しかし、違えた道の先が
痛みは感じない。
俺の体を覆っていた淡い光が消えた途端に。
全身の傷は全て塞がり、血も痛みも完全に止まっていた。
まるで、さっきまで痛みのせいであまり動けずにいたのが嘘みたいに、今では立ち上がることができた。
「……どういう、ことだ?」
自分が与えた傷が全て一瞬で癒えたことで、リコルドは眉根を寄せる。
俺自身、さっきアンジェが一体何をしたのか不思議で仕方ないが、今は問うている暇などない。
リコルドを睨みながら、心の中で念じる。
瞬間、右腕を覆い尽くすほどの大きな篭手が現れた。
「何をしておる、ルーチェ。お主は下がっておれ。此奴は危険じゃ」
「……そういうわけにもいかないんだよ。早くしないと、ルナたちが危ないかもしれないんだから」
マーレの忠告を拒み、俺は構える。
リコルドのような奴をマーレ一人に相手させて自分は見ているだけというのも嫌だし、こんなところで時間をかけていたら、ルナの危機に間に合わなくなる可能性だって有り得る。
だから俺も一緒に戦い、できるだけ早くリコルドを片付けてしまったほうがいいだろう。
そう思った故の答えだったのだが、何やらマーレは呆れたように溜め息を漏らす。
そして傘を差し、こちらを振り向くことすらせず言い放つ。
「だからこそ、じゃろ。ここは余が食い止めるから、お主はさっさと行けって言っておるのじゃ」
「は、はあ? でも……っ」
「でも……? 思い上がるでない。教師の不始末は、同じく教師の余がケリをつけるものじゃ。それに――お主には、もっと優先すべき命があるように思うんじゃがのぅ」
そう言って、ニヤリと不敵に笑む。
優先すべき命。
間違いなく、あいつのことを言っているのだろう。
でも、俺の脳内には。
もう一人だけ、別の顔が映り込んでは霧のように消えた。
……そうだ。
俺は、もう二度と誰も見捨てないって決めたんだ。
俺は、もう絶対に手を離さないって誓ったんだよ。
ギリ……ッと、強く奥歯を噛み締める。
リコルドの実力はまだ分からないが、マーレだって教師だ。
二人とも、こちらの世界に来たばかりで篭手の扱いに慣れていない俺よりは遥かに手練れのはず。
それなら、俺は――。
「ル、ルーチェ様ッ!?」
と、不意に。
背後から、聞き覚えのある叫び声が発せられた。
後ろを振り向く。
そこには、ここまで走ってきたのか肩を上下させているシンミアの姿があった。
「何で、ここに?」
「レオくんが、ルーチェ様のところに急げ……って。それで探していたのですが、どうやら間に合ったようですね」
レオパルドが、シンミアを俺のところに?
ということは、やっぱり既に家のほうにもう一人が襲ったということか。
「ルナ……いや、お姉ちゃんは?」
「……すみません。レオくんたちが戦っている途中で、すぐさまルーチェ様を探しに向かったものでして……今どうなっているかまでは。ですが、ご無事のはずです。レオくんが、きっと今頃――」
シンミアがこちらに歩み寄りながら状況を説明する、途中で。
今度は、突然リコルドが哄笑した。
「クク、クハハハハハッ! メイドや執事、そのような使用人ごときが、勝てる相手だとは思わないほうがいい。今頃、優勢なのはこちらだと思うがなァ……ッ!」
「……少々、黙っていただけますか」
今までに聞いたことのないような低い声色で、リコルドを睨むシンミア。
傍から見ても分かるくらい、今のシンミアにあるのは怒りの感情だった。
それなのに、怒りを向けられたリコルドは不敵な笑みを浮かべるのみ。
リコルドの仲間というのが、一体誰なのかは知らないが。
まさか、レオパルドたちですら敵わないほど強いとでも言うのか。
ハッタリだと思いたいが、そんな嘘でここまで自信満々に振る舞えるものだろうか。
嘘だ、負け惜しみだ、と一蹴することは容易い。
だけど、今ルナたちがどういう状況なのか一切不明である以上、そう楽観的にもなれなかった。
「シンミア。ここは、ちょっとお願いしてもいいかな」
「……お願い、とは?」
「私は――お姉ちゃんを助けに行くから」
シンミアは、驚愕に目を見開く。
その一言だけで、俺の意図を詳細に理解してくれたようだ。
いくらマーレが強かろうと、リコルドを相手に一人だけでは不安が残る。
シンミアに加勢してもらいつつ、俺はルナたちのもとへ急ぐ。
レオパルドが相手を倒してくれていたり、問題なく解決していればそれでいい。
だけど、もしものことを考えたら――そんな嫌な予感が、膨らみはしても一向に治まってくれないのだ。
「……かしこまりました。くれぐれも、お気をつけください。私は、ルーチェ様がルナ様方と一緒に無事なお姿を見せてくださるのを待っています」
シンミアは一歩前に踏み出し、リコルドを睨みつける。
その言葉の意味は、本人からしたら深い意味はないのかもしれないけど。
自分自身も、リコルドにやられたりなどしないという誓いですらあるような気がした。
「ありがとう、シンミア。マーレ……先生も、シンミアをよろしくね」
「全く、余は一人でも大丈夫なんじゃが。まぁ、任せておれ」
呆れたように溜め息を漏らし、肩越しにこちらを振り向いて白い歯を覗かせる。
見た目は幼い少女みたいなのに、何だかすごく心強いものを感じた。
俺は頷きを返し、駆け出した――瞬間。
「行かせはしないッ!」
リコルドの叫びが聞こえ、後ろを振り向くと。
槍の先端をこちらに向けたリコルドが、凄まじい勢いで肉薄してきているところだった。
また、刺される――そう思ったのも、束の間。
つい目を閉じようとしていたのを中断し、代わりに目を見開く羽目になった。
俺の眼前で。
シンミアが、両手に持った二つの短剣で槍を防いでいたのだから。
「行ってください、ルーチェ様」
「……ありがとう」
もう一度、礼を告げて。
それ以上振り向くことなどせず、ただ無我夢中に走り続けた。




