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従って、欲望の歪みに

 リコルド=リグアルドは、かなり生徒想いの善良な教師だと思っていた。

 俺のことや他の生徒たちのことを気にかけてくれたり、学校で機械人形に襲われたときも安全を守るためにすぐさま他の教師に話してくれた。

 そして、ルーチェが生きて戻ってきたことを知り、あんなに優しく迎えてくれたというのに。


 今ここにいるリコルドからは、そんな優しい様相など微塵も残ってはいない。

 自身の血の中で倒れている俺を見下ろす眼差しは冷たく、少なくとも自分の教え子に対するものじゃなかった。


 何でだ。何で、こうなった。

 リコルドを信用してしまったのがいけなかったのか。

 マーレを疑ってしまったのがいけなかったのか。

 こいつは最初から、俺を騙していたというのか。


「な、何、で……」


 必死に、声を絞り出す。

 激痛や驚愕などで、今の俺にはそれが精一杯だった。


「何で? 妙なことを言う。それは、こっちの台詞だ。あんなにも美しく命を散らせてやったというのに――どうして、生きている?」


「……ッ」


 今度は、声が出なかった。

 今までのリコルドからは想像もつかない、不快感しか感じられないような低くドスのきいた声音へと変わっていたから。


 その言葉が意味するのは、全て真実だということ。

 すなわち、ルーチェを殺害した張本人が――リコルドだったということだ。


「……やはり、お主じゃったか。何故、ルーチェを殺す? 理由もなく、こんなことをしているわけではないじゃろ?」


「理由、か。そうだなァ……」


 マーレの静かな怒りを滲ませた問いに、リコルドは気味の悪い笑みを浮かべる。

 そして自身の顔に両手を当てる様は、完全に別人のようだった。


「君が好きだからに他ならないんだよ、ルーチェ君……ッ」


「……な、何、だよ、それ」


「もし仮に好きな人ができたとしたら、君たちはその人と何をしたいと感じる? 口づけを交わしたい、たくさん会話をしたい、相手の喜ぶことをしたい、肉体関係を持ちたい……その欲は様々だろう。私の欲が――それだっただけの話だ」


「それ、じゃと?」


 訳が分からないとでも言わんばかりに、マーレは眉間に皺を寄せる。

 するとリコルドは噛み殺すように小さく笑いを漏らし、瞳孔の開ききった相貌で悪意を紡ぐ。


「私はね……可憐な少女が傷つき、苦しみ、そして死に至る様を見るのが堪らなく好きなんだよ。あんなにも大量の血を花のように散らし、絶望しながら息絶えていく……これほど性的興奮を覚えるものは、他には存在しないッ! ……ああ、だが安心してほしい。無論、誰でもいいというわけではなく、好きな人にしかしないようにしているさ」


「……いかれておるな」


 マーレは不快そうに顔を歪め、短く吐き捨てる。

 俺の体は動かない。声も出ない。ただ、呼吸をするだけで精一杯だった。

 それでも、胸の奥で沸き立つものを感じていた。


 ……ああ。これは、怒りだ。

 そんな下らない、自分の欲求のためだけに――ルーチェを、殺したというのか。


「クク、クククク……ッ! ああ、ああ、今でも思い出すだけで何発でも出せてしまえそうだよ、ルーチェ君……ッ! 美しく、芸術にも等しい君の死に様は、筆舌に尽くしがたいほど、私の最高傑作だったッ!」


