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なお、悲劇の末は

 俺には、兄妹がいた。

 五つ上の兄と、三つ下の妹だ。


 照れ臭くて言葉にしたことはないけど。

 俺は、兄と妹が本当に大好きで、世界で一番大切な存在だった。




「……悪ぃな。こう刹那せつな


 兄――久遠くおんは、いつも同じ言葉ばかり俺たちに呟く。

 病気のせいで入院している兄に、俺たち二人でお見舞いをする度に。

 何度も、何度も、申し訳なさそうに顔を歪めているのが、何だか胸が苦しかった。


 まだ中学生になったばかりの自分には、その苦しみの理由はよく分からなかったけど。

 ただ、兄にも妹にも悲しい顔はしてほしくなかったのだ。


「なぁ、劫。お前は、絶対に女を傷つけるような大人になるなよ? 女を泣かせるようなやつなんて、かっこ悪いからなぁ」


「……分かってるよ。そんなことしないっての」


 俺の頭を撫でながら、兄は白い歯を覗かせる。

 答えに満足したのか、兄の豪快な笑い声が病室に響く。


 病気にかかっているとは思えないほど、家にいるときと全く変わりがない。

 本当に元気で、明るくて、話しているだけでも楽しくて。


 だから、油断していたのかもしれない。

 また同じように笑ってくれると、楽しく話してくれると、そう信じて。

 いや、それは信じるとか期待とかですらない。

 そうあることが、もはや当然のようになっていたのだった。


 不幸というものは、いつだって突然やってくるものだというのに。


 妹の刹那と一緒に、病室を訪れた俺たちを出迎えたのは。

 兄の笑顔でも、兄の申し訳なさそうな悲しい顔ですらなかった。


「昨晩から病状が悪化し、つい先ほど――息を引き取りました」


 医者の話も、上手く耳に入らなかった。

 兄、日月たちもり久遠くおん。享年、十七歳。

 その日、若くして天国へ旅立ってしまったのである。


 嘘だと言ってほしかった。冗談だと笑い飛ばしたかった。

 だけど瞳から涙が溢れ、これ以上ないほどに胸が張り裂けそうで。

 これが嘘でも夢でもないことは、幼心でも理解していた。してしまっていた。


 隣で刹那も泣き、嗚咽を漏らす。

 もう二度と笑いかけてくれないのだと。もう二度と頭を撫でてくれないのだと。

 そう実感して、溢れる感情を止めることなど、幼い俺たちにできるはずもなかった。


 どれくらいの長い時間、そうしていたのだろうか。

 それから二人で帰宅したものの、どうやって家に帰ったのかすら覚えていない。


「……ちょっと、一人にさせて」


 刹那は生気の感じられない声色で、虚ろな瞳で呟き。

 小さな歩幅で、自分の部屋へ入っていった。


 九歳の幼い少女に、兄の死という現実は重すぎたのだろう。

 あんなにも暗く沈んだ刹那は、今までに一回も見たことがなかった。


 いや、それは俺も同じ。

 家からだけでなく、この世界から兄がいなくなってしまったことで、心の中に大きな穴ができたかのような感覚に陥ってしまう。


 でも、じっとしていたら余計に辛くなってくる気がして。

 俺は台所に向かい、夕飯を作り始める。


 少しでも手を動かして気を紛らわせないと、また止めどない涙が溢れ、胸が苦しく痛くなる。

 俺は、刹那の兄だ。今では一番の年上の俺がしっかりしなければ、誰が刹那の面倒を見るというのか。

 だから、だめだ。泣くのは、病院での一回きりでいい。


 何度も自分自身にそう言い聞かし、刹那の大好物であるオムライスを作る。

 これで、少しでも元気を取り戻してくれたらと。

 今の俺にできるのは、それくらいしかなかったから。


 数十分ほどを経て完成し、食卓に並べる。

 しかし、刹那が部屋から出てくる様子はない。

 このまま待っていても冷めてしまうだけだろうし、さすがに呼びに行くか。

 俺は二階に上がり、刹那の部屋へ向かう。


 そして、部屋の扉をノックする――寸前で。


「……う、うぅ……おにい、ちゃん……うう……っ」


 そんな悲痛な嗚咽が、部屋の中から微かに聞こえた。

 刹那が、泣いている。

 何度も兄を呼びながら、嗚咽を噛み殺すことすらできずに。


 思わずノックすることを躊躇ってしまい、上げかけていた手を下ろす。

