第6話 決意と動機
『兄さん、学校はどう? 楽しい?』
柔らかい陽が差す病室。白く小さなベッドに身を起こしている少年——マサトは、そう言ってはにかんだ。
傍らに立つマサキは、その質問に顔を上気させる。ポケットから携帯を取り出すと、マサトにある画像を見せた。
『ハルナちゃんだ』
マサトは、確実に引いた。どう見ても遠くからズームしたような画質だったからだ。盗撮である。自分が自分なら、兄も兄だ、とため息をついた。
『兄さん。そのうち警察沙汰になるとか、やめてよ?』
『な、あ、あるわけないだろ! ……聞いてくれよ。今日、ハルナちゃんと話したんだ』
『よかったね? 兄さん、いつも《ハルナちゃんを遠くから見た》っていう話ばっかりするからさ。僕としても心配してたんだよ』
『……その言い方なんかうざいな……』
マサキはふてくされるが、マサトはやがてふわりとした笑みを浮かべた。双子なので顔はよく似ている。
『ふふ、早く僕も学校に行きたいなあ』
『大丈夫だ。最近は症状も落ち着いてきたろ』
マサトの目が輝く。
『そうだね。……もうすぐ、かなぁ』
『ああ。待ってるからな。そういえば、最近お前の大好きなシュウのやつが——』
*・*・*
戦いが終わり、目が覚める。
頭の横でカイトが土下座をしていた。
えっと、確か。
侵略者にヘルメット頭突きされた俺は、意識朦朧としてから気絶したんだっけか。
「……いっつ……」
「あ、マサキ! 目が覚めた?」
「ああ……」
ズキズキ痛む額を抑えて体を起こす。包帯がきちっと巻かれているからか、出血は止まっているみたいだった。
いやそれよりも。
いつの間にか、ハルナが俺を呼び捨てにしているのにニヤニヤしてしまうな。それをなんとか堪えて、カイトに声をかける。
「そうか。カイトがやったんだな、最後の侵略者。ハルナが無事でよかった」
「……」
カイトはびくりと震えると、相変わらず涙でぐちゃぐちゃの顔を上げた。
「いやほんと、オレ、なんてこと——」
「それはいい。どっちにしろあの5人も、いつかは倒さなきゃなんなかっただろ」
むしろこの狭い空間で5人もの侵略者を相手にしたおかげで、向こうが銃を取り出せなかったのだから。悪い事ばかりではない。
結果論だが——カイトがいなければ、あの5人に囲まれてハルナが死んでいた可能性もある。
が、ハルナはそうは思わないようだ。さっきから笑顔の圧がすごかった。
「……カイトくん。マサキ、気絶しちゃったんだけど?」
「ヒィ! ほんと、すんませんっした!」
「まあまあハルナ」
「マサキも! あんな、突っ込むばっかで、危険な戦い方……!」
「ハイ」
ハルナはカーディガンの裾にある血のシミをつまんだ。黒い瞳は潤んでいた。
「ハ、ハルナ……」
「——ほんとに、たくさん、怖かった……」
そう言ってぽろぽろと透明な涙を流すハルナを、直視することが出来ない。
「……悪かった。そんな、血に汚れるようなことをさせて」
俺の体が赤く染まることに関しては、仕方の無いことだと我慢出来る。着替えれば終わりだと思っていたからだ。
だが、ハルナは違う。
傷から漏れ出す赤を、その心に染みつかせてしまう——そんな、ピュアでまっすぐな少女なのだ。
そんな彼女の心にシミがついてしまったのは、力が及ばなかった俺のせいなのである。
そんな思いを込めた一言だった。
ハルナは、ふるふると首を振った。
「違うよ。私のヒーローの、マサキが……死んじゃうんじゃないかと、思って……」
直球だった。
顔が赤くなり、正座を継続しているカイトは変な顔になる。こんな時でなければ、《よそでやってくれっス》とでも言いたそうな顔だ。
鈍感なのか、ハルナはそんな俺たちに気付くことなく言葉を続けた。
「決めた。これからは、私も戦います」
「いやハルナ? 俺はお前を4階まで無事に——」
ギョッとする俺にも、ハルナは全く動じない。傍らに置いてあった、ひしゃげた顕微鏡(ステージ上下式)を手に取る。それを鼻先まで近付けると、強めの声で言った。
「マサキは言っても聞かないよね。——三角定規で、侵略者に突っ込んでいっちゃうんだから。そしたら、私がその後で殴る。マサキが血を流す前に、私が殴るから」
強い目の光に、茶化そうという気も失せる。
現代日本に住む女子中学生が、人を殴ることをここまで真剣に、キッパリと決意してしまったのだ。
なんかもう。今の戦いでハルナさんが覚醒してしまわれたようだ。
しかし、心配事もある。
気を失う寸前に見た、震えるハルナの姿が脳裏に浮かぶ。
「でも、大丈夫なのか? さっきだって……その、血を見て」
「なら、オレがその後でやるっス! ……本気っス!」
言葉を遮るようにカイトがそう言うと、ハルナの目が据わる。——ハルナとしては、そこも心に折り合いをつけるつもりだったんだろう。
カイトは一瞬狼狽えたが、眉をキリッと立てた。こちらもこちらで、引かない。
「……お二人を陥れてまで、やりたかったことが、あるっス」
白くなるほど拳を握りしめるのを見て、俺は息を飲んだ。
「——カノジョの、仇を討ちたいんっす」
そして、その言葉の重さに、絶句することとなる。
仇、つまり、殺されたということか。まさか、侵略者が……?
