第7話 決別 〜ポイント・オブ・ノーリターン〜
その声に、びくりと震えた。
聞き慣れた侵略者の重低音ではなかったからだ。変声期を乗り越えてはいるものの、まだまだ少年の幼さが残る声。
いや、それだけじゃない。俺をこう呼ぶのは、アイツしかいないのだ。
ゆっくりと、声の主を見上げる。
「そんな……!」
「う、そ……!」
顔を歪めるカイトの隣で、俺とハルナは呻き声を上げてしまう。
「——シュウ」
——ひしゃげたドアの隙間から入ってきたのは、俺の幼なじみで、クラスメイトで、生徒会長の男だった。
いつだってバカやる俺を呆れた目で見つつも、結局は便乗してくる気のいいやつだった。
いつだって《学校のために》《友達のために》とか高尚な思想を掲げる、誰が見ても完璧な生徒会長だったのに……今は、俺に敵意を向けている。
命が惜しいというのは分かる。でも、こいつはそんな理由で、友達である俺を売るようなやつではなかったはずなのだ。
洗脳という言葉が頭をよぎった。
「シュウ! どうして侵略者に味方して、俺たちを捕らえようとするんだ!」
そう問う間にも、完璧にこじ開けられた扉からは生徒がわらわらと入ってくる。誰も彼も俺たちをじっと見つめていて、《一緒に戦おう!》と言ってくるわけじゃないことはすぐ分かった。
「どうして? おかしなことを聞くね、マサ」
シュウはゆっくりと歩み寄ってくる。俺の右手に握られる三角定規(30°)を見ると、少しだけ痛ましい顔をした。
「——そんな所まで……」
「何だ」
「いいさ。マサ。戦おう」
シュウが右腕を横に伸ばすと、後ろに控えていた生徒が1人歩みでて何かを持たせる。
それは鉄製の1メートルものさしだった。——ハルナが、先程落としたものだ。拾われたのか。そして、場違いにも笑いがこみ上げてくる。
「そうだったな。小学校の時、俺とお前はよく三角定規とものさしでチャンバラしたよな」
シュウはフッと笑うと、それきり目を鋭くして、何の戸惑いもなくものさしを向けて来る。三角定規とはリーチが段違いだ。
隣を見れば、カイトはもちろんだが、驚くことにハルナも警棒を構えていた。すぐに飛び出して、同じ制服を着た生徒達とやり合えるという風だ。シュウはそれを厳しく見つめる。
「侵略者? ——それは君たちのことだろう。僕は全てを彼らから聞いたよ。だから今、戦うんだ」
「マサキさん、耳を貸しちゃダメっス。戯言っスよ」
「カイトくん。残念だ。君も侵略者に洗脳されてしまったなんて」
何を言っているんだ、シュウ。
平然とした顔で、そんな——
「洗脳されてる? それはお前たちの方だろ?! お前は自分が正義だとでも言うのか!! お前、俺と友達じゃなかったのか!」
「ああそうだ。そうだと言っている。……もういい。マサ。これ以上罪を重ねる前に……友達として僕が倒してあげるから」
狂ってやがる。
シュウの真剣な顔は、ふざけているようには見えない。というか、侵略者が攻めてきているこの状況でふざけられるわけがない。
侵略者にすっかり洗脳されてしまったのだろう。
これ以上の言葉は意味が無い。俺が動揺するだけだ。
覚悟を、決めなくては……
侵略者と戦うのに抵抗はなかった。俺たちの学校を不当に荒らす存在は、紛れもない《悪》だったから。
でも、生徒たちは——シュウは違う。
カイトのように命を盾に脅されているのだから。
言わば俺達は、同じ目的を持っているのに敵対しているような関係なのである。
「シュウたちの目を、覚ましてやらないとな」
「何を。——いい。お前達、行け」
最後までシュウは厳しい目を保っていた。左腕を振ると、後ろに控えていた生徒達——武装として警棒を持っている——がじりじりと歩み寄ってくる。
「僕はマサと戦う。みんなはあの二人を捕らえろ」
「くっ……」
生徒達は見立てで20人はいるだろう。
この分だと、カイトも《逃げ出した》というよりは《逃がされていた》のかもしれない。
俺たちを捕らえるために、な。
シュウの誘導で、俺達は教室の前方、ハルナたちは後方へと移った。——次の瞬間、男子生徒がハルナへ飛びかかる。
「ハルナっ!!」
「——よそ見とは余裕じゃないか」
注意を叫んだ俺に、シュウが1メートルものさしを振り下ろしてきた。
俺はシュウのものさしを三角定規で受け止める。
シュウは特に武術を嗜んでいたわけではない。
だが、鉄とアクリルがうち合えばアクリルが負けるのは当たり前だ。
三角定規がみしりと軋み、舌打ちをして距離をとる。
「マサ、その血染めの定規で何人を刺してきたんだい?」
「5人だ」
そう言いながら30°をマサキに突き出す。シュウも長いリーチを生かしてものさしを俺に向ける。
ぎらりと光る先端。
あれに当たればただではすまない。
だが。これまで何人も侵略者の剛腕を掻い潜てきた俺ならば、避けられるはず……!
