もし、世界が違っていたら
同時に駆け出し。
僅か五メートルのところにまで接近した頃、突然アルがその手に持っていた鉄球を振り回した。
まるで独楽のように回転し、そのままの勢いで俺の脇腹に直撃する。
「ぐ……っ、は……っ」
だが、今度は容易く吹き飛ばされたりなどしない。
奥歯と足に力を込め、篭手に覆われた右腕で鉄球を押し返す。
そうして鉄球を突き飛ばし――。
「……がら空き」
そんな短い一言とともに、鉄球が俺の頭上を観覧車のように回転。
咄嗟に振り向くも既に遅く、腹部に激突してしまう。
「が……ッ」
口から再度血が溢れる。
でも、それでも俺は踏ん張った。
鉄球を両手で掴み、ぶん投げる。
当然、体は痛む。
体中の至るところが、悲鳴をあげている。
足はがくがくと震え、視界も霞みつつある。
だけど、それが何だ。
鉄球を持った少女一人くらい、数十人の不良どもに囲まれたときに比べたら、全然大したことないじゃないか。
「……はは」
無意識に、笑いが漏れる。
特に意味があったわけじゃない。
ただ、ずっとうんざりしていたあの日々が、こうして役に立った事実が少し可笑しかった。
「行くぞ、アル。今度は、こっちの番だ」
言い、駆ける。
瞬時にアルは鉄球を放つ。
俺はその鉄球を真正面から――力の限り、殴り飛ばした。
「……なっ」
驚愕に目を見開くアルに構わず、俺は走り続ける。
舐めるなよ。
この篭手は、俺のだけじゃない。
ルーチェの魂が全力で込められた、生命の核なんだ。
そんな鉄球ひとつで、止められると思うな。
そんな逃げ場のない使命感だけで、俺の意志を、ルーチェの心を壊せると思うな。
そんな馬鹿みたいな正義感で、ルナを、他の大切な人たちを傷つけるな。
「俺が、あいつの代わりにぶん殴ってやるよッ!」
拳が、めり込んだ。
アルの頬に、篭手に覆われた全力の拳が。
吐血しながら、アルの小さな体が軽々と吹っ飛んでいく。
遥か十数メートルの位置でようやく勢いを失い、仰向けに倒れた。
「はぁ……はぁ……」
今の一撃に気合を入れすぎたためか、一気に疲労が襲ってきた。
少しの間だけ肩を上下させ、やがて耐え切れずに片膝をつく。
いや――疲労だけじゃないか。
体中の神経が痛みに支配され、立つ力すら上手く入らない。
これは……まずいな。
今のうちに攻撃なんてされてしまえば、今度こそ本当にやられてしまうかもしれない。
そう思い、倒れたままのアルに目を向ける。
全く起き上がる様子はなく、じっと空を見上げていた。
「ルーチェ、大丈夫っ!?」
と、泣きそうな顔をしたルナが駆け寄ってくる。
こいつは本当に、いつも泣くか笑うかのどっちかしかないな……。
「だいじょう……痛ぅっ」
心配させまいと答えようとするも、途中で激痛が走り腹部の傷口を押さえる。
さすがに、無茶をしすぎたか。
何度も腹やら手やらで、鉄球の攻撃を受け止めてしまった。そりゃあ、痛んで当然というものだ。
「もう……じっとしていてね」
ルナは俺の傷口に手を翳し――瞬間、ルナの手が淡い光を放ち始めた。
この光は、俺も見たことがある。
なぜなら、初めて篭手が顕現したときに、自分の腕がまさに同じ光り方をしていたのだから。
そう考えている間にも光は止まり、とある影を形作る。
それは――金色に輝く、一本の杖だった。
ということは、これがルナの〈武核〉なのか。
ルナは杖の先端を俺の傷口に押し当てる。
直後、何だか温かい感覚が体中に伝わってきた。
そして、みるみるうちに傷が塞がり、痛みも治まっていくのが分かる。
今のは、おそらくルナの〈武核〉による能力なのだろう。
さっきまで痛かったのが嘘みたいに、一瞬で完治してしまうとは。
でもまあ、ルナに相応しい力だ……なんて、少しばかり思ってしまう。
「あ、そうだっ、アル!」
ふと、思い出したように叫んだルナは、未だに倒れているアルのもとへと駆け出す。
俺も後に続き、アルの傍らで片膝を立てた。
「……負けた。やっぱり、ルーチェには敵わない。戦いだけじゃなく、心でも」
開口一番に、ぼそりと呟く。
更に、顔だけをこちらに向け、問いを投げかけてくる。
「……ルーチェ。さっき言ったこと、まだできると思ってる? 暴走した人を、殴ってでも止めるって」
「もちろんだよ」
迷わず、そう答える。
嘘偽りない、自分自身の本心だ。
そうできると思っているし、もしそんな事態に陥った場合は、そうしないといけないと思っている。
「……そっか。もし住む世界が、見ている世界が違っていたら、アルもルーチェみたいになれたのかな」
そう言って、笑った。
決して満面の笑みではない。ほんの少しだけ、口角を上げた程度。
だけど。ぎこちなくはあっても、確かにそれは、初めて見た笑顔だった。
「……ありがとう。ごめん、ルーチェ。アルは――」
俺が、アルに差し伸べられた手を取る――寸前で。
背後から、紫色の針が無数に飛んできた。
その全てはアルの体に突き刺さり、大量の鮮血が迸る。
アルの手は、力を失う。
僅かに開いていた瞳も閉じ、口角だけを上げたまま。
幼い少女は、動かなくなった。




