9章 俺たちには関係が無い学内戦争④
◇
放課後になった。
今日1日の責務を果たしきった俺は悠々と伸びをすると、かばんを手にとって席を立つ。
その際、前列の席に座る隼人と一瞬目が合った。
「……」
一瞬だけしか合わなかったのに、たったそれだけで隼人の言いたいことが簡単に感じ取れてしまった。
…うん。ごめん隼人。さっきの授業サボっちゃってマジすみません。
隼人の顔は疲労のせいか、かなりげっそりとしていた。疲労というか気疲れというか。普段の隼人からは考えられないほど、どんよりとした空気を纏っているのだ。その目も死んだ魚のようにくぐもっている。しかし絶対に許さないという強い怨念のようなものが、その視線には込められていた。
やはり全てを隼人一人に押しつけて試験の見学に行ったのは、少し悪いことをしてしまったかもしれない。
先ほど俺とテツは合同訓練の授業をサボった訳だが、その授業もおそらくEクラスの生徒達は不参加だったのだ。明日で登録期間も終了とはいえ、まだほとんどの生徒は試験を受けているだろうから。
必然的にまた俺たちしか授業を受ける者がいなくなるため、結局やることがない。そして俺たちには前回、前々回のトラウマがあった。
そう。前々回だけでなく、前回の合同訓練でも俺たちは鬼ごっこをやるはめになったのだ。それも半強制的に。
というかあれは鬼ごっこではない。鬼から逃げ回るだけの別の何かだ。少なくとも俺が知ってる鬼ごっことは、何かが決定的に違った。
何が違うのかというと、永遠に鬼が入れ替わらないのだ。否、鬼など最初から存在しないのだ。
長ったらしく前置きしてしまったが、要はつまり、蒲原が好き放題俺らを追い立てまくるだけという恐怖の時間だった。
蒲原は笑顔で俺たちを猛追してきたあと、特に何をするでもなく一頻りじゃれついてくるだけで実害はまるでない。ただ、俺たちには心に深く刻まれたトラウマがある。笑顔で迫ってくる蒲原を見ただけで、無意識のうちに足が動いてしまうのである。
そんな経験が一度ならず二度もあれば、逃げ出したくなる気持ちも起きよう。そして二度あることは三度あるとも言う。
やはり今回も蒲原達は鬼ごっこをしていたのだろう。しかも今回は俺とテツ抜きで。つまりは隼人と蒲原のタイマンである。永遠に攻守の変わらない一方的な展開になったのは想像に難くない。
ちょっと想像しただけでガタガタと震えが来る。
だからほんの出来心で、授業をサボってしまったのだ。真面目な隼人はしっかりと参加していたようだが。
最後にもう一度、隼人に向かって両手を合わせておく。隼人には今度食堂でAランチを奢ってやろう。お得だよ。
そうこうしていると、俺と同じように鞄を肩からぶら下げた蒲原が俺の顔をのぞき込んできた。
「何やってるの愛斗? はやく帰ろ?」
「あ、ああ。そうだな……」
「そういえば今日の5限の授業、愛斗たちどこ行ってたの? せっかく貸し切りなんだから2人も来ればよかったのに。すっごい面白かったんだから。普段大人しい隼人くんだって本気で走って楽しそうにしてたし」
「へ、へえ……」
蒲原が何やらとても恐ろしいことを呟いていた気がするが、まあ俺の気のせいだろう。
テツとも合流すると、俺たち3人はそろって教室を後にした。
◇
この日は、すでにホームルームの時間が過ぎているにも関わらず、未だに誰も帰宅する様子がなかった。
特に何かを話し合っているというわけでもない。それぞれが思い思いの場所で好きなように過ごしている。
まるでカフェテラスのような室内。実はこれでも学園内にある教室の一室である。
普通の教室の5倍以上はある敷地内にキッチンやカフェサーバーが完備されている。一見すると優雅なひとときを過ごすことの出来るおしゃれな空間にも思える。しかしその他にも小さな遊具施設やトレーニング器具が並ぶエリア、漫画雑誌やら様々な本が散乱しているエリアがあり、なかなかに混沌とした空間であった。
私たちのクラスは他のクラスに比べて何かと優遇されている。それはこの教室や教室内の備品であったり、個人に与えられる権限であったり。学園側から私たちに与えられるそれらは、通常の中高生に対するものとしては比肩できないほど豪勢だ。
私自身は彼らよりも別段優れているという自覚もないのだけど、これほど優遇されていて本当に大丈夫なのだろうか。学園、というよりも国から色々と期待されているのだろう。だからこそ今のような優雅な学園生活が送れているのである。
少しでもその期待に報いたいという思いから、生徒たちの怪我の治療を手伝ったり寮での雑務を手伝ったりもしているのだが、それでもやはり申し訳なさの方が強い。これはもうしょうがない。私の性格的にそいういう風に感じてしまうのだ。
「ガイヤー! 何やってるの-?」
そんな風に自分のクラスを所在なく見回していた時、少し離れた場所で一人の少女が声を上げた。
ハニーブロンドの髪を可愛らしく2つにまとめてツインテールにしている少女。
頼華ちゃんだ。
先ほど目に入った遊具施設は、もっぱら頼華ちゃんのために置いてあるようなものだ。見た感じは小学校低学年の児童達が遊ぶような遊具だが、あの子は大喜びでよく遊んでいる。
頼華ちゃんは、トレーニングジムのような一角にいる男子生徒の方へトコトコ近づいていった。