「ふっ!」
右側に跳ねた俺は、鼻先を掠めるものさしをものともせずに、シュウの腹部スレスレを通る三角定規を——薙いだ。シュウの体が、右側に倒れる。
「……ぐっ!」
「覚悟しろ!」
バランスを崩すシュウに馬乗りになる。ここまで近づけば、ものさしを刺される心配はない。その肩に思いっきり三角定規を振り下ろしたが——
「チィ……!」
シュウは何とか身をよじって避けた。30°が床に刺さり、抜くのに数瞬の時間がかかる。
そこにシュウの拳が叩き込まれ、身を翻すと俺の下から抜け出した。俺達は各々の得物を構えて、戦いは振り出しに戻る。
「……マサ、いやマサキ。君はどうして……君の言う侵略者に歯向かっているんだい?」
「当たり前だろ、中学を侵略——踏み荒らしてめちゃくちゃにする《悪》だからだ」
ハルナとカイトが後方で戦う中、何故かシュウは俺に言葉を投げかけてきた。
心臓が、死を間近に味わったせいかどくどくとうるさい。──いや、それ、だけか?
「本当にそうだと言えるのか?」
「は?」
「昨日までの君に、そんな度胸があるようには見えなかった」
なんだこいつ。敵対してるからって面と向かって罵ってきやがった。
確かに俺はお世辞にも勇敢なやつとは言えなかったが、……ハルナは絶対に助けたい。
それの何が悪い。
「今はあるんだろ。なんだよお前。こんな時じゃないと悪口も言えねーのか。お前こそ《学校のために》とかご大層な目標掲げて。にしては特別なことをしてるようにも、するようにも見えなかったが?」
「僕が《学校のために》と考えていることは何ら嘘じゃない。——だが、いち中学生、いち生徒の出来ることは限られているんだよ。僕が生徒会長に就任してからまだ日が浅いけれど、これでも集会の時間を少しでも短くするとか、そういう努力はしている」
そう言うと、シュウは俺に歩み寄ってきた。発されるプレッシャーが半端ではなかった。動けない。やがてものさしを突きつけられる。休めども休めども、心臓はバクバクと落ち着かなかった。
鉄製1メートルものさしのヒヤリとした感触が体操服越しに伝わってきて、鳥肌が立つ。
「君のソレは、明らかに現実性を欠いた行動なんだよ。……やりすぎだ」
何を言われたのか、分からなかった。
「シュウ? 意味、分かんねーんだが?」
そう聞き返す時、目が泳いだ。すると教室の後方が目に入る。
なんと、ハルナとカイトは生徒達をあらかた片付け終えていた。カイトの武器が武器だけに流血している生徒もいたが、全員気絶して倒れているだけのようだ。
俺がシュウに詰め寄られているのを見てハルナは顔を青くしたが、カイトに諌められてとどまる。
そうだな。俺が合図を出したら、シュウをやれ。——そう目で訴えると、カイトは頷いた。
「マサキ。マサトは元気かい?」
「今入院中だ。だが、症状は良くなってるよ」
「なるほどね。——君は、僕の噂をあることないことマサトに吹き込んでいたようだけど」
「お前が真面目な顔して、俺のバカに付き合うからだろ」
「へえ」
何故か意味の無い会話を続けるシュウは、その注意をどんどん俺だけに向けていく。俺の目を真っ直ぐに見つめて、逃げるのを許さないといった風だ。