 これが、こいつの本性か。

 最高傑作と称するということは、今までにできた好きな人とやらにも、何回か同じように殺人を行っているのだろう。


 優しくて、生徒想いのいい教師だと思っていた俺が馬鹿みたいだ。

 どうしようもない、クズ野郎じゃねえか。


「……だが、だからこそ、許せない。美しくルーチェ君を血で飾り、私は人生で一番の絶頂を感じることができたというのに、どうして君は生きている?」


 鋭い眼光で俺を射竦め、先ほどと同じ問いを投げかける。

 中に別の人間が入っているだなんて、到底思うわけがない。

 自分が殺した相手が生きていたと知れば、確かに不審がるのも当然だろう。


 だけど、今の俺に、そんなことはどうでもいい。

 ルナやロッタ、シンミアにレオパルド。他にも様々な家族や友人たちからルーチェという存在を奪ったこいつを、許せるわけがなかった。


「……ふざ、けんじゃねえ」


 血で染まった腹の奥底から声を絞り出し、両手を地面につく。

 動け、動け――と、何度も心の中で反芻しながら。


「何が、最高傑作だよ。何が、美しい死に様だよ。お前の心は、クソみてえに汚えよッ!」


 何度も口から血が溢れる。視界はぼやけ、今にも意識を失ってしまいそうなほど上手く力が出ない。

 でも、こんな野郎に負けるのだけは絶対に嫌だ。

 せめて、こいつを全力でぶん殴ってやるまでは。


 リコルドは答えない。

 ただ、不気味に口角を上げ、片手で大きな槍を構えた。


「まあ、いい。何故かは不明だが……それならば、もう一度殺してしまえばいい。もう一度あのときのような興奮を得られるのなら、これ以上ない喜びだ……ッ」


 槍を振りかぶる。

 そして、未だ動けずにいる俺の背中に向かって振り下ろし――。


「……ッ!?」


 ――その槍は、俺に当たることはなかった。

 訝しみ、両手を地面についたまま首を後ろに回す。


 開いた傘が俺に覆いかぶさるようにして、槍を防いでいた。


「自分の教え子に向かっていきなり襲いかかるとは……お主は教師失格じゃな。いや――人間失格、かのぅ?」


 マーレがこちらに手のひらを向けて言い、コツコツと小さく足音を響かせながら少しずつ近づいてくる。

 この傘はマーレの〈武核クオーレ〉だ。

 まさか、あの一瞬で俺を守るために傘を放ったというのか。


「マーレ君。邪魔するのなら、致し方ないか。向こうも、そう早くは片付けられないだろうから、少し遊んでやるとしよう」


「……向こう、じゃと?」


 怪訝な表情で問い返すマーレに、リコルドは意味深な笑みを浮かべるだけで何も答えようとしない。

 向こう。早く片付けられない。

 リコルドが口にした言葉を繰り返してみる度に、嫌な予感が徐々に膨らんでいく。


「まずいですよ、コウさん」


 と。いつにも増して深刻な様子で、アンジェが服の中から声をかけてきた。

 その口ぶりから察するに、朗報じゃないことは確実で。

 服の中に目を落とし、微かな緊張を覚えながら次の言葉を待つ。


「おそらく……今頃、ルナさんたちが襲われているかもしれないです」


「……え?」


 ルナは、さっきロッタと一緒に俺たちと別の道を進んだ。

 それから自分の家へ向かい、今はもう安全のはず……じゃないのか?

 だって、俺の命を狙っているリコルドは、今ここにいるのだから。


 そこまで考えて、俺はとある思考に辿り着く。

 ルーチェの命を狙っている者が一人だけだなんて、誰も言っていない。


 街中で俺を襲ってきたのは、鉄球。

 リコルドの武核クオーレは、槍。

 謎の人物から逃げている最中、二手に別れようと提案してきたのはリコルドだ。


 もしかして、あのとき二手に別れたのは。

 始めから俺を一人にし、そしてその間にルナたちをもう一人が仕留める算段だったとでもいうのか。

 俺だけじゃなく、その矛先をルナたちにも向けやがったのか。


 考え違いであってほしい。

 だけど、否定に足る情報など一つも存在しない。


 早く駆けつけなければ――ルナたちが、危ない。

 その事実が俺を逸らせるも、肝心の体は全く動いてくれなかった。


「大丈夫ですよ、コウさん。あなただけは、絶対に、何があっても死なせません」


 アンジェが、まるで聖母のような優しい口調で告げ。

 瞬間――俺の全身を、淡い光が包み込んだ。

 マーレとリコルドも目を見張り、俺を見下ろす。


 僅か、数秒後。

 俺の体に穿たれていた傷口は全て塞がり。

 そこから溢れていた血も、綺麗に止まっていた。

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