ついに、影は全貌を現す
「無事か、ルーチェ君」
「……あ、ああ……」
突然の出来事に、女口調にする余裕すらなく、放心しつつもそう答えるのが精一杯だった。
俺を庇うようにして立つリコルドに、同じように困惑しているルナとロッタ。
俺も含めた全員の視線は、いきなりどこからか飛んできた謎の大きな鉄球へと注がれていた。
さっきまで、普通に会話していたはずだ。
ルナやロッタと一緒にスイーツに舌鼓を打ち、大量の服に着替えさせられ、すっかり暗くなってきたから帰ろうとしていただけ。
そんな、ごく普通の平穏は――何の予兆もなく、呆気なく壊された。
ああ、そうだ。俺は、忘れていたんだ。
元の世界でも、この世界でも、その事実は変わらない。
災禍や惨事というものは、いつも突然やって来るということを。
「この鉄球、もしかして……」
思い当たる節があるのか、ルナは明らかに動揺している。
何だ、この反応。生憎と俺は誰がどんな武核を使用できるのか知らないため、正体を感づくことなどできやしない。
だけど、もし本当にルナたちの知り合いなのだとしたら。
こうやって武核を使ってしまえば、どう考えても怪しまれてしまうだけだろう。
まるで、自分の正体を自ら明かしているかのような。
いや、まだ不審な点はある。
この鉄球は間違いなくルーチェの命を狙ったものだと思うが、俺がこの世界に来る前はルーチェが一人でいるところを殺害されたと、アンジェが言っていた。
なのに、今はルナにロッタ、リコルドまで一緒にいる。
俺が一人になるまで待てなかったのか、もしくは何か別の理由があるのか。
「ルーチェ君、立てるか? 今はとにかく逃げたほうがいい」
リコルドに手を差し伸べられ、思考が中断される。
そうだ、今は考えている暇などない。
リコルドの手を取って立ち上がると、鉄球は跡形もなく消滅した。
だが、それは決して諦めたわけではなく。
再度、俺を目がけてどこからともなく鉄球が放たれた。
「く……っ! こっちだ!」
リコルドに手を引っ張られ、間一髪で回避に成功する。
そして、すぐさま俺たちは駆け出した。
相手の姿は見えない。
でも、足音は後ろから微かに聞こえる。
背後を振り返ることさえできず、ただ無我夢中に、一心不乱に逃げ続けた。
あれから、十数分程度が経過して。
俺たちの前に、二つの分かれ道が立ちはだかった。
追われている以上、別に分かれ道があったところで立ち止まる必要なんかない。
ただ、リコルドが腕を広げ、俺たちは足を止めざるを得なかった。
「ど、どうしたんですか? 早く逃げないと……」
「ああ、もちろん分かっている。だが、ここは二手に別れよう」
ルナの問いに、リコルドは神妙な面持ちでそう答えた。
後ろを振り向きながら、更に続ける。
「先ほどの攻撃から察するに、おそらく狙いはルーチェ君ただ一人。つまり、ここで二手に別れれば、少なくともルナ君やロッタ君が襲われることはないはずだ。私は、ルーチェ君と同じ道を行くことにする。無論、ルーチェ君のことは教師として私が守ってみせよう」
戦力を分断させる必要があるのか……とも思ったが、リコルドの案に反対する理由も特にはない。
何より、それでルナやロッタに危害が及ばずに済むのなら、俺は賛成だ。
リコルドは教師だ。少なくとも俺たちより強い可能性は高いわけだし、これ以上ないほどに心強い。
「で、でも……っ」
「急げ。問答をしている暇はない」
渋るロッタに、リコルドは強い口調で言い放つ。
二人は顔を見合わせ、やがて意を決したように頷いた。
「ルーチェ……絶対、絶対、帰ってきてね。あたし、信じて待ってるから」
最後に、泣きそうな顔でそう告げ。
ルナとロッタの二人は、駆け足で道を左折した。
大丈夫だ。
もう、大切な人が死ぬところなんか見せたりしない。
見たくない。
リコルドも一緒なのだ。相手が誰であろうと、大人しく死んでなんてやるもんか。
さっき通った道を振り返り、待機する。
僅か数秒で、視線の先に一つの小さな人影が見えた。
遠くて、誰なのかを判別することはできない。
でも、その人影のサイズから、背が低いことだけは分かった。
――たぶん、女性。というより、女子……か。
「今だ、行こう!」
と、リコルドが駆け出し、俺も彼の後ろをついて行って道を右折。
人気のない、薄暗い路地裏を肩を並べて走る。
これで、俺たちがこっちの道に進んだことが相手にも伝わっただろう。
だから、ルナとロッタはもう安全のはず。
そう、信じて疑わなかった。
「……っ!」
俺とリコルドが進んだ道の先は、行き止まりだった。
越えられそうにない壁が立ち塞がり、咄嗟に足を止める。
後ろを振り返り、徐々に近づいてくる影を睨みつける。
誰だ。一体誰が、俺を狙っている?
俺の知っている人物なのか、はたまた全く知らない人物なのか。
「……ようやく追いついた。あまり、手間をかけさせないでほしいんじゃがのぅ」
そんな、幼い声色でありながら老婆のような口調を発しながら、その人物はついに姿を現した。
首の後ろから膝の辺りまで長い三つ編みにした、薄紫の髪。
背丈も顔立ちも、小学生と見紛うほどの幼い容姿。
そう。
ルナやアルの担任教師――マーレ=フルットだった。
マーレが右手を開くと、淡い光が包み込む。
その僅か数秒後、マーレの右手には一つの傘が納まっていた。
マーレの〈武核〉は、傘。
……待てよ。
それなら、さっきの鉄球は一体何だったんだ……?
「お前……だったのか」
ほぼ無意識に、女口調ですらない問いが口から漏れる。
しかし、そのことについて疑ったりはせず、ただ訳が分からないといった風に首を傾げてきた。
「……? 何を言っておる。そんなことより、早くそいつから離れるのじゃ」
「ルーチェ君、マーレ君は私と君を離すことで確実に君を仕留めようと考えているはずだ。できるだけ、私から離れないでほしい」
マーレとリコルドが、お互いに正反対のことを言う。
どういうことだ、意味が分からない。
いや、俺たちを追い続けていたのはマーレで間違いないはず。
それなら。マーレの戦い方や実力が分からない以上、確かにリコルドから離れすぎるのも危険かもしれない。
そう感じ、俺はマーレを睨みつけたままリコルドに近づく。
「ちっ……何か勘違いをしておるようじゃな」
マーレは、忌々しげに舌打ちを鳴らす。
そして――大きな咆哮を、辺りに響かせた。
「ルーチェ=ファコルタを狙っているのは余じゃなく――そいつだと言っておるのじゃッ!」
「え……?」
一閃――。
問い返す猶予も、振り返る暇さえも与えられず。
横から、長い鋭利な刃が伸びた。
「か、は……ッ」
最初の感覚は、痛みだった。
腹を突き刺され、体の全神経が激痛に支配される。
口から血を吐き出し、地面を赤黒く汚す。
痛みのあまり体を支えることなんてできず、地面にうつ伏せに倒れてしまった。
霞む視界で、必死に見上げると。
大きな槍を携えて、こちらを見下ろすリコルドの姿があった。




