
無意識に、口から素っ頓狂な吐息が漏れる。
無数の針が突き刺さり、地面を赤く汚しながら横たわる少女。
アルは――死んでいた。
ついさっき俺との戦闘を終え、ようやく分かり合えたと思っていたのに。
「い、いや……そんな……っ」
隣では、ルナが口元に手を当てて悲痛な声をあげていた。
何だ。何が起こった。この針は、一体どこから――。
「くふっ、あはははっ」
ふと、声が聞こえた。
こんな状況だというのにとても明るく、そして甲高い笑い声。
知らないもののはずなのに。
どうしてか、聞き覚えのある声。
いや、むしろ、今までずっと聞いてきた馴染みのある女の――。
「……ご苦労様です、ルーチェさん」
そう言って、そいつは俺たちの眼前に姿を現した。
背中から生えた、白い翼。
数十センチ程度しかない背丈に、ピンクのツインテール。
そう。さっきまで俺の服の中に潜んでいたはずの、アンジェだったのである。
「おめでとうございます。これで、わたしからのお願いは、全て完了しました」
「お願いって……」
「あれ? もしかして忘れちゃいましたかー? ルーチェさんの命を狙っている者の企みを阻止してくださいって、言ったはずですよ」
もちろん、覚えている。
だが実際は、リコルドはともかくアルは決して変な企みをしていたわけではなかった。
しかも、あくまで頼まれていたのは阻止だ。
ここまで無残に殺す必要なんて、どこにもない。
「ああ、そうだ。確か、終わったらわたしの正体を教えるっていう約束もしてましたよね。せっかくなので、さっそく教えてあげちゃいましょう」
それも、覚えている。
ルナと入浴をした日のことだが、あのときははぐらかされてしまったのだ。
アンジェは両手を横に広げる。
そして、いつも冗談を口にしてきたときと同じような笑顔で。
「わたしは精霊だって言ってましたが、あれは嘘です。なんと、わたしは――魔神ちゃんなのでしたー」
そう、言った。
まるで他愛のない雑談みたいに、明るい口調で。
「魔神……?」
「ええ、そうです。つまりですねー、わたしはこの世界を壊そうとしている張本人だったのです。驚きました?」
どういうことだ。
アルが言うには、世界が崩壊するのは王族の人間の〈武核〉による暴走が原因という話じゃなかったのか。
アルの勘違いだったのか、もしくはその暴走自体がアンジェによる仕業なのか。
「じゃあ全部、騙してたってことかよ」
「もー、騙してただなんて人聞きが悪いですねー。でもまあ、その通りです。利用させていただきました」
ふつふつと怒りが湧いてくる。
アンジェにはもちろんだが、こんな明らかに怪しい奴とずっと一緒にいて全く気づかなかった自分自身に。
「何で、アルを殺した? 世界を壊して、どうする気だよ」
「質問責めはやめてくださいよん。アルさんを殺したのは、このためです」
アンジェは突然ゆっくりと下降を始める。
やがてアルの遺体の上で四つん這いになり、その小さい手をアルの胸の上に置くと。
まるで服や肉など何もないかのように、腕が体の中に入っていく。
その間、僅か数秒。
手を引っこ抜いたときには、何やら綺麗な結晶のようなものが手のひらに乗っていた。
「これ、何だと思いますー? そうです、〈武核〉です」
体内に〈武核〉という結晶が入っていることは、他でもないアンジェから教えられた。
でも、まさかそんなものを素手で取ってしまうなんて。
驚愕と困惑に眉を顰める俺に構わず、アンジェはその結晶を口の中に放り込んだ。
噛むことすらせず、一口で飲み込んでしまう。
「んふっ、おいしっ。わたしだけは、こうして飲み込むことで〈武核〉を自分のものにできるんです。わたしの攻撃はそう何度もできないですし、相手を弱らせる必要があったんですよねー。ルーチェさんのおかげで、何とか手に入れられました」
ふざけるな。
