~研究所(巣)~1戦目
薄っすらとした、記憶の中にあるもの。誰かが声を掛けてくれている。ボロボロと成り果て、立っているのが不思議な状況である、この俺に。
目の前には、死体が散らばっていた。コイツ等と、俺が殺した死体が。記憶のはずなのに、今でもその死臭と血の香りが残っている。声が聞こえてきた。
「ごうかくごうかくっ。よぉがんばった。ざっと数えて200そこそこ。まあ総当たりの中、戦闘回数は置いといても、猛者の中からよく生き残れたもんだな。あっはっはっは!」
ぼんやりとエコーがかかったように、聞こえてくる。声を掛けていたのは、白衣の女。白い歯を見せて笑う表情。俺にこの力を埋め込んだ人間。この状況でも笑みを浮かべる女。この頃の俺はまだ今ほど身長もなく、その女を見上げていた。顔はよく覚えていない。
「調子は変わらずか。しかし、期待に応えてくれて助かってるよ。血の交わりがここまで影響するとはな。適合性と言うのかねぇ。いやぁ、ほんっと君達2人には感謝しかない。といってもまだ、彼女のほうは戦闘で使うには少々幼いがね。いずれは共に戦えるさ。」
人が何人も足元で死んでいるのに、まったく気にも留めない。俺は何故か、怒りを感じた。だがその怒りさえも覆うほどに、恐怖で支配されていた。
この人は、危険すぎる。
荒野は夜明けを迎えている。大地から熱を奪うように、蒸気の如くうまれる濃い霧が辺りを覆い、太陽の光が霧の中で乱反射している。枯れ果てた立木のそばに、ティアと、少女と、青年が立っていた。ティアは茶色のコートを羽織り、スカーフで表情を覆っている。青年は変わらず黒い戦闘服で身を纏っており、ティアは大きなマントを体に巻き、フードを被っている。時節少女の吐く息は白く、気温の低さを伺わせる。
「ここに、目的地があるの?」
「ああ。間違いない。」
ティアの質問に、青年は答える。視界の先は未だ霧に覆われている。青年が見つめる視線を横から見るティアは、既にこの先に目的地があることを裏付けているように感じた。時折ティアは、青年の隣にいる少女を少し覗く。少女はまだ何処か、心ここにあらずといった遠い目をしていた。
「大丈夫だ。もうしばらくしたら、コイツも落ち着く。」
心配するティアに気づいた青年は、少女の頭に手を置く。少女は青年の手が頭に置かれると、内側から少しマントを持ち上げ、口元を少し隠した。
「もうすぐだな。」
青年が少女にそう言うと、少女は僅かに頷く。2人の光景に、少し笑みが浮かぶティア。
中継基地を出てから4日経った。2日間は車両で移動と休憩を繰り返し、燃料が底を尽いてからは更に2日間、徒歩で移動をしている。その間にあった廃墟から弾薬、食料を補給していたが、敵には出会わなかった。改めて前を見ると、少し霧が晴れたことに気づく。3人の目の前に広がる大地と点々に雲が浮かぶ空。やがてティアは、2人が目指しているその目的地に気づいた。
太陽を背に影を作っていたのは、不気味に荒野へと造られた、巨大な建造物。入り口と呼ぶ場所がわからないほど、鉄骨が垂直に並ぶ個所もあれば、乱雑に建造された個所もあり、全体図は歪な形状をしていた。その中央に、逆三角形の建物が見える。この距離からわかったのは、建物は白い。灰色や黒色といった軍の施設というよりは、医療施設のような白さ。鉄筋のジャングルに似つかわしくない、それも異形の建物。
「あれが・・・そうなの?」
不気味な佇まいの施設に、声が漏れるティア。
「そうだ。だが、また随分と破壊されている。」
青年の言葉に、ティアは何かが引っ掛かった。
「破壊って?」
「行けばわかる。あの施設のことが。そして。」
青年はそこで言うのを止め、少し間を開けて再び言葉を放った。
「異常な、『人間』という生き物を。」
今までの青年に無かった表情を、今の青年は見せていた。青年は何かに憤っている。そのれが一体なんなのかは、ティアはわからない。それを知るのは、唇をかみしめ、僅かにうつむく少女だけ。こんな姿を見せる少女も、ティアは初めて見た。
3人は施設を視認した場所から歩いて進み、やがてその全貌がわかり始める。大きな施設ではあるが、その施設はひどく荒れた姿を見せている。遠くから見えていた鉄筋はとてつもない大きさであり、内部に立っている形や骨組みが連結していることから、恐らく何かが原因となり崩壊したと予想される。地面を見ると砂に埋もれた物もある。