そこにいた男子生徒は、両方の腕で交互にダンベルを上げ下げしていた。何やら鬼気迫る表情で一心不乱にトレーニングをしている。それなのにどこか恍惚とした表情だ。不思議な表情だった。
それにしてもすごい。片方でいったい何十キロあるんだろう。ダンベルについてるあのドーナツのような重りは、もはや一抱えできる大きさを超えている。もちろん魔法で身体強化すればあれくらい簡単に持ち上がるとは思う。でも彼は一切の魔法を使っていない。ただの片腕の筋力だけで、そのダンベルを持ち上げているのだ。
「フンッフンッ……おう頼華! お前もやってみるか? フンッフンッ……まずは小さいヤツからな! いきなりデカいの持ち上げると体壊すぜ!?」
彼――――大黒凱矢くんは、動きの一切を止めないまま、頼華ちゃんと会話をしていた。
190センチはあろう大きな体に、鎧のような筋肉。今は惜しげも無くその上半身をさらしており、立ち上る湯気はまるで大黒くんから発せられるオーラのようだ。
女の子もいる空間で半裸状態になっている今の光景も、すでに見慣れたものである。最初こそ視線を送るのも憚られたものだけど。正直言うと今でも少し恥ずかしい。
トレードマークでもあるオールバックの髪は、今日もきっちりと整髪されている。肌は汗でびしょびしょなのに、その髪は微動だにしていない。
「フンッフンッ……よし! まずはこいつだ。これを持ってみろ。最初はそーっとだぞ。そーっと」
「うん! やってみる!」
自分の筋トレを中断し、小さい(それでも2キロくらいはありそうな)ダンベルを頼華ちゃんに渡そうとする。さすがに頼華ちゃんにそれは無理だ。思わず制止しようと腰を上げた矢先、また別のところから声が上がった。
「おいおい凱矢! いくら何でも頼華にそれは無茶だろー? それよりも頼華こっちに来い! 一緒に座禅しよう、座禅。おもしれーぞ!?」
腰掛けのない丸椅子の上で、じっと座禅を組みながらそう話すのは松永くんだ。
180センチほどの高身長で割と細身の、大黒くんとは対照的な体型の男子だ。無造作に整えられたダークブロンドの短髪は、ほんのちょっとチャラい印象がある。だが彼自身はチャラいというより活発で明るい性格だ。戦闘になると性格が変わりキリリとしていて格好いいのだが、普段との落差が大きすぎて逆にそれも可愛く見える。
それにしても彼は今日も、いつもと変わらずよく分からない。座禅とは面白いものなのだろうか。私が見る限りそんなに面白そうには見えないのだけど。
しばらく大黒くんと松永くんの間を行ったり来たりする頼華ちゃん。私はそんな彼女の元へと近づくと両手で抱えていたダンベルを取り上げた。
「ちょっと2人とも、頼華ちゃんに変なこと教えないでよ! 真面目に言うこと聞いちゃったらどうするの? 頼華ちゃんも全部鵜呑みにしないの! この人たちはちょっと常識とずれてるんだから」
「おいジョイネー! 俺たちがまるで変人みたいな言い方するのはよせ! それよりお前ももっと筋肉をつけたらどうだ?」
「ああ、まったくだな。人を変人扱いするとは同じクラスの風上にも置けん。そんなときは座禅でも組んで心を落ち着けたらどうだ、ジョイネー」
「もう嫌このクラス……変な人ばっかり……ていうか私のことジョイネーって呼ぶのやめてっ! 苦労して通り名替えたんだから!」
私はそんな叫びを残すと、頼華ちゃんを引張って行き、元いたテーブルに着かせる。
はあ……なんだか普段よりも倍疲れた。このクラスの仲間はそれほど嫌いじゃないのだけど、変人が多いのが玉に瑕だ。
大黒くんと松永くんが、筋肉と座禅について真面目な顔で談義を始めてしまったその時。
教室の扉が静かに開かれ、1人の男子が入ってきた。
「すみません皆さん。少し遅れました」
そう言って教室に入ってきたのは、ここSクラスの委員長を務める滝貝緑くん。
ホームルーム終了後、少し用事があり席を外していたのだ。
色素の薄いボサボサの髪に眼鏡をかけた男子だ。身長170センチほどのとても真面目な男の子で、このクラス内の事務やらなにやらを一手に引き受けてくれている。大人しい性格ではあるが、個性の強いこのクラスを一つにまとめて率いる、軍師のような少年である。
変人の多いこのSクラスにおける、数少ない良心だ。
「おう、タキ! どうだった先方の反応は?」
「はは、まあちょっと待ってくださいよ。これでも急いで戻ってきたんですから」
座禅を組みながらダンベルを頭上でぐるぐる回転させるという、謎のトレーニングをしている松永くんの問いかけに対し、滝貝くんはゆっくりとテーブルに着く。
「ふぅ…」と一呼吸あけたのち、懐から一枚の封筒を取り出した。
「けっこうギリギリでしたけど、先方からオーケー出ました。”火巫女”が相手してくれるそうです」
「……!」
その一言を聞いた松永くんの動きがピタリと止まる。
滝貝くんから封筒を受け取ると、それをじっと見つめる。
しばらくしてから、さっきまで浮かべていた人懐っこそうな笑みを消し、嬉しそうに口端を歪ませた。
「そいつはいい知らせだ。今日はだいぶストレスが溜まってたんだ」
「だろうなあ。今日の試験のことは少し聞いてるぜ。まあ俺なら、やる気の無い相手でも筋肉の力で無理矢理覚醒させることは可能だがな!」
ぐいっと腕を引き、謎のポージングで謎の決め台詞を吐く大黒くんを余所に、滝貝くんはさらに言葉を紡いだ。
「日時は明日16時。登録期間の全ての試験が終了した後です」