同じことを考えたハルナが、身を乗り出す。
「——殺し? ほん、とに?」
「ハイっス。俺、見たっス。カノジョが……ユウカが、血まみれになって、ピクリとも動かないまま、侵略者に背負われているのを」
俺とハルナは瞬間的に顔を見合わせる。
「……どうしたっスか?」
「いや、俺たち、1階で——血まみれだった侵略者と戦ったんだ」
「——っ!!?」
カイトは手元の救急箱をひっくり返すほど驚いて、後ずさった。
カイトの顔は、青くなり、赤くなり、そして最後に白くなった。
全ての気力を失った。そう、言っているようだった。
目から力が抜け、くたりと下を向く。
「……そうっすか。やっつけてくれたんスね。ほんとに、ほんとうに、ありがとうございますっス。ユウカも、よろこんでる、っス」
これほど憔悴した様子を見てしまえば、ハルナもカイトを怒る気にならなくなったらしい。いや、それほどに重い事実だ。——殺されたんだからな。
カイトが戦う理由は、彼女の仇を取るためだった。
しかし、それは俺達が代わりに果たしてしまっていた。カイトが戦う理由は、なくなった。んだけども……
……ここでカイトを放っておいたら、1人で死んでしまうような気がする。
「……一応、言っとくな。俺達はあいつを殺してはいない。膝に三角定規を刺したから、そうそう動き回れるとは思わなかったんだが……2階に来てから1回、狙撃されかけた」
生きていると聞いて、カイトの目の色が変わる。
《まだ仇が生きている》——しかし会えるとは限らない。
そんなフラフラした情報にすがるしか、今のカイトにはないということだろう。
不気味に沈黙してしまった視聴覚室。
俺は時計を見た。時刻は11時ごろだ。まだ、全てが始まってから2時間しか経っていない。
これからどうするか。
この部屋は(俺たちを陥れるためだったとはいえ)バリケードが張られている。
ここにいれば、別に4階に行かなくても生き残ることは出来そうだ。あとは準備室の入口にもバリケードを作っちまえばな。
生徒達の波も、やがては4階へ移るだろうし。
いつか警察とかの救援が来て……
思考が止まった。
「なあ、カイト、ハルナ」
「……なんスか」
「なに?」
「なんで、警察とかが俺たちを助けに来ないんだ?」
俺の質問に、2人もハッとしたようだった。
思えば、登校した時に生活指導の先生が電話をしていたのは——この侵略者の件関連だったんじゃないだろうか。
校内放送はそれを受けて流された。
警察の支援が来るまでの避難場所として、《例の場所》こと4階を指示された。
今もなお続々と生徒は逃げ込んでいるはずだが……
もう2時間も立っているのに、パトカーの音ひとつしないのはおかしいんじゃないか?
カイトは自信なさげに首をひねる。
「……関係あるか分かんないっスけど、今すんごい大犯罪者がうろついてるっぽいっす」
「大犯罪者?」
「テレビ見てないっスか? 殺人鬼っすよ! それに警察はかかりっきりっぽいっス」
「自衛隊とかはね。隣の県の洪水被害の復興に忙しいみたい。……すごいよね。うちの県の雨雲を全部吸い取っちゃったんじゃないかってくらい、降ったらしいしさ」
たしかにうちの庭の花、萎れてたわ。この辺では最近全く雨が降っていなかったんだっけ。
その話、かなり絶望じゃね?