施設を囲むような壁は無く、四角い建物も鉄筋の先に見える。砂の足場から、鉄のような感触の道が建物へと延びていた。そこを歩く間、左右に目を配る。鉄筋は破壊されたように折れ、施設の中に突き刺さり、折り重なるものもある。地面も激しい戦闘があったかのように抉れた場所もある。
果たしてここが目的地なのか。青年と少女がここに来たところで疑う余地もないのだろうが、あまりにも異様な景色に不安を感じてしまう。
「ティア。」
前を歩く青年が、少し後ろを歩くティアに横顔を見せる。
「崩壊する前は、ここに様々な施設が建てられていた。大小さまざまで、研究員と名乗る人間も沢山いて、俺もその人達に会ったことがある。断片的だが、その施設は破壊されていった。研究がどんどん進んでいくにつれて。異常な光景を思い浮かべるかもしれない。だが、壊されていく施設や、集まっていた研究員が殺されていくなど、俺達には馴染んだ光景だった。といっても、俺とコイツがいた時と比べると、今はさらに崩れてはいる。施設と呼べる建物がなくなっているのには、少し驚いてはいるが。」
「でも、崩壊したといっても、ここまで大きな施設が崩れ落ちているなんて。戦車とかで撃ち込まれるだけじゃこんなにひどくなるわけがない。どう見ても、爆撃のような激しい戦闘を受けたようにしか見えない。それに、研究員は誰に殺されたの?」
「その疑問はもうすぐ解ける。」
青年が言い終えたころに、建物の入り口が見え始めた。その建物は薄灰色で統一され、遠くから見たままの光景である、逆三角形の形をしている。しかし三角形が全景ではなく、尖った部分を地中に埋めたように見え、半分が地上に生えているような形。そこに四角でくり抜いた部分があり、高さと幅は戦車ほどの軍事車両なら通過できるほどの大きさ。窪みまで入ると、その先はこの建物の外壁と同じような壁があった。青年と少女が足を止めたので、ティアも足を止める。少しだけ横に歩き、建物に触れてみる。その壁は金属のような冷たさであるが、触っただけでもわかったことがある。
(この壁、民間のコンクリートや軍事施設のようなただの壁じゃない。まったく知らない質感。磨かれた大理石みたいなのに、私の姿は映らない。なんなのこれは。)
不可思議な構造物に憶測の制御ができないティア。突然、髪をなでるほどの風が吹き込む。2人を見ると、先ほどまで壁だった場所が、上に登っていく。上昇式のゲート。通路が続いていることがわかった瞬間、ティアは更に不安を募らせる。青年は一度振り返ってティアと目を合わせると、視線を開いたゲートへと戻し、歩き始める。少女も続き、そしてティアも追う。電飾のような明かりに照らされた通路の幅は入り口と変わらず、奥へと続く。歩きながらティアが振り返ると、音もなくゲートは閉じていた。そして通路の行きつく先には、先ほどと似た壁があった。歩いている間に、再びその壁が上昇する。
先ほどの通路が終わった先には、広い部屋があった。床は平面だが、壁は全体的に丸みを帯びたドーム状の形。3人がその部屋に入ってしばらくすると、入り口が閉じられた。無音のまま少しだけ間ができたとき、ティアがこらえきれず尋ねた。
「ねえ、ここまでついてきたけど、大丈夫なの?」
不安そうに尋ねるティアに、青年は振り返らず一言だけ返す。
「それはあの人次第だ。」
青年の言葉で、事態がまた少し飲み込めたティア。
「それってつまり、相当やばい人ってことだよね。」
「そうだな。相当やばいと思ってくれ。」
青年は後ろに付いてきた少女を見る。フードに隠れて表情は見えないが、両手を胸に押し当てている姿を見る。その手は、少し震えていた。
「ところで、なんで足を止めたの?」
「今この部屋は上に向かっている。あと少しで到着する。」
ティアはこの部屋が動いてると聞き、周囲を見たり、自身の体に違和感がないかを探った。だが、静寂な部屋は代り映えもせず、上昇するような体への負荷は何も感じない。密閉された空間にいるだけにしか思えない状況こそが、違和感でしかなかった。
すると、ドーム状に覆われていた天井が動き出した。真っ二つに分かれた天井は床へと少しずつ下降していく。自分たちが立っている床が、ようやく登っていくような風景と捉えることができた。そのまま上昇した床が行き着いたところ。それは、移動してきたドームを遥かに超える広さの部屋だった。
「な、なにここ。」
四角い箱庭のような部屋。異様に明るく、一点を直視すると目が眩みそうなほどである。周囲を見渡し、青年と少女から視線を後ろへと向けたとき、何かを捉えた。
人が立っている。
(誰?)