チャンスだ。——俺はかさりと三角定規を動かす。その合図を、カイトはしっかりと受け取った。
それに気付きもしないシュウは、俺の返答におかしそうな笑みを向ける。
「僕がいつ、君と遊んだって言うんだ? 君は————」
刹那、カイトが音もなくシュウの背後に忍び寄り……リュック(ステージ上下式顕微鏡入り)を振り上げた。
重い風切り音にシュウも事態に気付くが、ハッとして振り返ったところを俺が捕まえる。シュウの顔は絶望と苛立ちにそまり、そして——
シュウの頭にリュックが直撃した。
鈍い音と血が舞い、俺とカイトの顔が赤く染まる。
死んではいないようだが、シュウは俺がさっき受けたのなんぞよりよっぽど酷いダメージを負った。声も上げずに、俺の腕の中へ崩れ落ちて来る。
それを慎重に床に寝かせると、ハルナも含めて大きくため息をついた。
終わった。
視聴覚室はまた静かになる。
「カイト、サンキューな」
「いえっス。マサキさんがご無事で何よりっス」
「マサキ!」
2人が笑顔で駆け寄ってくる中、俺はシュウをじっと見つめていた。
今まで俺たちは、敵を殺しては来なかった。
だが、放っておいた敵は、後でなんらかのしこりを残す。——その事もよく分かっていた。
「なあハルナ、カイト」
「……なんすか?」
「やっぱ、殺さないと不味いのかな?」
奇しくもそれは、さっきハルナが言った言葉でもあった。ハルナが息を飲むのがわかる。
分かってる。殺しなんてやっちゃいけないことだ。でも、でも……なんだか、心がざわつくのだ。
殺せ、と。そう言っている。
こいつを生かしておくと、俺のためにならない。
ばりん、と。
俺の中で何かが切れた。
カイトは答えない。何故なら、カイト自身にも殺人願望があるからだ。否定するのが正しいとは分かっているが、それを自分の口からは言えない……というところか。
「マサキ? シュウくんは、友達でしょ? そんな、殺すなんて」
「でももう、こいつは侵略者の手先だ。生きてる限り俺たちを追い詰めてきて、——こっちは迂闊に手が出せないのに、こいつらは躊躇いなく攻撃してくる」
「侵略者を倒せばきっと、」
「その保証はないんだよ、ハルナ」
「マサキ! やめて!」
血濡れた三角定規を握り直す。同じく血に濡れた体に抱き着いてくるハルナに、一瞬眉が動く。
でも、俺はやらないといけないんだ。
だって、こいつを生かしておいたら——
俺は頬を伝う涙を見ない振りをして、三角定規を大きく振りかぶった。
ぬるい飛沫が、ブレザーを赤く染める。
ばりん。
俺の中で、何かが壊れた。
【ステータス】
パーティ:マサキ、ハルナ、カイト
名前:マサキ
武装:教師用三角定規(1:2:√3)
服装:ハルナのブレザー(血染め)、体操服(血染め)、黒ハーフパンツ(血染め)
状態:やらないと、やられる
名前:ハルナ
武装:警棒
服装:白カーディガン(血染め)、スカート(血染め)
状態:ダメ!
名前:カイト
武装:リュック(ステージ上下式顕微鏡、数学の教科書、アレ)
服装:ブレザー(血染め)、ズボン(血染め)
状態:仕方ないことっス
【おまけ】
名前:シュウ
武装:鉄製1メートルものさし
服装:ブレザー、ズボン
状態:マサ、どうして……