 妹が辛さのあまり泣いているときに、兄である俺ができることは何だ。

 一人にしておく……というのも、もちろん大事だろう。

 現に、俺が夕飯を作っている間は妹を一人にしておいたわけだが。


 それでも、一人にするのと、放置するのとは似てるようで違う。

 こういう状況に於いての最適な行動なんてものは分からないし、もしかしたら間違っているのかもしれないけど。

 今の俺には、とある一つの行動しか頭になかった。


「……刹那」


 扉を開けず、ノックもせず。

 外から、中にいる刹那に声をかける。


 応答はない。

 だけど構わず、更に言葉を続ける。


「飯、できたぞ。冷める前に来いよ」


「……ん」


 返ってきたのは、下手すれば聞き逃してしまいそうなほど小さく儚い返事。

 それから数十秒が経ち、ゆっくりと扉が開く。

 中から出てきた刹那は、目が赤く腫れ、頬に涙の跡が残っていた。

 その様子を見るだけで、どれだけ泣き腫らしていたのかが痛いくらいに理解できてしまう。


 かける言葉が見つからないまま、小さな歩幅でリビングへ向かう刹那の半歩後ろをついて行く。

 リビングに足を踏み入れ、刹那の視線はテーブルの上に置かれた料理へ注がれる。


 いつもなら、夕飯がオムライスだということを知るや否や、大はしゃぎして全力で喜ぶほどだった。

 なのに、今は一瞥したあとに無言で食卓につくだけ。

 スプーンを手にしても、一向に口に運ぼうとしない。

 ただ俯いて、唇を引き結んでいた。


「……ねえ、劫お兄ちゃん」


 ふと。俺のほうを振り向くことすらせず、俯いたまま声をかけてきた。

 その声は、今にも泣き出しそうなくらい震えていた。


「……何で、死なないといけないのかな。久遠お兄ちゃんが、何をしたの……? 世の中には、もっと悪いことをしていながら生きている人たちもいっぱいいるのに、何で何もしてないお兄ちゃんが、死なないと、いけなかったの……っ」


 俺に背を向けたまま声を荒らげ、自身の想いを吐露する。

 気づけば、俺は奥歯を強く噛み締めていた。


 もし俺が物語の主人公なら、こういう状況に於いても気の利いたいいことを口にできたのかもしれない。

 だけど俺には、拳を握り締め、悔しさで顔を歪ませることしかできなかった。


 兄が死んだ理由。

 問われた内容にいくら頭を悩ませようと、おそらくそこに答えはない。


「刹那……」


 一歩、足を踏み出す。

 涙混じりに投げられた問いに、答えることはできない。

 不器用だから、正しいかどうかなんて分かるはずもないけど。

 考えるより先に、体が動いた。


「……お、お兄ちゃん……?」


 抱きしめる。

 刹那の困惑したような声を耳に入れながら。

 その小さく華奢な体を、後ろから、強く。


「泣くな、なんて言わない。悲しければ、痛ければ、苦しければ、好きなだけ泣けばいい。誰にも、お前の涙を止める権利なんてないんだからさ」


 刹那は少し俯き気味で押し黙り、俺の言葉に耳を傾けている。

 俺は抱きしめている腕に力を込め、更に続ける。


「でも、俺たちが沈んで泣き続けることを、きっと兄さんは求めてなんかいない。だからさ――」


 そこで、一拍あけ。

 俺は刹那の正面に回り込む。


「――兄さんが安心して笑って逝けるように、そうして泣き果たしたあとに思いっきり笑えるくらい、強くなってやろうぜ。じゃないと、何やってんだって怒られちまうよ」


 そう言って、微笑んでみせた。

 刹那は目を見開く。

 何かが決壊したかのように、また止めどない涙を頬に伝わせる。


「……うん、うん……っ」


 声を震わせ、何度も何度も頻りに頷きながら。




 日月刹那は、俺のたった一人の妹だ。

 その存在は俺にとって、何者にも代えられないほど大きな存在だった。


 笑顔も、涙も、喜びも、怒りも、全て。

 先に逝ってしまった兄の分まで、俺が守り抜いてみせる。


 俺は、そう誓った。

 だけど、過信しすぎていたのかもしれない。


 この手は、俺自身が思っているより何倍も小さくて。

 何倍も役に立たない、弱いものだったのだ。


 大切な家族一人を守ることさえ、できないくらいに。

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