広い空間にぽつんと1人立つ姿。その人は、白衣を着た女性。一度捉えた女性の姿を、ティアは何かを疑うように、もう一度よく見た。なぜならその背格好は、幼い姿であること。青年の隣にいる少女と比べて、同じくらいか、もう少し幼くも見える。金髪の綺麗な長髪に、強気で活発そうな印象が見て取れる顔立ち。その白衣の少女は不適そうな笑みを浮かべて、ティア達を待っていたのだ。
すると、白衣の少女が口を開いた。
「あっはっはっは!よく戻ってきたな!ここ1年の間に、また随分と逞しくなったように見えて、私は嬉しいぞ!あっはっはっは!」
高笑いに続き、青年と少女を労っているような口調。声色と抑揚に惑わされそうになるが、大人びた雰囲気すらティアには感じ取れる。正面に立つ白衣の少女から、ティアは後ろの2人を見る。その時、ティアは背筋に冷や汗を感じた。2人の雰囲気が、殺伐としている。ただ白衣の少女を一点に、いつでも殺しにかかるような臨戦態勢である。フードを脱いだ少女さえも、歯をむき出しに敵意を向けている。
「そこのお嬢さん。」
白衣の少女の呼びかけが自分とわかったティアは、すぐに振り向く。
「その2人は私を殺したくて仕方がないのは事実さ。しかし育て上げた身としては、親離れをしていく子ども達に、うれしさの反面、ちょっと寂しい気持ちではあるがのう。」
裾の余った白衣の袖で、目元をぬぐうようなしぐさを見せてくる。芝居がかった行為を終えると、両手を腰に当てる。
「察してはいると思うが、私はこの2人を生み出した者。そして、」
次に両手を広げた。
「この施設、超越した力を持つ子ども達を創り上げたのもこの私、」
最後は腕組をし、堂々と胸を張る。
「アマテラスだ!」
こだまする、アマテラスと名乗った白衣の少女の声。言い終えたアマテラスの表情は、どことなく満足げな表情を見せた。はっきり言って、子どものような自己紹介としか思えない。名乗り終えたのを見た青年が、声を上げる。
「見た目に騙されるなティア!そいつが、俺達兵器を生み出した張本人だ!」
怒鳴るような青年の声に、ティアは的を射られたように体が反応し、素早く装備していたピストルを構える。青年もライフルを構え、少女は身をかがめて臨戦態勢となる。アマテラスは3人の構えに対して、何も構えない。
「あっはっはっは!そうかそうか。お嬢ちゃんはティアって名前か。普通の人間と出会い、私以外で名前を持つ者に会えたのも久しぶりだ。思えばそこの2人には、何も名前を与えておらんかったのう。」
「お前は何者だ。7年経ってからも、姿すら変わっていない。」
「まあ普通はそうだ。人間というより、この地上における生命は本来、年を重ねていけば老いるもの。お前はまだあの時、私より小さかったな。どうだ、年を取らぬ母の姿は。可愛いじゃろ?」
「ど、どういう意味?姿を、変えてないって…。」
ティアは2人の会話に違和感を残す。アマテラスは2人を作り出したというのは事実に聞こえる。だが、幼いころから育ってきた青年が見ていたアマテラスの姿。数年ぶりに出会った彼女の姿が、まったく変わっていないと言う。青年が出会ったその時でさえも、アマテラスは今のような幼い姿であったということだろうか。
「状況を知りたそうにしておるようだが、なぁに。今目の前で見せながら、教えてやるとしよう。」
アマテラスはゆっくりと左手を3人へと伸ばし、手のひらを上にする。そろえた指先を、2回曲げる。
「せっかくだ。仕事の忙しさで遊べていなかった詫びとして、今日はたっぷりと甘えるがよいぞ。」
挑発のようなしぐさを見せ、アマテラスはそう言い放った。ティアは引き金へと指をかけ、青年の青い瞳がスコープを覗く。そして少女は、2人を見るアマテラスのこめかみへと銃口を突き付ける。
「ん!?」
アマテラスは気づく。視線を変えた先に、少女と、少女が構える銃口が見えた。
少女の弾いた引き金から銃弾が放たれ、それをかわしたアマテラスの左こぶしが瞬時に、少女の腹部にめり込む。ねじ込まれた拳の先から、軋む音と衝撃が少女の全身に伝わる。
「がっぁ…!」
少女の目が堪えきれず見開き、口から血が吐き出され、アマテラスの白衣が血に染まる。ゆっくりと、血の混じったアマテラスの長髪がなびく。その隙間から見えたアマテラスの瞳は、赤紫色に光り、不気味なほどに笑みを浮かべていた。
「よくここまで成長してくれた。その経験を、母に見せておくれよ。はっはっはっは。」