挙句、目指した野望の底に
一歩、また一歩、更に一歩。
逸る鼓動を押さえながら、足を前に前に動かす。
ほんの数メートル程度の距離が、ほんの数秒程度の時間が、今は永遠にも等しく感じられた。
立ち止まる暇も、後ろを振り返る暇もない。
服の中にいるはずのアンジェの様子を伺う余裕すら、今の俺にはない。
ただ、無我夢中に。ただ、一心不乱に。
ルナたちがいるであろう、あの屋敷に向かって走り続けた。
§
「はぁ……はぁ……」
肩を上下させ、息を整える。
今までにないくらい全速力で走ったためか、汗だくになってしまっていた。
頬を伝う汗を袖で拭い、微かな緊張を覚えながら家の扉を開ける。
「……な、んだよ、これ……?」
まず真っ先に視界に映り込んだのは、床から壁にかけて一面に広がる赤。
そして――壁にもたれかかるようにして座っている、レオパルドの姿だった。
腹からは血が溢れ、痛そうに顔を顰めて腹部を手で押さえている。
「な、何があったの!?」
慌てて駆け寄ると、レオパルドは薄く目を開ける。
とにかく命はあるようだが、この傷は尋常じゃない。
シンミアがあれほどまで勝ってくれていると信じていたレオパルドが、まさか既にこんなにやられてしまっているだなんて。
リコルドの言っていたことは、本当だったってのか。
一体、誰なんだ。
リコルドの味方をしているという、もう一人とやらは。
「……何、で……一人で来てんだよ……痛……ッ」
絞り出すように問い、また痛みで顔を顰める。
そういえば、レオパルドがシンミアに、俺のところまで助けに向かわせたのだ。
だというのに、シンミアも連れず俺だけが一人で戻ってきたとなれば、不審がるのも無理はないだろう。
俺がここに来ることになった経緯を簡潔に説明すると、レオパルドは舌打ちを鳴らすだけで何も答えはしない。
目を閉じ、天井を見上げている。
「レオパルドをここまでやった奴って、誰なの?」
「……知らねえ女だ。小せえ体で、鉄球を振り回してやがった」
小さい体の女……。
こっちの世界に来てから俺自身が知り合った人なんて少ないし、間違っている可能性のほうが高いのは分かる。
だけど、俺の脳内にはとある一人の姿しか思い浮かばなかった。
「それじゃあ、ルナ……お姉ちゃんは、今どこに?」
「二階にいる、はずだ」
二階にルナや敵の女がいる。
何だか、その割には妙に静かな気がした。
脈打つ胸を押さえ、俺は立ち上がる。
頼むから、まだやられてんじゃねえぞ――と、心の中で祈りながら。
二階へ向かうために踵を返した、瞬間。
不意に、背後から声をかけられた。
「おい、ルーチェ様よ」
答えず、ただ肩越しに後ろを振り向いて次の言葉を待つ。
こちらを試しているかのような、品定めしているかのような、疑惑の眼差しでその質問を投げかけてきた。
「――あんたは、何者だ? どうせ、本物のルーチェ様じゃねえんだろ」
「……」
最初から、レオパルドは俺のことを疑っていた。
でも、今の口ぶりは疑っているというよりは、何だか確信を抱いているように感じられた。
俺は否定をしない。
ただ、問い返す。
どうせ、今からルナのもとへ向かい、敵を倒して、全てが終わるのだから。
「……何で、そう思う?」
「ルーチェ様は、俺のことをレオって呼ぶんだよ。あんたみたいにレオパルドって呼んだのは、初めて会ったときの一日だけだ。それに、時々口調も男みたいになりやがるし……ルナ様やシンミアみてえな奴らならまだしも、俺を騙すには色々と下手くそすぎんだよ」
「……はは」
思わず、乾いた笑いが漏れる。
確かに、迂闊すぎたかもしれない。
ルナやシンミアには、そもそもルーチェを疑うなどという発想が存在しないようだったが、レオパルドのような頭の切れる者には疑われてもおかしくない。
やっぱり、最初から俺には向いてなかったんだ。
アンジェも、本当に無茶なことを要求してきやがったものだ。
「痛……けど、よ。この傷で、今更あんたをどうにかしようとは思えねえし、できねえ。だから、一つだけ聞かせろ。その体を使って――何をするつもりだ?」
「……」
鋭い眼光で射竦められ、俺は一瞬だけ言葉を失ってしまう。
口は悪いし、目つきも悪いし、態度も悪い。
でも、そんなレオパルドも、きっとルーチェのことを大事に思っているのだろう。
あくまで憶測には過ぎないものの、その問いはルーチェに、そしてルナたちに危害を加えようとしているのか、という問いのようにも思えた。
前に向き直る。
二階へ向かうために一歩を踏み出し――また、肩越しに背後を振り向く。
ぎこちないながらも、確かに口元に笑みを湛えて。
「ルーチェの代わりに、大事なお姉ちゃんを助けてくるだけだよ」
「……はっ」
短く、小さく、笑った。
それを最後に、レオパルドは目を閉じて動かなくなってしまう。
確認したのち、再び前を向いて走り出す。
階段を一段飛ばしで上がり、廊下を駆ける。
少しでも速く、前へ、前へと。
少しでも早く、ルナのもとに辿り着けるように。
扉を勢いよく開け放つ。
ルナの部屋に足を踏み入れ、目を見張る。
この場に存在する人間は、俺を除けば四人。
長く太い頑丈な鎖で壁に拘束され、身動きがとれなくなっているルナ。
ロッタは頭部や腕から血を流し、苦悶の表情を浮かべたまま壁にもたれかかっている。
ルナやルーチェの父親であるアストロは、身の丈ほどもある巨大な大剣を構えており、その鋭い視線はとある一箇所に注がれていた。
そう。目の前で、無表情なまま突っ立っている少女。
アルジェント=ネーヴェに。
鉄球を扱う、小さな体をした女。
俺を、俺たちを襲った奴。
それが――アルだったってことか。
「……ルーチェも、来たんだ。手間が省ける」
俺が部屋に入ってきたことに気づき、アルは淡々と呟く。
その発言は、俺の勘違いなどではないことを意味していた。
「何で……何でなんだ」
寝てばかりで、よく分からない奴だなとは思っていたけど。
それでも、ルナのクラスメイトで友達のはずだ。
少なくとも、こんな風に命のやり取りをしていいような関係じゃない。
しかし。
次に発せられたのは、アルのどこか悲哀を滲ませたか細い答えだった。
「……王族の人間を殺す。それが――アルの使命だから」