俺が、何のためにアルと戦ったと思ってるんだ。
アンジェに殺させるためじゃない。アンジェの糧にするためじゃない。
世界を壊させるためなんかじゃない。
「アルさんだけは、わたしが世界を崩壊させてもループして戻ってきちゃうみたいなので、どうしても始末しておきたかったんですよー。本当にありがとうございます、お手柄ですっ!」
「いい加減にしろッ! お前のためじゃねえんだよ……アルのことも、救うためだったんだよッ!」
「そんな思想なんて関係なく、結果が全てですよ。見てください、あなたの行動で、どうなりましたか? アルさんを、救えましたか?」
「お前が邪魔しなければ、とっくに、今頃は……ッ」
「それはそれは、すいませんでしたー。全部、全部全部全部、無駄にしちゃってごめんなさい。そして、ありがとうございます」
明るい口調も、緩んだ表情も、甲高い声も、何もかもが癇に障る。
ずっと俺の服の中に入っていて、ルナたち以上に、この世界に来てから一緒に過ごす時間が最も長かったと言っても過言ではない女が。
実は最初から騙し利用されていただけということを知って、怒りなどという言葉では言い表せられないほどの、奇妙な感情が頭をもたげていた。
「何で、だよ……。俺を騙してまで、アルを殺してまで、何で世界を壊す必要があるんだよ!」
「……」
俺の必死の叫びに、アンジェは真顔で押し黙った。
何だ。さっきまで、あんなに調子に乗って、俺をからかってばかりいたのに。
突然の様子の変化に思わず困惑していると、アンジェは意を決したように口を開いた。
「あなたが、欲しいからですよ――コウさん」
「……は?」
さっきまでは、この場に於いても俺のことをルーチェさん呼びで統一していた。
それが、今コウさん呼びに変えたということは。
欲しいというのは、もしかして俺自身のことなのか。
だが、そうなるとますます分からない。
アンジェとは当然この世界に来てから知り合ったわけで、本来の俺の姿など知ってすらいないだろう。
いつだったか、こいつは自分の口で異世界に連れて来る人物は選べないと言っていた。
そんな完全ランダムで連れて来られた俺を、そこまでして欲しい理由がやはり不明だったし、それが世界を壊す理由に成り得るとは到底思えなかった。
「こんな世界なんて、正直わたしにはいらないんです。どれだけ壊れても、どれだけ腐っても、わたしには関係ない。ただ、あなたさえいれば、それだけでいいんですよ」
「何言ってんだ、お前……?」
意味が分からない。
アンジェがそこまで俺を想う理由に思い当たる節は当然なく、気味悪さすら覚えてしまう。
アンジェは、小さく細い手を差し伸べる。
その顔はとても優しい微笑で、だからこそ余計に。
不気味、だった。
「わたしと一緒に行きましょう、コウさん。こんな世界を壊して、二人で新しい世界を創るんです」
驚愕。困惑。畏怖。
それらの感情が脳内を支配し、上手く言葉が出ない。
頬を冷や汗が伝う。喉が渇く。
自分自身を叱咤するかのように拳を強く地面に叩きつけ、必死に声を絞り出す。
「だから、お前は何なんだよ……ッ! そんな誘いに、乗るわけが――」
「まだ、分からないんですか? あなたはもう、私の誘いに乗るしかないんですよ――お兄ちゃん」
「……ッ」
呼称が変わり、声が詰まる。
何だ、今の感覚。
お兄ちゃん。生涯、俺をそう呼んだ人は、一人しかいない。
そして、そいつはもう既に――。
「日月刹那、享年十歳。あなたの、妹さんですよね」
喉が震える。
俺の妹のことを、何でこいつが知っているのか。
そう問いたいのに、やはり上手く言葉にはできなかった。
「何で知っているのかっていう顔してますね。そりゃもちろん知ってますよ。だって――」
そこで一拍あけ、言い放った。
俺にとって、最も衝撃的な一言を。
「――わたしが、その刹那なんですから」