「ヤバいな」
「……だからやっぱり、侵略者と戦うためにも、生き残るためにも、ここから出ないとっスね……」
ふう、とカイトは何か達観した様子だ。
「……カイト、結局着いてくるのか?」
「あっ……ご迷惑……っスよね。オレ、お二人を殺しかけたも同然ですし。でも」
「いや、そうじゃねーよ」
ちょっと睨んでやれば、カイトは面白いくらいびくついて視線を逸らす。
「俺らについて来ても、ユウカさんの仇は取れないぞ」
息を呑むハルナ。カイトの瞳も一瞬は揺れたが、やがて真っ直ぐに俺を見つめ返してきた。
「……分かってるっス。でも、お二人が代わりに叩きのめしてくれたっスから。いつかオレにその機会が訪れる可能性は、ゼロじゃない——それだけ知れたので、十分っス。オレは、ここから出るまで、お二人に命を捧げるっス」
そう言い切ったカイトを、退けることなど出来るはずもない。
迷った結果、カイトには顕微鏡(ステージ上下式)を与え、ハルナには警棒を使ってもらうことにした。
さっき顕微鏡を持って決めゼリフ的なのを言っていたハルナは、ちょっと拗ねた。
*・*・*
「……あっ」
力強い決意表明からすぐ。
カイトは間抜けな声を上げた。
「どうした」
「大事なこと、忘れてたっス」
そう言うと、カイトは手早くリュックに顕微鏡を詰めて背負う。すぐさまここを出るとでも言いたげだ。
だが、今はちょっと……
「……いや、ちょっと、待ってくれ。まだ俺、ちょっと視界がはっきりしな——」
「奴らが戻ってくるっス」
「奴ら?」
「覚えてるっスか? マサキさんとハルナさんがこの部屋に来る前、生徒達が廊下を走ってたっスよね」
そういえば。そんな奴らもいたな。
「たしかに。アレなんだったんだ?」
「アレは、オレの仲間っス。——侵略者に、お二人を差し出して生き残る……オレと同じ目的で動いてるんスよ」
「そんなっ!」
ハルナの顔が青くなった。俺も舌打ちした。
侵略者の野郎共。ホントにハルナ——または俺を狙ってやがったのか。
「もうお気づきだと思うっスけど、侵略者の体は窓から捨てたっス」
「えっ」
「言っても2階ですし、あの装備だから死んではいないと思うっス」
「庇から落ちた後、ちょっと動いてるのは、見たよ……」
流石は人を殺さんばかりの目の持ち主である。容赦がない。
今、必要なことだとは思うけれど。
「だから、オレたちが5人を退けたことはバレてるっス。そして現状、ここで侵略者を倒せるのはお二人しかいないっス。居場所はバレてるっス」
「さすがに隣の部屋に監禁するのは、怖かったから……ごめんねマサキ」
「いや、謝ることじゃないだろ……」
でも俺は、約束したのだ。
ハルナにはもうこれ以上、つらい光景を見せたくない。
そうこうしているうちに、カイトは身支度が終わったようだ。
ハルナに支えられながら立ち上がると、頬を叩く。ぐらつく視界を治そうと思ったのだが……効果の程はともかく、気合いは入った。
「……マサキ、大丈夫?」
「ああ。多分、走ったら治る」
「なら、早くここを出るっス。バリケードを崩す時間はないっスから、準備室から——」
カイトの言葉を遮るように、重く硬い音が響いた。金属を力任せに殴るような音だった。
「——な」
まさか、とドアを仰げば、バリケードが揺れ動いている。ドアが叩かれたことは明白だった。
侵略者がまた来たのか。
でも、さっき奴らは諦めて帰った。今度だって——
と思った矢先。その気の緩みを嘲笑うかのように、轟音が響く。
そして、バリケードが破壊された。
立てかけられていた教卓が空を飛び、砕けた足の破片が俺たちの元まで飛んでくる。
からん、とやけに軽い音が響くのを、どこか遠くで聞いた。
壊れてるぞ、おい。
「え?」
「カイト、これは破壊のうちに入らないのか?」
「お二人、喋っちゃだめっス——!」
カイトが声にならない絶叫をあげた時。教室に上履きのゴム音が響いた。
「——マサ、見つけたよ」
【ステータス】
パーティ:マサキ、ハルナ、カイト
名前:マサキ
武装:教師用三角定規(1:2:√3)
服装:ハルナのブレザー(血染め)、体操服(血染め)、黒ハーフパンツ(血染め)
状態:頭痛い……
名前:ハルナ
武装:警棒
服装:白カーディガン(血染め)、スカート(血染め)
状態:私がやるんだ!
名前:カイト
武装:リュック(ステージ上下式顕微鏡、数学の教科書、アレ)
服装:ブレザー(血染め)、ズボン(血染め)
状態:マサキさん……っ!